法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

1962年

 
一覧表へ>>
「昭和30年代」 ― レトロ趣味?「空気」が濃かった時代
H.T.記

「昭和30年代」(1955年から64年までの10年間)というキーワードがブームになり始めたのは2002年頃からでしょうか。05年頃からは書店や図書館の棚にも、「昭和30年代スケッチブック―失われた風景を求めて」「東京慕情 昭和30年代の風景」 「なつかしの昭和30年代図鑑」「昭和30年代主義―もう成長しない日本」その他類書が最近になるほど増えて来ています。シネマでも、昭和33〜34年の東京・港区界隈の情緒あふれる商店街を描いた『ALWAYS 三丁目の夕日』『ALWAYS続・三丁目の夕日』が05年と07年に公開され大ヒットしました。06年には、通天閣の見える大阪の下町の屋台の焼き鳥屋家族などを扱った「昭和30年代の日本・家族の幸福(しあわせ)」がDVDになりました。

 「昭和30年代」がキーワードになるのは、昭和31年に「もはや戦後ではない」水準に達し、かつ、高度経済成長の功罪の全体像が目に見える形で現われるようになる以前の時代だからです。

 このブームは、一面では批判的に扱われています。当時はやはり貧しかったし、格差は大きく、非効率だった、それなのに後ろ向きのレトロな懐古趣味に過ぎないのではないかと。

 確かに、その側面はあります。しかし、それ以上に、世紀は新しくなったのに未来の展望が見出せない閉塞感から脱却するためのヒントが隠されているのではないかという思いが、ブームを呼んでいるのでしょう。@当時は、『三丁目の夕日』の映画にも出てくるように、人々の人情の篤さが健在でした。親は権威的でしたが家族は肩を寄せ合い、街には生活を彩る駄菓子屋、紙芝居、銭湯があり地域の横の会話がありました。会社で働く仲間との関係も含めて、物心両面で助け合う共同体の原風景がありました。映画や漫画はエゴイズムの克服と連帯の形成をテーマとするものが多く見られました。A経済は右肩上がり成長し、その成果は還元されるという「信頼」に基づく「元気」がありました。B都会にも空き地や緑が多く残っていて、野比のび太やジャイアンは、広場の土管の中で遊んでいました(漫画「ドラエもん」の連載開始頃)。C人々はそれなりに「夢」や「理想」を持っていました。この頃はやった歌に「幸せのうた」があります。“仕事はとっても苦しいが 流れる汗に未来をこめて 明るい社会をつくること”。吉永小百合主演の映画「いつでも夢を」の世界は自然に受け入れられました。「普遍的な理性」や「近代」に対する信頼がその基礎にあったと言えるでしょう。

 その後、徐々に様相は変わってきました。上記の番号に即すると、@人々の孤立化が進み、映画や文学では都会の青年の孤独な心象風景が多く採りあげられるようになりました。豊かさを得た代わりに、人と人との交流が減りました(週刊金曜日06年9月8日号)。A経済の成長には限界があることが明確になってきました。資源、エネルギー、環境破壊などのほか、資本主義経済の舵取りが極めて困難な事態を迎えています。B自然環境の破壊が進行するとともに、高層ビルでの生活、自室に閉じこもってのゲーム遊びなど、日常生活において人間と自然の接触が切断される傾向に拍車がかかっています。自然と共生して種族保存してきた人間の存続可能性や人間の属性の変化への不安が増しています。C「自分を生きている」という実在感が希薄になり、虚構の世界ないしバーチャルな世界で生きているという浮遊感が広がっています。1970年代頃からは、「理想の終焉」とも言える風潮が強まっています(ポスト・モダン思想)。1970年代後半以降は「消費社会」と称され、都市農村を問わない地域共同体の解体=共同体から隔絶した個人の時代となっています。このような情況の中で、現在、新たな「貧困」が深刻な問題となっています。

憲法が目指す人間の「自己実現」を可能にするために、いかに生き、いかなる社会を創ったらよいのでしょうか。「モノと人間のバランスがとれていた希有な時代」(「読売ウイークリー05年10月30日号」の「昭和レトロを究める(上)」)である「昭和30年代」を、大きな視点から検証することは大変意義深いことだと思います。