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鳥取

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鳥取県人権条例
Y.M.記

 2005年10月12日、鳥取県県議会は、「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」を可決しました。その目的とは、「人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防に関する措置を講ずることにより、人権が尊重される社会の実現に寄与すること」(1条)にあるとされており、このような目的をもつ条例は全国で初めてのものでした。
 しかしながら、この条例をめぐっては、その提案当初からこれに反対する意見が、鳥取県内のみならず県外からも多く寄せられました。

 この条例では、上記の目的を達成するために5名の委員からなる「人権侵害救済推進委員会」を設置し(4条、6条)、「人権侵害」を受けたとされる個人の申し立てに基づいて「調査」を行い(18条)、「調査」結果次第では「人権侵害」を行ったとされる「加害者等」に対して「勧告」を行い(24条1項1号)、それに「加害者等」が正当な理由なく従わない場合には氏名などの「公表」を行うこと、あるいは、そもそもこの委員会による「調査」に対して法の定めや正当な理由なく協力しない場合には「5万円以下の科料」を科すことなどが定められています。

 けれども、重大な問題は、この条例では「人権侵害」の定義が曖昧で、ともすれば個人同士の日常的な会話の中で出てきたちょっとした悪口なども「人権侵害」とみなされて、委員会の「調査」対象になるかもしれないということです。これは、この条例が憲法21条の表現の自由との関連で構造的にもっている致命的な欠陥といわざるをえません。また、委員会の「調査」は、実質的にはほぼ強制的に行われる仕組みになっています。これは、自白や供述を強制されないことを定めた憲法38条からみても、非常に問題の多い部分といるでしょう。
 さらに、この条例において問題となるのは、いわゆる私人間における「人権侵害」への「調査」や救済の必要性を強調する一方で、公権力による「人権侵害」への「調査」協力については、公権力側にあまりにも広い抜け道が用意されているということです(19条3項、4項)。そもそも、「人権」という観念が、国家をはじめとする公権力に対する個人の切り札として誕生してきたという歴史からすれば、これでは本末転倒といわざるをえないでしょう。
 ちなみに、この条例は、2006年6月1日から施行される予定になっておりましたが、以上のような問題などに対する圧倒的な批判を前に、2006年3月24日、鳥取県県議会は、「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例等の停止に関する条例」を全会一致で可決し、この条例の施行は延期されることになりました。

 確かに、日常的に生じうる私人間の人権侵害については重要な問題であり、憲法学もこれに対応していくべき課題を負っていると考えます。しかし、安易にこのような形の条例や法律をひとたび認めてしまうと、それが、「人権侵害」の救済を名目に国家をはじめとする公権力に対し、それとは切り離された自由空間であるはずの市民社会に堂々と入り込んでくる契機を与えてしまうことになるという視点も見逃してはならないでしょう。

<寄稿> 人権救済条例施行停止の顛末

 安田寿朗(鳥取県弁護士会・弁護士・ 鳥取県人権条例見直し検討委員会委員)

 2005年10月12日、鳥取県議会は、議員提案で「鳥取県人権救済推進及び手続に関する条例」をわずか1週間程度の審理の末、28名中26名の圧倒的多数によって可決成立させた。メディア、良識ある市民そして鳥取県弁護士会の危惧を無視した暴挙であった。人権侵害によって救済されず泣き寝入りを強いられている広範な人々がいるにも拘わらず、国の人権救済法はいまだ成立せず、また、裁判による人権救済は時間とお金がかかり庶民には高嶺の花とされている、これが制定の理由であった。

 これに対して、鳥取県弁護士会は、(1)公権力による人権侵害には甘く不十分である、(2)人権侵害の範囲が市民間の紛争に向けられており行政が市民生活に過度に干渉するおそれがある、(3)人権侵害の定義が曖昧であり、また調査に関して適正手続の保証がないことから誤判を防げない、(4)公表や科料というペナルティーは過酷すぎる、(5)審理にあたる委員会の独立性がない等の理由から、人権救済の名の下に新たな人権侵害がもたらされる危険があるとして、再度反対の会長声明をあげ、県条例の施行には委員の派遣など一切の協力を拒否した。

 同時に、世論が敏感に反応し、鳥取県のホームページに、連日、全国から条例制定に抗議するメールが嵐のごとく殺到するという騒然とした事態となった。このような中で、県執行部は、このままでは県条例の施行はおぼつかないものと判断し、2005年12月から翌年1月までの2回にわたって、学者・弁護士などを加えた有識者会議を主催し、意見を聴く機会をもったが、そのままの施行を肯定する意見は皆無であった。

 このような経緯を経て片山県知事は、県条例の施行を諦め、無期限延期の意思を固め、2006年2月から開催された県議会に新たにその為の条例案を上程し、停止に至った。

 その後、鳥取県は、学者、弁護士、有識者らによって構成される条例の「見直し検討委員会」を結成し、条例の改廃を含む取扱いについて検討をすすめている。検討委員会は、2007年の8月までで計16回開かれ、同年度中には最終意見がまとめられる予定だが、検討過程において当初危険視されていた問題点がますます鮮明になっている。

 いずれにしても、この条例の帰趨は、国の「人権擁護法案」のあり方にも、また人権侵害に対する独自の救済機構を検討しようとしている地方自治体の動向にも重大な影響を与える問題である。