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熊本

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ハンセン病訴訟
T.O.記

2001年5月11日、熊本地裁は、ハンセン病回復者たちが起こした国家賠償請求訴訟に対し、歴史に残る原告勝訴の判決を言い渡しました。この訴訟は、1998年7月13日に、13名の原告によって提訴されたもので、ハンセン病患者の隔離政策の違法性、1996年に至るまで「らい予防法」を廃止しなかったことの違法性などを訴えていました。その後、東京、岡山でも同種の訴訟が提起され、原告は700名を超えました。

ハンセン病患者たちは、感染のおそれなどを理由に、療養所に強制収容され、そこで十分な治療を受けることもないまま、労働や他の患者の介護、断種・中絶などを強制され、あるいは暴行を受けるなど、すさまじい人権侵害の被害にあっていました。しかし、ハンセン病の原因となるらい菌の感染力が弱いことは、隔離政策が始まった当初から知られていましたし、プロミンという特効薬ができ、完治が可能になってからも、ハンセン病患者の隔離政策は続きました。

療養所の入所者らの地道な運動もあり、1996年に、ようやく「らい予防法」が廃止されました。しかし、これまでの人権侵害に対する補償などもなく、全てを闇に葬ろうとした政府への対応に、一部のハンセン病回復者たちが声を上げ、「人間としての尊厳の回復」を求めて裁判を提起しました。

熊本地裁判決は、強制隔離政策が、居住・移転の自由の侵害だけでなく、人として人生を発展させる可能性を大きく損なうものとして、憲法13条に根拠を有する人格権そのものへの侵害であるとしました。また、断種や堕胎、強制労働などの存在も認めています。さらに、強制隔離政策についても、それが不要であったにもかかわらず、そうした政策をとり続けてきたことを違法とし、「らい予防法」を廃止することなく存続させ続けたことについても違法と判断して、国に対し総額18億円あまりの賠償を命じました。そして、判決後に行われた原告・弁護団・支援者らの控訴断念運動が実り、小泉首相(当時)は、判決から12日後、控訴断念を発表し、判決は確定しました。判決から1ヵ月後にはハンセン病補償法が制定され、原告以外の入所者への補償も行われました。

しかし、これで全てが終わったわけではありません。ハンセン病回復者らに対する差別は根強く残っています。これを象徴的に示すのが、熊本地裁判決から2年が経った2003年9月に、その判決の出た熊本にある「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」が菊池恵楓園の入所者らの宿泊を拒否したという事件です。国の隔離政策が残した爪あとは、このように深く残っています。国や自治体には、ハンセン病回復者たちに対するこうした差別・偏見をなくすための積極的な取り組みが求められると思います。

<投稿>

法律家にとってのハンセン病問題

遠藤隆久(ハンセン病市民学会事務局次長・熊本学園大学教授)

 2001年5月11日に熊本地裁で勝訴を勝ち取った国賠訴訟判決には、2つの前史があります。1つは95年9月に、当時鹿児島県鹿屋の星塚敬愛園に入所していた島比呂志氏が九州弁護士連合会(九弁連)に送った申立書です。この中で、らい予防法廃止(96年4月廃止)に対し人権をもっとも大切にする法曹人がなぜ何も行動しないのかという問いが発せられました。その時、初めて弁護士達はハンセン病療養所の存在を自覚したと言います。戦後憲法の下で、人権がまったく及ばずに取り残され、あと少しでこの国の正史にその存在すらも記録されずに姿を消そうとしていた人たちの存在は大きな衝撃だったはずです。
 2つめは、98年2月に九弁連が開いたハンセン病問題についてのシンポジウムの会場で、菊池恵楓園(熊本)の志村康氏が「年老いた私達には金もなければ、支援の組織もない。それでも、国家賠償訴訟を起こせるだろう」と弁護士に問いかけたひと言でした。こうして、わずか13人の原告による国を相手にした大訴訟が始まりました。
 熊本地裁判決が確定するまでの経緯は周知のことですが、やはり熊本で起きた温泉宿泊拒否事件の核心はよく知られていません。宿泊拒否事件を引き起こした旅館が罰せられたのは人権侵害の罪ではありません。現行法では、宿泊客を訳もなく拒否することを禁止した旅館業法違反で略式命令、しかもわずか2万円の罰金でしか処罰することはできなかったのです。この事件は、同時に菊池恵楓園自治会に対する誹謗中傷の文書等が大量に寄せられたことが知られています。その中でもっとも悪質かつ執拗な手紙を送り続けた青年が脅迫罪で逮捕されました。それも長々と書かれた差別文章の中のたった2カ所あった「殺してやる」という言葉と「川に沈めてやる」という言葉の言葉尻を捉えて立件したもので、差別文書それ自体は罪とみなされなかったのです。本人も、「差別はしたが、犯罪を犯した覚えがない」と反省のそぶりを見せなかったそうです。憲法に保障された基本的人権を侵害しても処罰する法律がない。そのことの意味を温泉宿泊事件は、問いかけています。
 人権を考える際に、ハンセン病問題が示唆しているものがいかに大きいか、これらのことだけでも理解できるはずです。
 さらにハンセン病問題を考えてきて、私が気がついたことがあります。らい予防法が廃止になって、物理的な意味での強制隔離政策は法的根拠を失ったわけですが、強制隔離政策はいまだに続いているということです。物理的な強制隔離政策は、同時にトラウマとなって療養所の入居者の心を支配し続け、今日でもハンセン病回復者の多くはそれから解放されていません。療養所の壁は見えないものとして今も存在しつづけています。ここには、人権という言葉の奥底を覗く重要な契機があるように感じてなりません。

■ハンセン病市民学会のホームページ