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和歌山

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戸別訪問禁止違憲訴訟
H.T.記

 選挙に際して候補者や運動員の戸別訪問を受けたことがある方は少なくないでしょう。しかし、公職選挙法138条1項には、「何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問をすることはできない。」と規定され、さらに処罰規定もあります。最高裁判所は、1950年9月27日の大法廷判決以来、「公共の福祉」(憲法13条)を理由として、合憲としてきました。

 本件は、1967年1月に実施された衆議院議員選挙に際して、和歌山県第1区から立候補した候補者の選挙運動者が、投票を得させる目的で5名を戸別訪問した行為が上記の法律に違反するとして、罪に問われた事件です。これに対して、和歌山県の妙寺簡易裁判所は、戸別訪問は、憲法21条1項の表現の自由の規定によって保障される権利であり、戸別訪問の禁止は憲法に違反すると判断して、無罪を言渡しました(1968年3月12日)。確定判決とみられる最高裁の判断に抗して多数出されている下級審判決の一つです。

 戸別訪問は、選挙を離れて一般的に言えば、ご近所や知人を訪問して情報を提供し意見を交換したり頼みごとをするための日常的なコミュニケーションとして、ごく普通に行われています。問題は、選挙の時を例外として扱うかです。戸別訪問は、欧米諸国では選挙運動の基礎的・基本的な方法とされています。全面禁止は、他にほとんど例を見ない日本特有の規制です。選挙運動に対する厳しい制限は、戸別訪問に限りません。

 実は、日本でも、大日本帝国憲法が制定されて選挙制度ができた当時は、戸別訪問は自由でした。1925年、当時世界の趨勢となっていた男子の普通選挙を導入するのと引き換えに禁止され、また、治安維持法が制定されました。庶民の意思が議会に反映されることをおそれたためと言われています。

 妙寺簡易裁判所は、憲法21条が保障する表現の自由は最も重要な基本的人権として尊重され、保障されなければならないとしました。といっても表現の自由といえども内在的な制約があります。当裁判所は、その制約を受ける場合とは、表現の自由を制限しなければ、制限した場合に比べて(他人の)基本的人権の上により重大な害悪を生ずることが明白であり、かつその危険が緊急の切迫したものである(危険が現在する)という要件を満たす場合(「明白かつ現在の危険の理論」)であり、戸別訪問についても同様に考えるべきものとしました。

 そして、選挙運動における言論を、選挙運動における最も重要な手段であり、議会制民主主義制度をとっている我が国では選挙は国民が積極的に政治に参加するための最も重要かつ基本的な手段であると位置付けました。そのうえで、選挙運動において戸別訪問は、最も生活に密着した基礎的な方法であり、しかも財力の多寡を問わず、すべての候補者や選挙運動者に平等に与えられた手段であるから、選挙運動の中でも最も自由が保障されなければならないとしました。
 これに対して、戸別訪問を禁止する理由として、買収や利害誘導、威迫が考えられ、それは重大な害悪であるが、それらの不正行為は戸別訪問自体と性質上の因果関係を有するとはいえない等述べて、前記の「明白性」の要件が欠けていると判断しました。

 妙寺簡易裁判所は、おおむね以上の理由により、明白かつ現在の危険がない場合を含めて戸別訪問を全面禁止する規定は表現の自由を侵害して違憲であるとし、無罪と判断しました。

 違憲と判断する下級審は、表現の自由の重要性(優越的地位)を重視して、禁止とする目的や方法を厳格に審査しています。これに対して、最高裁判所は緩やかな審査で合憲と判断しています。その論理の一つは25年判決にあるように、戸別訪問の禁止は表現行為の時、所、方法に関する規制に過ぎないというものです。また、表現の自由の間接的・付随的な制約に過ぎないという論理も用いられています。これに対しては、冒頭にあげた法文を見る限り表現の内容に着目した規制である、また、間接的・付随的な制約ではなく、選挙における主要な表現活動そのものを直接制約するものである、という反論が強く出されています。

 選挙における自由なコミュニケーションは、その国が真に自由で民主的かを示すバロメーターとも言えるでしょう。戸別訪問に限らず、選挙運動の自由の保障をいかに拡大していくかが、重大な課題になっています。

<寄稿>  国際人権からみた戸別訪問裁判

弁護士 河野善一郎(大分県弁護士会所属)

1,公選法裁判は重い
(1)具体的事件の弁護を担当する実務家にとって、公選法刑事裁判は重いというのが率直な感想である。警察庁の犯罪統計によれば、日本では1946年以来今日まで、戸別訪問罪で41,697人、文書配布罪で49,592人の市民が検挙され、有罪判決を受け、これらの人々の公民権が剥奪された。言論表現の自由が最も尊重されるべき選挙に関して、これほど多数の市民が処罰され、資格を剥奪されている選挙制度は世界に類を見ない。
(2)これまでに、戸別訪問罪や文書配布罪で起訴された少なくない市民は、公職選挙法の制限が、表現の自由を保障した憲法21条に違反すると主張して争った。一時期は全国で40件も裁判が係属し、各地の弁護団が集まって理論面、支援運動面での対策を議論したが、なかなか展望が開けなかった。最高裁の1950年大法廷判決の前に、下級審裁判官は有罪判決を繰り返し、各事件の弁護団は苦しい闘いを余儀なくされたのである。そうした情勢の中で68年の妙寺簡裁判決は、私達に大きな勇気を与えた記念碑的判決だった。その後は80年代にかけて、各地の地裁と高裁で合計10件の違憲無罪判決を獲得したが、最高裁判所は、「公共の福祉」のために必要やむを得ない制限であるとして、高裁の無罪判決を破棄し、現在裁判所が選挙運動の自由を保障する判決を下す見込みはない状況にある。
2,人権条約から見た選挙運動
(1)日本は、1979年に「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(略称:自由権規約)を批准した。学説及び政府答弁も、批准した条約は憲法98条により国内法に優越すると解している。この自由権規約は、各種の基本的人権について、その制限の目的と制限事由を各権利ごとに具体的に明記している。「公共の福祉」という漠然とした一般的な制限事由はない。
(2)自由権規約19条は、表現の自由として、自ら選択する手段により、あらゆる種類の情報を受け伝える自由を保障し、その制限は、他者の権利、公の秩序の保護を目的とする必要なものに限る、と限定している。また25条は、政治参加の権利として、不合理な制限なしに、選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な選挙において、投票し選挙される権利を保障している。要するに、すべての市民に、「自由かつ真正な選挙」において、自ら選択する手段により、選挙し及び選挙されることを権利として保障している。従って、戸別訪問や文書配布による選挙運動は、規約上も保障された具体的権利である。
3,新しい挑戦−公選法・大石事件−
(1)今裁判所の閉塞状況を打破すべく新しい挑戦が始まっている。福岡高裁に係属している大石事件は、自由権規約を前面に立てて争っている。大石氏は、2003年4月施行の豊後高田市々議会議員選挙で定数22名中トップ当選したが、戸別訪問罪、文書配布罪の容疑で大分地方裁判所に起訴された。理由は、選挙の告示2週間前に、彼が「家族・友人に今すぐ大石の票を頼んで下さい」などと記載した手製のビラを18戸の市民宅を訪問して配布したからである。
(2)この裁判で弁護側は、思い切って元規約人権委員会委員であったE・エヴァット女史(在シドニー)を証人申請し、05年6月大分地裁で証言が実現した。女史は、規約人権委員会の権限と規約の解釈態度について詳しく証言したうえで、(1)規約19条と25条は、共に戸別訪問や文書配布の権利を保障している。(2)権利の制限を考察する場合には、委員会は「比例原則」に照らして考察している。(3)「比例原則」は、制限が目的とする脅威ないし弊害の存在が明確に立証されなければならず、制限は脅威と比例したものでなければならない。(4)自由な戸別訪問や文書配布が、真正な選挙に対する脅威となることが具体的に明白でなく、制限が極端すぎて「比例原則」に適合しない、と明確に証言した。
(3)しかし、06年1月大分地裁は、大石氏に対して罰金15万円、公民権停止3年の有罪判決を下した。判決は、相変わらず最高裁の判決を下書きにして、「公共の福祉」のために必要やむを得ない制限であり、規約19条にも違反しないと言っている。しかしE・エヴァットさんの証言や「比例原則」に一言も触れず、無視している書きぶりが、かえって人権条約の重みに追いつめられた悩みを物語っている。人権条約の国内適用こそが展望を切り開く確かな手応えと感じている。福岡高裁では、さらに「比例原則」を解説するため、シルビア・ブラウン教授の証言を得た。高裁判決は、来る9月7日に予定されている。なお、判決、弁論要旨、エヴァット意見書などの資料を公開しているので、ご参照下さい。