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1945年

 
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ポツダム宣言の受託と敗戦
H.T.記

 現在、経済、政治、法、社会、倫理などの様々なルールが混迷を深めています。日本国憲法が定める、個人の尊重、人権保障、国民主権、平和の理想と現実との乖離も大変大きくなり、かつて来た道をほうふつとさせる事柄も少なからず繰り返されています。私たちが主権者として、これからの日本が進むべき道筋をいかに創るか―そのためには歴史を振り返り、そこから学ぶことが重要です。そこで、今回(1945年)から、憲法の視点から戦後の各年の話題に迫ってゆきます。

 1945年8月14日、天皇の臨席の下に開催された御前会議における「御聖断」で、軍国主義の基盤の除去、領土の占領、民主化促進など日本の無条件降伏を求めた米英中ソによるポツダム宣言の最終的な受託が決定され、翌15日、アジア・太平洋戦争は終了しました。尤も、アメリカは天皇制存続の可能性を示唆していたため、天皇と即時受託派はそこに望みを託していました。その意味では「無条件降伏」ではなかったともいえるでしょう。

 アメリカは、日本の陸軍を中心とする本土決戦の固い意思を踏まえ、戦争は早くても1945年いっぱいは続くと予想していたようです。それよりも早く終戦となった外的な原因の一つに、原爆投下により日本を降伏に追い込み、東アジアにおけるソ連の影響力の拡大を阻止するというアメリカの戦略があります。他方、日本国内でも、この年の2月14日、近衛文麿元首相が天皇に対して、最も憂うべきは敗戦必至のまま戦争を継続すれば「生活の窮乏、労働者発言権の増大」等により「共産革命達成」の条件が具備されることであると上奏し、早期和平を唱えていました。
 8月9日の御前会議では平沼騏一郎枢密院議長は戦争継続による国内治安の乱れを語っています。本土決戦になると、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という戦陣訓がどれほど守られるのか等の危惧もありました。敗戦は、連合国と日本との地図的な対抗関係で語られるのが通常です。しかし、民衆の発言力の強化や共産主義の影響力が強まることをおそれるという点では、戦争の両当事国の共通した思惑という横断的な視点も必要でしょう。第1次大戦終了時には、ドイツ革命やロシア革命が勃発しました。