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沖縄(2)

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ゾウの檻訴訟
Y.M.記

 つい昨年の6月まで、沖縄県読谷村には、通称「ゾウの檻」と呼ばれる在日米軍施設がありました。正式名称を楚辺通信所といい、軍事通信を傍受するアメリカ海軍が管理する軍事施設でしたが、直径約200メートルの敷地に高さ約30メートルのアンテナが覆うように張り巡らされているその形状は、まさに「ゾウの檻」を彷彿とさせるものでした。
 この「ゾウの檻」の敷地は、この時点では駐留米軍用地特措法によって強制収用され賃貸借契約に基づき日本政府が地元の地主から賃借して、在日駐留米軍の用に供していたものでした。ところが、1996年3月31日、これらの土地の賃貸借期間が満了します。そこで、土地を所有する地主たちは、土地の即時返還を国に対して求めたのでした。
 けれども、これに対して国は、駐留米軍用地特措法の改正に踏み出し、なんとしてもこれらの土地の使用を確保することに固執し続けたのです。そして、1997年4月17日、ついに改正駐留米軍用地特措法が成立し、同年4月23日から施行されました。同改正法の眼目は、なんといっても使用期限が切れる(あるいは切れた)土地について、かなり緩やかな要件でもって国が事実上半永久的な「暫定使用」を可能とするという点にあります。この改正法はその後にいくつかの土地の使用期限切れが迫っていたことを背景として、国会の圧倒的多数で可決されましたが、しかし実はこのときすでに、国は、1996年3月31日に使用期限の切れた土地に対して実に389日にわたって不法占拠を続けていたのでした。
 そこで、1999年2月2日、改正駐留米軍用地特措法の成立に先がけてすでにこの土地の明け渡しなどを国に求める訴えを起こしていた原告である地主は、その訴えを国家賠償請求のみに絞るという方針に変更します。そして、ここに新たな法廷闘争が始まることになったのです。

 2001年11月30日、第1審那覇地裁は、国に対して約48万円の賠償金の支払いを命じましたが、原告の訴え自体は退けました。これに対し、2002年10月31日、第2審福岡高裁那覇支部は、被告国の敗訴部分を取り消し原告である地主の控訴を棄却するという判決を下しました。
 そして、2003年11月27日、最高裁は、第2審を支持して原告である地主の上告を棄却するという判断を行います。それによれば、駐留米軍に対して日米安保条約上の義務を履行するために必要な土地を提供し続けることは、必要かつ合理性が認められる。また、日本国憲法29条3項は、「私有財産は、正当な補償のもとに、これを公共のために用ひることができる」としており、本件にはそうした高度の公共性が認められるというのでした。

 このケースは、端的にいって、立法と司法が行政による無法をそれぞれ追認した「法治国家」の名に恥ずべき事例の象徴ともいえるようなケースのように思われます。憲法が保障した国民の基本的人権に対する配慮は、日米安保体制の前には微塵もみられません。軍事に対して高度の公共性が認められることを自明の前提とするこうした裁判所の論理を、日本国憲法9条をもつ私たちは危機感をもって問い直していかなければならないでしょう。

コメント「『象のオリ』訴訟を闘って」

知花昌一(原告・沖縄反戦地主・読谷村議)

 楚辺通信施設が「象のオリ」と呼ばれたのは、高さ28メートルの鉄骨アンテナが電波処理施設をとり囲むように30本も輪になって林立している様を言い当てたものであり、米軍も「エレファントゲージ」と呼んでいた。世界で11ある内の1つで米海軍安全保障局直轄の重要な施設であった。
 この「象のオリ」は07年6月9日に巨象が倒れるごとく最後の5本のアンテナが地しぶきをあげて倒れ、50年に亘る東アジアにおける謀略活動に幕が下りた。

 1965年9月、あの忌まわしい、米軍人3人による12歳の少女暴行事件が発生し、米軍基地に対する激しい怒りがうねる中、私の「象のオリ」の土地に対する米軍用地特別措置法による強制使用手続きが開始され、手続の一つである「代理署名」を大田沖縄県知事が拒否したことで俄然わたしの土地が注目を浴びたのだ。使用期限終了までに強制使用テ続きが間に合わず、日本のいかなる法律でも米軍の使用ができなくなるからである。

 期限が切れた96年4月1日、家族や支援者と共に「象のオリ」に入ろうとしたが、法律を守るべき警察機動隊によって阻止され、私たちの立ち入りは実現しなかった。日本政府も「使用期限が切れたからといって直ちに違法であるとはいえない」と訳もわからないことを言い、立ち入りを妨害した理由を追及しても誰も応える人がいない。警察は法律を守るどころか統治権力の暴力装置であることを見た瞬間であったし、日本政府が自分で作った法律を守らず、法治国家としての体裁をかなぐり捨てた瞬間でもあった。

 直ちに裁判に訴え、数日後仮裁判が開かれ、違法占拠が暴かれ、私の要求どおり2回の立ち入りが実現した。以前の沖縄にあっては米軍が認めない基地立ち入りは銃殺されるなど恐ろしいことであったが、今回は一人の地主の当然の権利として白昼堂々と正面からの立ち入りで、これまでのやりたいほうだいでやってきた日米政府に対して「してやったり」の思いだった。
 以後、国会での私の逮捕のおまけ付きでなされた米軍用地特別措置法の改悪までの389日間、日本政府と米軍は不法占拠を続けたのだ。しかも、389日も遡及して私の土地にこの法を適用するというおぞましいことをやってである、
 わが日本政府は米軍基地の維持のためには、法律も体裁もないのである、

 07年に取り返すまでの10年間、この法律に対する違憲訴訟、最高裁で敗北、3回にわたる強制使用と闘ってきたが、見えてきたものは反戦地主の一人が言った「103条の日本国憲法が11条の日米安保に組み敷かれている」司法・行政・立法の状況をもろに見た。
 「象のオリ」跡地は戦前がそうであったよう海が見渡せるすばらしい住宅地としてよみがえるだろう。