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福岡(2)

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学資保険裁判
林 健一郎(福岡県弁護士会・学資保険裁判弁護団)
 ある生活保護所帯の親が、子どもたちの高校進学に備えて、乏しい生活保護による厳しい生活をなんとかやりくりして、学資保険を掛けていたところ、それが満期になったところで、福祉事務所が、その満期金を収入として認定し、その分だけ生活保護費を減額したという事件です。福祉事務所のこの措置は、生活保護所帯の人が子どもの進学のために生活を切り詰める努力自体を否定するものとして、多くの人たちの憤激を呼び起こしました。
 裁判の結果は、最高裁判所が、生活保護費の使途については、生活保護法上も、生活保護所帯にある程度の自由が認められているとして、保護費減額処分を違法とし取り消しを福祉事務所に命じたことによって、訴えていた生活保護所帯の人の勝訴で終結しました。(2004年3月16日)
 わが国における生活保護の基準がもともと低過ぎるうえに、制度が出来て以降、何度も切り下げられてきたという歴史的経過のなかで、1957年に始まったかの有名な朝日訴訟以来、いくつもの裁判を経てきていますが、その多くは、生活保護の支給水準が低すぎて憲法25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害するのではないか、ということを問題とするものでした。
 しかし、学資保険裁判はこれらとは問題の性質をいささか異にして、保護費の使用をめぐる生活保護所帯の自己決定権を問う裁判でした。
 最高裁は先に述べたように、生活保護法の問題として処理しましたが、この最高裁の法理を支えてのは、それに先立つ福岡高裁の判決(1998年10月9日)であったと思われます。この判決は、憲法25条の生存権保障の具体化である生活保護制度は、「被保護者の人間の尊厳に相応しい生活を保障することを目的」としているものであり、「人間の尊厳に相応しい生活の根本は、人が自ら生き方ないし生活を自ら決するところにあるのであるから」、生活保護費の使途についても、原則的に自由でなければならないとしました。
 本件の裁判及び判決は、日本の社会・経済発展と生活・文化が成熟する中で、市民の意識も変化・発展し、個の意識が成立・確立してきたという事情の中で生まれたものといえるでしょう。そういう意味では、生存権をめぐる闘いの歴史の中でも新しい問題を提起したといえるのではないでしょうか。
 しかし、生活保護の給付の問題と、保護費をめぐる自己決定の問題は決して切り離して考えられるべきものではありません。両々あいまってこそ初めて、憲法25条がいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は実現するものであるに違いありません。
 現在、財政問題を唯一の理由として、後期高齢者医療制度をはじめ、社会保障制度の切り下げが次々に強行され、国民の生存権が侵害されつつあります。しかし、財政問題を理由に、憲法で保障された基本的権利である生存権を侵害していい訳はありません。このような政治・行政は憲法に違反するものというべきです。
 かって東京地裁は、先にあげた朝日訴訟事件判決(1960年10月19日)で、生活保護の水準は、「その時々の予算の配分によって左右されるべきものではない・・・。予算を潤沢にすることによって最低限度以上の水準を保証することは立法政策として自由であるが、最低限度水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配するものである」としましたが 、これは、憲法が生存権を保障していることの当然の帰結です。
 国民の生存権を、国・政府に保障させるために、私達も今一度、日本国憲法に立ち返る必要があるのではないでしょうか。