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1950年

 
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警察予備隊の設置 ― 再軍備への道
H.T.記

 アメリカ政府は、48年中には日本を反共の防波堤として冷戦体制に組み込む政策に転換しました。すなわち、「軍事化」と「民主主義の制限」の占領第2期が開始しました。

 もっとも、より広い視点で見ると、「戦後民主主義」は当初から冷戦体制の枠内にあり、民主主義も一定の制約を受けていたといえるでしょう。占領ですから、戦後の世界で突出した力を持ったアメリカの国益に適う限りでの支配としての「戦後民主主義」の性格を持っていたことは、ある意味で当然でした(パックス・アメリカーナ)。沖縄を軍事基地化し同県民の選挙権を停止して(45年12月の選挙法改正)新憲法の適用外においたことは、9条の制定と表裏一体の関係にあります。昭和天皇は、マッカーサーに、沖縄を長期に渡り利用することを認めるメッセージを渡していました。「天皇制民主主義」の採用は民主主義の徹底を深い所で阻みました。

 沖縄を基地として確保したアメリカは当初、非武装となった日本は連合国の後身である国連によって安全を保障されることが望ましいと考えていました。しかし、占領の長期化に伴うアメリカの負担軽減の声の増大と冷戦の激化の中、朝鮮戦争の勃発は第2期の政策を一気に具体化させました。朝鮮戦争勃発の翌月の50年7月、マッカーサーは日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令しました。憲法9条に違反する実質的な軍隊が、改憲を経ずにポツダム政令によって創設されたことは注目されます。予備隊は、朝鮮に出兵する米軍の空白を埋めることを直接の目的とし、兵器や装備は米軍によって供給され、米軍が訓練しました。訓練を担当したアメリカの大佐は「小さいアメリカ軍」と呼びました。警察予備隊は52年10月には保安隊に、54年7月には自衛隊に改組され、再軍備は進みました。この過程で、旧軍人の追放が解除され、50年代半ばには上級幹部の50%以上が旧陸軍正規将校で占められました。また、旧海軍なくして海上自衛隊の創設はありえませんでした。現在に至るも、自衛隊員の時代錯誤的な歴史認識やいじめ体質が残存していますが、出自における戦前との連続性が関係していると指摘されています。なお、海上自衛隊は、朝鮮戦争に際して機雷除去のために掃海艇を出動させました。これは極秘です(掃海艇の海外派兵は湾岸戦争が最初だったと言われることが多いようです)。

 警察予備隊の創設に当って、アメリカは一挙に30万〜35万人規模の軍隊を要求しました。しかし、旧軍や軍事体制の復活に対する日本の世論の反発に加えて、吉田首相は経済的な余力がないことなどを理由に強く反対しました(軍事小国主義)。

 以上に見られる「小さいアメリカ軍」「戦前との連続性の要素の存在」「国力に比して小さい軍隊」という自衛隊の特徴は、発足当時から現在まで続いています。

 軍事化は、自由・民主主義・平和主義を求める言論を公共空間から排除する政策と一体となって進められました。この年、地方公共団体では初めてそれまでは届出制だったデモを許可制とする東京都公安条例が公布・施行されました。朝鮮戦争の開始と前後して、新聞700紙が休刊させられ、公共部門、次いで民間部門の報道業界、映画業界などからおびただしい数の人々が魔女狩り的に解雇されました(レッド・パージ)。