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徳島(2)

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徳島ラジオ商殺人事件
Y.M.記

 1965年に公開された故・山本薩夫監督の映画『証人の椅子』は、冤罪をテーマにした往年の名作です。夫殺しの濡れ衣を着せられ有罪となり服役した妻が、出所後に自らの力で真犯人を捜し出そうとするも、志半ばでこの世を去った妻に代わってその遺族が真実の証言を引き出して死者の無実を晴らす過程が描かれており、この妻役を現在も活躍中のベテラン女優である奈良岡朋子さんが迫真の演技で演じています。もともとこの映画の原作は故・開高健氏の『片隅の迷路』(1962年)でしたが、これらの作品は実際にあった事件がモデルとなっています。それが、1953年に発生した徳島ラジオ商殺人事件です。

 1953年11月5日早朝、徳島県徳島市でラジオ商を営んでいた男性が、店舗で刺殺されるという事件が発生しました。当時、現場となった同じ部屋には、この男性の内妻である富士茂子さんが3女と共に就寝しており、茂子さんもまた怪我を負いました。2人は知らない男性が侵入してきて犯行に及んだと証言し、当時の徳島市警も外部からの犯行という路線で捜査を始め、その結果徳島市内の暴力団員を有力な容疑者として逮捕します。
 しかしながら、証拠不十分でこの暴力団員は後に釈放されます。一方、この頃から警察とは別個の捜査を行っていた徳島地検は、内部による犯行という見方へと捜査の路線を切り替えていきます。そこで徳島地検は、当時このラジオ商で住み込み店員をしていた17歳と16歳の少年を逮捕、それぞれ45日間と27日間も身柄を拘束して内部犯行説を裏づけるための執拗な取り調べを行いました。そして、徳島地検は、この2人の少年が犯行の一端を担ったという嘘の証言をでっち上げ、事件から約9ヶ月も経過した1954年8月13日、それら証言に基づき被害者の内妻であった茂子さんを殺人容疑で逮捕したのです。

 茂子さんは、厳しい取り調べによって一度は犯行を自供し起訴されましたが、法廷では一貫して無罪を主張し続けました。しかし、1956年4月18日、徳島地裁は、徳島地検が強引に引き出した2人の住み込み店員による虚偽の証言を根拠として、茂子さんに懲役13年の有罪判決を言い渡しました。これに対し、茂子さんは控訴。けれども、1957年12月21日、高松高裁も茂子さんの言い分を認めず、控訴を棄却します。そして、茂子さんは、一旦は最高裁への上告を決意するも、裁判費用の問題などからやむを得ず上告を取り下げ、これにより茂子さんに対する懲役13年の刑が確定することになるのです。

 しかしながら、これは新たな戦いの始まりでもありました。茂子さんの親族らは、茂子さんの有罪が確定する前から茂子さんの無実を信じて、その汚名を晴らすための粘り強い努力を行っていましたが、茂子さんが最高裁への上告を断念した直後、茂子さんの犯行を証言した2人の住み込み店員から、その証言は検察に強制されたでたらめなものであったという新証言をついに引き出します。
 そして、これを契機として1959年3月10日、茂子さんは、獄中から高松高裁に第1次再審請求を行いました。この再審請求は同年11月5日に棄却されてしまいますが、その4日後、再び茂子さんは今度は徳島地裁に対して第2次再審請求を行います。この第2次再審請求も最高裁によって棄却されることになるのですが、茂子さんは再審を諦めることはありませんでした。1966年11月30日に仮釈放されてからも、茂子さんは自らの疑いを晴らすために再審請求を行い続けます。
 そして、1980年12月13日、徳島地裁は、第6次にも及んだ再審請求を経てついに茂子さんに対する再審の開始を決定しました。検察側はこれに対して必死に抗いましたが、1985年7月9日、徳島地裁は、茂子さんに対する無罪判決を言い渡しました。実に事件発生から32年もの時を経て、ようやく茂子さんの名誉が回復された瞬間でした。
 けれども、そのときそこに茂子さんの姿はありませんでした。茂子さんは再審の開始すら知ることなく、判決から6年も前の1979年11月15日にこの世を去っていたのです。そこにはあまりにも非情な時間が流れていました。

 この裁判は、元受刑者がその死後に再審を認められた初の事例としても注目されました。最終的にこの事件は冤罪であることが証明されましたが、しかし茂子さんが無念のうちに過ごしたかけがえのない時間は、もう永遠に返ることはありません。その意味でこの事件は、日常的に潜む冤罪の恐ろしさを、改めて私たちに伝えているように思います。


<コメント>ラジオ商殺人事件の裁判から学ぶべき教訓  

秋山賢三(東京弁護士会)

  (*徳島ラジオ商殺し事件の再審開始決定に際し、裁判官として裁判を担当された秋山賢三弁護士にご寄稿いただきましたので、ご紹介します。  法学館憲法研究所事務局)

1.理不尽な「見込み捜査」
徳島ラジオ商殺し事件は、犯罪被害者の妻冨士茂子さんに対し、検察が不当な見込み捜査をして起訴し、裁判所が理不尽な理由を付けて懲役13年の有罪判決を言い渡した冤罪事件である。外部犯人説による捜査が行き詰まるや、検察は捜査方針を転換して三枝家の内縁の妻茂子さんに殺人犯の汚名を着せることに全力を挙げた。

2.犠牲となった住み込み店員                     
 茂子犯人説の証拠作りのため、検察は住込店員2名の犯罪をでっち上げて少年鑑別所に収容し嘘の供述をさせた。45日、27日間に及ぶ拘束中に2人は茂子犯人説を裏付ける供述調書に署名した。公判では「調書どおりに証言しないと偽証罪で懲役10年になる」と威嚇され、調書どおりに証言した。判決確定後茂子さんは獄中から再審請求をし、日弁連が徳島市に調査に出向いたとき、検察はAとNに対して、供述を翻さないよう部屋に閉じこめて働きかけた。 

3.いい加減な判決
 刺身包丁を投げ捨てたとのN証言の信憑性の判断のために、2度も両国橋付近の川浚えがなされたが包丁は出て来なかった。しかし判決は、一、二審とも「発見の能否は別個の問題で、発見できなかったとしても直ちに投棄の事実を否定できない」と居直った。供述を客観的証拠に優越させた誠に不当な判断である。

4.冤罪の痛ましさ                     
 茂子さんは雪冤のために残人生の全てを費やしたが、「再審開始決定」の前にこの世を去った。事件当時10歳の長女も不幸な人生に終わっている。証言をした住込店員Nは2度も自殺を図り、その娘の人生も幸せなものではなかった。冤罪は人の人生を弄ぶのである。 
               
5.官僚は責任を問われない                      
 冤罪被害者達の家族の惨状と比較し、冤罪を創ることに積極的に関わった検察官や裁判官の官僚達はそれぞれに栄進している。官僚は仕事上の責任を問われないのである。

6.全面的証拠開示の重要性                      
 徳島地裁に再審申立がなされた後、弁護団は証拠開示を申立て、不提出記録22冊が再審裁判所に提出された。茂子さんの家族が寝ていた布団のシーツ上に、泥靴の靴跡が印象された写真が実況見分調書中に存在していたが、6葉の写真が剥がされていることが判明した。証拠の全面的開示が冤罪防止のため如何に重要かが現れている。                      
 しかし、昭和59年「証拠開示は慎重にされたい」との最高検次長検事通達がなされ、それ以降、再審における証拠開示はなされず、以後、我が国の再審請求は「逆流の時代」を迎えている。全面的証拠開始が冤罪防止のため不可欠であることは明らかである。

以上