法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

鹿児島

<<戻る
進む>>
一覧表へ>>
アマミノクロウサギ訴訟
T.O.記

1995年2月23日、奄美大島でのゴルフ場建設に反対する住民たちが、林地開発許可処分の取り消しなどを求めて、鹿児島地裁に提訴しました。この訴訟は、日本で初めて動物たち(アマミノクロウサギ・オオトラツグミ・アマミヤマシギ・ルリカケス)を原告にしたことで、非常に注目されました。

本来、裁判の当事者となれるのは、自然人もしくは法人に限られます(民事訴訟法第28条)。つまり、動物は、裁判の当事者にはなれません。実際、鹿児島地裁は、特定個人または法人の氏名・住所を記載することを原告らに求め、定められた期間内に補正がなされなかったとして、提訴から1ヵ月後に、訴状を却下しました。その後、住民たちが動物たちに代わってという立場での訴訟となり、裁判が開かれました。2001年1月22日、鹿児島地裁は、住民たちの原告適格(行政訴訟法第9条)を否定し、訴えを却下しました。その中で、現行法上、動物たちを訴訟の当事者として認める根拠法がないと述べています。

このような結論は、現行法を前提とすれば、予想の範囲内だったと思われます。では、住民たちは、なぜ動物たちを原告にしたのでしょうか。これは、単なる思いつきや奇をてらったものではないそうです。住民たちは、天然記念物、絶滅危惧種に指定された奄美の固有種であるアマミノクロウサギたちを守れないふがいなさ、現行法では自然環境を保護することの困難さやその限界などを、世間の人たちに知ってもらおうと、こうした訴訟を提起したそうです。そして、訴状の作成に3年近い時間をかけました。また「自然の権利」を広める運動も訴訟と同時並行で展開され、各地でシンポジウムやイベントが開催されました。

そうした運動の結果、上述の通り鹿児島地裁は動物たちの原告適格を認めなかったのですが、最後に裁判所は、「原告らの提起した『自然の権利』という観念は、人(自然人)及び法人の個人的利益の救済を念頭に置いた従来の現行法の枠組みのままで今後もよいのか どうかという極めて困難で、かつ、避けては通れない問題を我々に提起したということができる」と述べ、原告らの訴えに真剣に向き合っている姿勢をうかがわせました。

憲法改正論議の中で、「日本国憲法には環境権がないから、規定すべきだ」という主張がなされることがあります。自民党が2005年の秋に発表した「新憲法草案」にも「環境権」が規定されたといわれることもあります。しかし、「環境権」を憲法に規定した場合、あるいは自民党の「新憲法草案」が実現した場合、こうした訴訟が認められるようになるのでしょうか。私にはそうは思えません。大切なことは、環境権を憲法に規定することではなく、現実の環境問題を真剣に考え、それを実現していくことではないかと思います。そうした実践が積み重なって初めて、「環境権」を憲法に規定するかどうかを議論できるのではないでしょうか。

<寄稿> 自然の権利訴訟について

坂元雅行(NPO法人野生生物保全論研究会事務局長・専修大学法科大学院客員教員・弁護士)

 1995年2月23日、新聞の一面を鹿児島地方裁判所に起こされた訴訟の原告たちが飾りました。これら写真の主は、奄美大島に住む、絶滅のおそれのある野生生物である「アマミノクロウサギ」たちでした。同年の11月にはオオヒシクイというガンが原告となった訴訟が水戸地裁に、1996年7月には諫早湾などを原告とした訴訟が長崎地裁に、1997年1月には身近な生き物たちを原告とした訴訟が横浜地裁に提訴されました(「生田緑地里山・自然の権利訴訟」)。もっとも最近の訴訟は、2006年6月には東京地方裁判所に提訴された「白保自然の権利訴訟」で、国土交通大臣が航空法に基づいて行った新石垣空港設置許可処分が石垣島白保のサンゴ礁と希少なコウモリ類などの生息地を破壊するとして、その取消を求めた訴訟ですが、「アオサンゴ」と「ヤエヤマコキクガシラコウモリ」が原告とされていました。

 このような「自然の権利」を認めることには、次のような意義があるからだと考えています。
(1)環境倫理の実践。
 「生物は全て人間にとっての価値には関係なく尊重に値する」として自然の固有の価値を認める、という環境倫理からの生態系保全のアプローチが「自然の権利訴訟」の背景にあります。
(2)訴訟技術上、実践的意義がある。
 人間を当事者にする限りは、訴えた個人の利害に関わる範囲でしか、自然を保護することの意義が評価されませんが、自然物を当事者とすれば、裁判所が、自然保護と開発利益等の本質的な調整に踏み込みやすくなるはずです。
(3)自然保護に関する討論の場を設定する。
 環境政策の決定に際して、立法や行政だけではなく司法(裁判所)を、自然保護をすすめるための「討論の場」として市民が活用していくことが期待されます。

<「自然の権利訴訟」の展望>
 現行法上明文の規定がないことが障害となって、これまでのところ自然物自体が訴訟の当事者となる法的資格(当事者能力)をもつことを認めた裁判例がありません。ただし、次のような注目すべき内容も含む判決もありました(オオヒシクイ自然の権利訴訟)。
第一に、人が自分の利益のためでなしに、「自然物」の存在自体のために、それを代弁して訴訟を起こすことには意義があるとした点です。
第二に、「自然物」の存在の尊厳から自然物に対する人の倫理的義務を想立することはできるとした点です。
 第三に、訴訟の当事者となる法的資格については時代や国によって様々な考え方があるのは当然であると述べている点です。つまり、立法措置により自然物に当事者能力が付与されうることが示唆されたわけです。
 自然の権利訴訟は、今後裁判所が自然保護をすすめるための「討論の場」として、より機能していく道を開くことになるでしょう。また、そのような訴訟を起こすことを容易にするような法律を立法しようという動きにもつながっていく可能性もあります。自然の権利訴訟は、自然の価値を再認識させ、自然保護への市民参加を発展させていく役割を果たしつつあるのです。