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香川

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財田川事件
Y.M.記

 「冤罪」という言葉があります。これは、実際には犯罪行為を行っていない人が、被疑者として起訴され、裁判で有罪判決を受けることをいいます。濡れ衣、無実の罪といってもいいでしょう。最近でも、周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」が痴漢冤罪をテーマにし話題を集めました。「冤罪」は、やってもいないことで刑罰を科されるという意味で、理不尽極まりないあってはならないことであることはいうまでもありませんが、中でも「冤罪」によって「死刑」を科される場合の悲惨さは、想像を絶するものがあります。これは杞憂ではありません。実際に、かつて「冤罪」によって死刑判決を受けながらも再審によって無罪を勝ちとり、死の際からの生還を果たしたという事件がいくつかあったのです。そのひとつが「財田川事件」と呼ばれる事件です。

 悲劇は香川県三豊郡財田村で起こりました。1950年2月、闇米ブローカーが惨殺され現金を奪われるという事件が発生し、当時19歳だった谷口繁義さんが別の事件で逮捕されたことからこの事件は始まります。谷口さんは、この強盗殺人事件の容疑をかけられ約2ヶ月に及ぶ取り調べの結果、自らが犯行を行ったことを自供しました。しかし、この約2ヶ月間の取り調べについては殴る蹴るの拷問に等しいやり方で、自白も強要されたものであったことが分かっています。
 谷口さんは起訴されますが、公判中は一貫して「無罪」を主張し続けました。けれども、1952年2月20日、第1審の高松地裁丸亀支部は、谷口さんのズボンに付着していた血痕が被害者のものと一致するという検察側の主張を認め、谷口さんに対して死刑の判決を言い渡します。谷口さんは控訴しましたが、1956年6月8日、高松高裁は控訴を棄却、そして1957年1月22日には、最高裁が谷口さんの上告を棄却し、谷口さんに対する死刑判決が確定することになるのです。

 ここで、被疑者と被告人の権利について、日本国憲法がどのように規定しているかを簡単にみておきましょう。日本国憲法は、31条から40条にかけて、刑事手続に関する詳細な規定をおいています。これは、長い歴史の中で、恣意的な逮捕・監禁・拷問などによって人身の自由が脅かされていたという反省の中から生まれてきたものです。とりわけ、36条では、公務員による被疑者への拷問の禁止が明示され、さらに38条では、自分に不利益な供述を強要されない権利(1項)(これを踏まえて刑事訴訟法198条、291条、311条では、「黙秘権」が規定されています)や、強制・拷問・長期拘留などによって得られた自白が証拠能力をもたないこと(2項)、そして自白だけでは有罪とされ刑罰を科せられないということ(3項)がはっきりと定められています。先にも少し紹介しましたが、谷口さんに対する取り調べは、これらの点からいっても憲法に真っ向から反するものであったといわざるをえないものでした。

 再び「財田川事件」に戻りましょう。扉は思いがけないところから開かれ始めました。谷口さんの死刑確定から12年後の1969年のある日、高松地裁の裁判官であった矢野伊吉さんは、それより5年も前に谷口さんが同地裁に宛てた1通の手紙を偶然目にします。そこには、谷口さんが自らの身の潔白を証明したいという内容が綴られていました。矢野さんは、裁判官の職を辞し谷口さんの弁護人となって献身的な努力を重ね再審請求を行い、捜査段階での警察や検察による捏造工作や谷口さんの自白の矛盾などを次々と明るみに出していきます。苦節の末、やがてこの努力は実を結び、1981年3月14日には、高松地裁が再審を開始しました。そして、それから3年後の1984年3月12日、高松地裁は、谷口さんに対して無罪判決を言い渡し、ようやく谷口さんは晴れて自由の身となったのです。谷口さんが自由を奪われてから、約34年もの月日が流れていました。

 先にも述べたように、死刑囚が再審によって無罪判決を勝ちとった事件には、この他にも免田事件(1952年死刑確定、1983年無罪判決)、松山事件(1960年死刑確定、1984年無罪判決)、島田事件(1960年死刑確定、1989年無罪判決)があります。いずれの事件も、無罪判決までにかなり長期の時間を要しています。この間、身に覚えのないことで常に死と隣り合わせでの生活を余儀なくされてきたこれら被害者の方々の恐怖と絶望感は、筆舌には尽くしがたいものであったことでしょう。ひとつ間違えば命さえ奪われかねない「冤罪」を無くすための制度的な改善を考えていかなければなりません。そのためには、被疑者の自白をとりつけるために長時間にわたり強引な取り調べを可能とする点で「冤罪」の温床と批判されてきたいわゆる「代用監獄」の廃止や、また死刑制度それ自体も「冤罪」の観点から見直していく必要があるように思われます。

<投稿>財田川事件に学ぶ

田端英二(香川県在住、法学館憲法研究所賛助会員)

 富山県氷見市のタクシー運転手が、2件の強姦事件の犯人として服役後、真犯人の自供があり、6月6日から再審手続に入ると報道されていた。先日は、鹿児島で公選法違反の冤罪事件があった。調べてみると、冤罪事件は毎年のように続いている。

 財田川事件の谷口さんは、33年と11ケ月獄中生活を強いられた。しかも、最高裁で死刑判決が確定し、執行されようとして、執行に必要不可欠な公判不提出記録が紛失しているのが解り、死刑執行されない死刑囚となった。

 私も、第二次再審請求の、最高裁の決定と、佐久間哲氏の「ニッポンリポート 財田川事件」を読んでみた。
 認定事実についても、弁護側・検察側の主張は、黒澤明の映画「羅生門」のように全くかみ合わないミステリーのようだと思った。
 強盗殺人罪の証拠としては、谷口さんの自白と、ズボンの血痕(古畑鑑定を含めた鑑定)だけといってよかった。
 再審の高松地裁は、最高裁決定を受け、拷問による自白の主張はしりぞけたが、谷口さんの自白の真実性に幾多の疑問が残るとして、犯罪の証明がないとした。

 自白強制防止のためには、憲法38条を活かした解釈、「代用監獄」制度の制限・廃止、捜査の可視性と弁護権の保障、冤罪防止のためには、裁判官の自白の取扱方と事実認定のあり方、伝聞証拠のあり方、参考人の取調べのあり方に配慮すべきとされている(青木英五郎「日本の刑事裁判」岩波新書黄版83)。

 さて、実を言うと、私は無罪になった谷口さんが生きていた頃、現在の財田町の住人から「谷口さんが犯人でないのか」という中傷を直接聞いて驚いたことがある。
 一度報道されると犯罪者にされてしまうおそれがあることを、松本サリン事件の河野義行さんが豊中町の人権講演会で話されるのを聞いた。河野さんは逮捕されなかったが、取調中、逮捕覚悟で子供達に通帳と家屋の処分を話したらしい。また、弁護士は風説を信じ動揺し、専門家の「簡単な薬品調合でサリンは作れない」という話を聞いて、冤罪を確信したと聞いている、と話された。

 人は他人の心の中を直接のぞけない。裁判を「神様のマネをしている」という人もいる。タイムマシンで犯罪現場を見ることもできない。捜査への思い込みが冤罪をつくるのだと思う。