法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

奈良

<<戻る
進む>>
一覧表へ>>
弁護士任官の意義と現状打開の必要性

田川 和幸(現日弁連弁護士任官推薦制度のあり方検討委員会WG所属・元裁判官・奈良県弁護士会所属・元奈良県弁護士会会長・元日弁連副会長)

 皆さん、弁護士任官制度をご存じでしょうか。「5年以上弁護士の職にあり、裁判官として少なくとも5年以上は勤務しうる者であって、年齢55才位までの者」を裁判官に任官させようとする最高裁発案の制度です。従来裁判官はほとんどすべて、弁護士・検事・裁判官の法曹三者を育てる司法研修所の研修を終えた直後、その修了試験に合格した者から選考されて判事補として採用され、裁判所で先輩と一緒に裁判手続きに関与して「子飼い」で経験を積むキャリアシステムの下にありました。これでは裁判官の給源は単一です。しかし、裁判が国民の意識とかけ離れたものになっているという批判や、グローバル化に伴い経済活動をもっと自由にして問題があれば事後的に司法に頼れという政界・経済界の意識も強くなり、今までどおりの裁判官制度では応じきれなくなりました。そこで2001年の司法制度改革審議会意見書も「裁判官の給源の多様化・多元化」を裁判所の課題としたのでしたが、弁護士任官制度はこの考え方に合うもので、裁判官のキャリアシステムを変革させる重要な契機になるとして、各方面から評価されてきました。

 その後、最高裁が下級裁判所指名諮問委員会制度を2003年に発足させました。同委員会は、法曹外委員6名を含む11名で構成し、裁判官の新規採用や再任に際して裁判官としての適格性を最高裁情報だけでなく裁判所以外の情報も資料として審議をして、裁判官の選任に国民の意思を反映させようとするもので、同制度は従来よりも裁判官任用を民主的なものにしようとするものです。

 しかし、同委員会発足後日弁連を通じて申し込んで弁護士任官した人数は約25名に過ぎないのです。それは、どうしてでしょうか。もっとも大きい理由は、弁護士任官を希望する弁護士が極端に少ないことです。裁判官のキャリアシステムとそれを牛耳る最高裁の人事政策が弁護士に裁判官への魅力を削いでいるのです。報酬累進制・転勤・補職・総括判事指名の不透明性がその最大のものでしょう。また、最高裁に判事補制度をなくそうとする意欲が乏しいこともあるでしょう。さらに、手続き自体にも、弁護士会内の手続きも加えると、希望してから任官に至までに要する期間が1年もかかるのに、内定から任官までの期間は短く、しかも任命時期を毎年4月(今年までは10月も)に固定する運用がなされています。これでは、内定まで依頼を断る理由も言えず、内定後事件を解決し終えることが難しく思われてしまい、希望者を少なくする要因になっています。その結果、なってほしい希望者が出にくいのです。

 さらに、下級裁判官指名諮問委員会制度発足後、希望者の15名余りは任官できていないのが現状です。それは、一つには、同委員会に届く裁判所以外からの情報が少なくて、最高裁が面接等で得た情報が同委員会に尊重されやすい運用になっていることが理由と考えられます。その点、日弁連では、弁護士任官希望者全員への面接を同委員会の許で実施するよう要望しています。希望者を直接観察しその者の熱意や人間性を含めた裁判官としての適格性を判断することの大切さと、最高裁が得た情報について希望者に反論の機会を与える必要があるからです。次には、弁護士任官希望者の場合、同委員会が適格性判断をするのに、裁判官としての実績がないためより厳格かつ慎重になっていることも理由です。なるほど国民は出来るだけ優秀な裁判官を期待しているでしょう。それには私も同感です。しかし、キャリア裁判官でも、出来不出来は大きいわけで、弁護士経験を裁判所に取り入れる意義を考えても、もう少し弁護士任官の適格者基準を下げてもいいのではないでしょうか。

 私は、弁護士31年、弁護士会会長3年、日弁連副会長1年をつとめてから、59才で弁護士任官をし、定年退官しました。いわば、頭書の基準からはずれた者でした。でも、裁判官として劣っていたとは思いません。私の任官経験からみて、裁判官と弁護士に共に必要な資質としては、ものを考える力、ものごとを分析する力、本質を見抜く力、体験しながら学ぶ力、人に対する寛容さ・謙虚さであり、両者共に変わりないと感じました。一方、弁護士経験には、裁判官にない良さがあります。裁判にかかわる依頼者に「納得できる解決をしてやりたい」と思って事件をみる弁護士と、「どう判断しようか」という立場からみる裁判官とでは、当事者にとって事件のもつ重さに対する認識がまるで違います。また、裁判官は記録だけで判断を強いられるという面も多くて、当事者と心を通わせあう機会がほとんどありません。さらに、裁判官は、ごく少ない例外を除いて、当事者の利害に気遣いすることなく自分の思うまま判決を起案し、和解を提案して、仕事をすることができ、「生の社会的事実」に触れる必要を自覚することが少ないのです。加えて、弁護士はどこにどんな証拠があるか、自分で考えた上、証拠を集めなくてはなりませんが、裁判官は法廷に出された証拠だけで判断することが義務づけられていますから、証拠が提出されない意味、提出された証拠のもつ意味を考える幅が弁護士より狭いのです。弁護士は、依頼を受けた以上、多くの事実を聞き出し、どういう主張を組み立てようかと考えなくてはならないので、日頃から自分の力で主張の仕方を種々考える習慣ができます。裁判官は、法律の解釈論を種々検討することには数段すぐれていても、生の事実から主張をどう構成するかを悩んだ経験が少ないのです。更に大事なことに、弁護士は、裁判所、警察、検察庁、相談者、依頼者は勿論相手方の弁護士からも批判されることがあり、その経験が日常的に、謙虚な態度を育てて、闘うべき時には闘い、引き下がるべきときは引き下がる時宜を心得ていなければなりません。これに対して、裁判官は、上級審で破られないことに神経を集中させ、他を軽視する傾向がありがちです。それ故、弁護士経験の有無は、裁判官の資質を大きく左右します。

 下級裁判所指名諮問委員会は、このような弁護士の経験を軽視して、キャリア裁判官と同じ資質を希望者に求める傾向があるのでないか、私はそのことを憂いています。

 もとより、裁判官には、その独立と公正さに対する国民の信頼が損なわれることのないように節度をもって控えめに行動すべきことが求められます。その自覚が弁護士任官者に弱いと思われる方もあるかも知れません。私は任官前に政党の推薦を受けて市長選に立候補したこともありましたが、そんな私でも任官後その信頼を損なうことはありませんでした。思想・信条は、法に従う立場を自覚した裁判官の行動を左右するものでありません。

 結局、司法制度改革審議会意見書にもある「裁判官の給源の多様化、多元化」を実現することに重点をおいた弁護士任官選考をすることが大事です。それが憲法の定めにふさわしいと考えます。