法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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ココロ裁判
T.O.記
 1986年、北九州市教育委員会は、入学式・卒業式などにおける「国旗国歌」の取扱いについて、「四点指導」と呼ばれる通知を出しました。これは、(1)国旗掲揚の位置は式場のステージ中央とし、児童生徒が国旗に正対するようにする、(2)式次第の中に「国歌斉唱」を入れ、それに基づいて進行する、(3)「国歌斉唱」はピアノ伴奏で行い、児童生徒及び教師の全員が規律して、正しく心をこめて歌う、(4)教師は卒業式に原則として全員参列する、というものでした。

 これに従わなかった教職員に対して、北九州市教育委員会は懲戒処分を行い、その処分は、回を重ねるごとに、厳重注意から訓告、そして戒告、減給へと重くされていきました。1996年11月、これらの処分を不服とする教員ら17名が、その処分の取り消しなどを求めて出訴したのが、「ココロ裁判」です。

 提訴から9年後の2005年4月26日、福岡地裁は、原告らの主張を一部認め、減給処分を取消しました。しかしその理由は、単に処分が重すぎるということであり、戒告処分等の取消しは認めませんでした。また、市教委の四点指導は、校長らを拘束するものであって旧教育基本法第10条が禁止する「不当な支配」にあたるとされた一方で、国歌斉唱を義務付けることは、憲法19条に違反しないとされています。

 当研究所のホームページの「今週の一言」で、この訴訟の原告の一人である竹森真紀さんにご登場いただいております。

 なお、2006年9月21日、東京地裁は、国歌斉唱を教職員に義務付けることは、憲法第19条が保障する「良心の自由」を侵害し、憲法違反であると判示しました。2006年12月に教育基本法が改定され、旧教育基本法第10条が禁止していた「不当な介入」について、国家が「不当な支配」の主体から外されてしまった今、憲法第19条の意義が改めて問われてくると思います。

(2007年1月22日)


〈投稿〉私にとっての国旗掲揚、国家斉唱

仰木 伸介(福岡県在住・司法書士・福岡司法書士9条の会代表世話人)

教育基本法が十分な議論もないまま改正された。私も戦後教育を受けてきた一人であり、思い起こせば、毎週月曜に行われる全体集会では国旗掲揚と君が代を斉唱し、運動会の時にも同様のセレモニーが行われていた。そこでは、脇目もふらず一糸乱れぬ姿で行進し、直立不動で大声を張り上げて「君が代」を歌う児童が「よい子」と褒められる。そして、その児童は優越感に浸りながら、この命令に従わない子供達と接していく・・・・、そんな記憶が甦る。そして、私も「よい子」を演じる側の一人であったことが、その後の私の人生に悪影響を与えている・・・と感じることがこれまでにも多々あった。

我が家には二人の子供を授かったが、子供達とは幼少の時から「国旗と国歌」の問題について話をしてきた。結果、高校生と中学生になった子供達は、彼らなりに、憲法第19条が保障する「良心の自由」を考え、現在の学校生活でも避けて通れない「国旗と国歌」の問題に対応している様である。

教師が生徒に国旗・国歌を尊重することを教育するためには、教師自らそれを態度で示さねばならないという考え方を聞くが、「四点指導」のように、教職員に国旗掲揚と国家斉唱を義務づけることで、それが実現するとは思えないし、それが正しいとも思わない。逆に、教師の思想・信条の自由を保障し、教師と生徒が制限されない環境の中で互いの考えを語りあっていく過程で、生徒自らが、大切な「ココロ」を涵養していくのではないだろうか。

今年初め、小学校時代の同窓会が行われて久しぶりに恩師にお目にかかったが、その席で、当時の恩師は文部省の指導要綱に反撥し、自分の思想・信条で教育の現場にあたっていたため、上司からは非常に冷たく扱われてきたのだと話しておられた。今思えば、恩師は大変厳しい教師であり、同窓会でも当時の指導方法の話になると盛り上がる。しかし、誰もが、国旗を掲揚し、君が代を斉唱してきたから、同窓生の人間関係が今まで続いてきたとは思っていない。むしろ、国家の不当な介入に対して戦いを挑んできた教師に出会い、その生き様を見てきたからこそ、同窓生の人間関係が継続しているのだと感じ、あらためて「教育」という問題を考えさせられた。