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法学館憲法研究所

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1961年

 
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所得倍増計画 ― 高度経済成長の時代
H.T.記

 新安保条約で憲法の平和の理念が空洞化すること、及び民主主義が蹂躙されたことに対する国民の反対運動は空前の高まりを見せました。それは、この頃から肯定的に用いられるようになった「市民」の力の増大を意味しました。そのため、政府・与党は大きな危機感を抱き、60年7月、岸内閣は任期途中で退陣、代わって池田隼人内閣を誕生させました。国民運動は、安保条約の成立は阻止できませんでしたが、条約を消極的軍事同盟に止めたこと、自衛隊を個別的自衛権の枠で縛ったことなど、「軍事小国主義」の道から踏み外させなかったことは、その成果でした。

 池田内閣は、「国民所得倍増計画」を政策の目玉として掲げました。池田首相は、独特のダミ声で“10年間で月給が2倍になる”と分りやすい説明を行ない、国民に強くアピールしました。「所得倍増という経済政策の問題で国民統合を実現したのは、日本の政治の画期的な転換」でした(中村隆英「昭和史U」)。この計画は、道路、鉄道、工業用地など産業基盤の公共投資を軸にし、社会福祉の増進や農業保護にも一定の予算を振り向けることにより、年率7,2%の経済成長を想定していました。計画期間の61年から70年の間の実績は10.9%と上回りました。国民1人当りの消費支出は10年で2.3倍になり、「東洋の奇蹟」と呼ばれました。

 尤も、この計画の背景には、既に55年から始まっていた経済の高度成長があり、「所得倍増計画」はそれに乗った側面がありました。高度成長は73年まで続きました。管理されたケインズ経済政策としての政府の所得倍増計画、そして18年間の高度成長を可能にしたのは、@財政・金融面では、投資の源泉である高い貯蓄率、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、輸出に有利な円の固定制(円安)、低率の法人税、A労働力の面では、農村の余剰労働力を活用した良質で安い労働力の大量供給、労使協調する企業内組合を要素とする強固で安定した「企業社会」の構築などが挙げられます。さらに、C冷戦期の日本をアジアにおける中核的な反共工業国として育成するというアメリカの戦略があったことも見逃せません。アメリカは、アジア諸国からの日本に対する戦後補償を値切ること、朝鮮やベトナムの戦争特需で多大な寄与をしました。また、D平和運動の高まりが、防衛関係費の対GNP比を1%以内に抑えたこともポイントの一つです(以上、正村公宏「日本経済」、橋本寿朗「戦後の日本経済」等参照)。

 吉見俊哉氏は1月20日に刊行された近著「ポスト戦後社会」の中で、「高度経済成長」は「70年代初頭までの(歴史の)最大のモメント」であり、「近年の多くの研究が示すように、戦時期を通じて強化されてきた総力戦体制の最終局面」でもあったと記しています(ちなみに、70年代以降の最大のモメントはグローバリゼーション)。

 大局的には、“一生懸命勉強し、働けば豊かになる”経済の高度成長期は、人権の保障という点でも評価されます。@第1に、経済成長は賃金の上昇と働く場の提供(ほぼ完全雇用)として国民に還元されました。Aまた、労働力不足も要因になって賃金の平準化・農村と都市の経済的格差の相対的縮小、すなわち一定の平等化が進行しました。この点、02年〜07年の景気拡大期には株式配当や経営者の報酬が著増する一方、労働者の賃金の低下と格差拡大・貧困化がもたらされたのと対照的です。

 経済成長の最優先は、一方で公害の多発など生活環境の破壊、農業の荒廃、過密と過疎、お金万能主義の考えなどさまざまな問題を引き起こしました。