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佐賀

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諫早湾干拓工事差止め仮処分事件
H.T.記

 有明海は多種多様な魚介類が豊富で、宝の海と呼ばれてきました。ノリは日本で有数の産地でしたし、湾の奥部にだけ生息するエツは特産でした。アサリやタイラギ等の貝類にも恵まれ、海をとり囲む山や川と共に、漁民だけでなく周辺住民全体の生活の基盤を支えてきました。しかし、海岸は次第に各種の「公共工事」によって汚染され、最後の諫早湾干拓工事はこの海を死の海としました。干拓工事の目的として、「優良な農地の造成」と、「防災機能の強化」が掲げられました。豊かな干潟が広がる諫早湾は、有明海を支える要とも言える自然環境でした。この工事のため漁獲資源が枯渇し生活に困った漁民の多くは転業し、関連産業も衰退してゆきました。

 そのため、漁民ら約1000名は、2002年12月、工事の差止めと有明地域全体の自然の再生を目指して、佐賀地方裁判所に工事の差止めを求める仮処分と本訴を提起しました。漁業権(漁業を行使する権利)が根拠です(本訴は人格権も)。仮処分は、一般に本訴の判決の確定を待っていたのでは権利を守り損害を防止するという紛争解決の目的を達成することができない場合の制度です。

 佐賀地裁は、04年8月26日、漁業者らの申請を全面的に受け入れ、国に対して干拓工事を続行してはならないと命じる仮処分決定を出しました。この裁判の争点の第1は、漁民が被っている漁業被害の事実と、その被害を発生させている干拓工事との因果関係の存在でした。民事保全手続においてどちらがどの程度の因果関係の立証を要するかは極めて重要な問題です。この点、裁判所は、「漁業者らと国との間には資料収集能力に差があり、その差を無視し漁業者らに高度の立証を求めるのは公平でない」として、漁業者側の疎明は「一般的に疑われる程度で十分」であり、後は行政が立証責任を負うべきことを宣言して、被害の事実を認定したうえで、事業との因果関係を認めました。
 第2は、漁業被害の重大さと、工事を差し止めることによる損害の大きさの比較考量の問題です。国側は、工事が既に90%以上進んでおり、被害は完成した部分によって生じているのであるから、差止めても被害を防止することはできず、工事差止めの損害は重大だと主張しました。これに対して漁業者らは、これは工事のやり得の論理だと反論しました。裁判所は、漁業被害の程度は深刻で、その損害を避けるためには工事が完成した部分を含めた事業全体を再検討し必要に応じた修正を施すことが肝要であるとして、漁業者らの主張を認めました。
 この地裁決定は、ともすれば行政の追認になりがちな差止め事件が多い中で、取り返しのつかなくなる環境保全の価値を重視したものとして、大きく注目されました。住民自治の評価にも関わる問題も含んでいます。

 この保全抗告審である福岡高等裁判所は、地裁の仮処分決定を取り消し、漁業者らの申し立てを却下しました(05年5月16日)。争点である工事と漁業環境の悪化の因果関係に関して、干拓工事の差止めを認めるには事柄の性質上一般の場合よりも高い疎明が必要だとして証明のハードルを高く設定し、「定量的関連性を認めるに足りる資料が出ていない」として否定したからです。これに対しては、保全事件では疎明で足りるとする法の原則に反するのみならず、自然科学的な厳格な証明まで要求するものであるとの批判があります。
 最高裁は、高裁の決定を認め、抗告を棄却しました(05年9月30日)。

 今、公共工事によって誰がどんな利益を得、損害を被るのか、将来をも見据えた真の「豊かさ」とは何なのか、民主主義の原則に則って地域住民の声をきちんと生かした政治、行政がなされているのか、そして人権を守る役割を担っている裁判所はその使命を果たしているのか、それぞれが厳しく問われています。

 これらの問題を鋭く提起したこの事件は全国的な規模の議論を巻き起こし、行政や公共事業のあり方についての世論にも影響を与えました。先週、工事の完成式典が行われましたが、有明海の干拓をめぐる漁業民、住民たちの粘り強い闘いは今も続いています。

<寄稿>有明訴訟から見た憲法論

河西龍太郎(弁護団副団長、佐賀県弁護士会)

 大学同期のT氏より、有明訴訟に関連して、憲法問題を論じてもらえないかという話がありました。旧友からの連絡であり、拒否することが出来ず、引き受けてしまいましたが、その後大変困惑いたしました。私たちの訴訟は、仮処分につきましては漁民だけの訴えとし、被保全権利を環境権とせず、漁業権一本に絞ったこともあり、弁護団での憲法論はほとんどしていません。かつ、現憲法といえども50年前のものですから、環境権を見据えた憲法条文があるとは言い難い。いわば現憲法においても環境権は熟成していないといわざるを得ないのではないかと思われるからです。
 しかし今後、「有明問題」を憲法の視点で見直すというのは大変重要なことであると思われますので、以下に私の勝手な意見をまとめてみます。
 1、諫早湾は何万年もの潮の満ち引きと火山活動、海と川と山との接点として、最も安定した形に自然が作り上げたものです。このような自然を人間が(政治が)一時的な食料対策等のために、歪めてよいのでしょうか。
 2、ギロチンによる外海との切断により、何千万匹というハイガイが干潟に浮き上がり、死亡したことはテレビ等でご存知の方が多いと思われます。死んでも砂から出てこないムツゴロウ、ワラスボ、ゴカイ等、多分ハイガイの10数倍の生物が死滅したはずです。このようなジェノサイドを行う権利を人類は持っているのでしょうか。
 3、このような事業が税金で行われ、国民の名の下に施工され、甘い利益を求め公共事業に群がる利権屋のために侵害されて、正論がとおらないのが現状です。

 私は、何としても平和憲法は守らなければならないと思っています。軽はずみな憲法改正論を言うつもりはありません。しかし、自然や環境を守る原動力となる憲法、政治腐敗を断ち切る原動力となる憲法はほしいですね。
 平和憲法と共に、空気や水、海や山や川を守る護憲の政府がほしいですね。
 日本の空気や水、海や山や川はまさに全国的に存亡の危機を迎えていると思われます。
 憲法をこれらを守る運動の中核に据え、それらを守る政府を作る必要性はますます大きくなっていると思われます。


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