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1963年

 
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「人間裁判」 ― 朝日茂さんの壮烈な“権利のための闘争”
H.T.記

 憲法25条の「人間らしく生きる権利」(生存権)が大きな問題になっています。年末年始には東京・日比谷公園の「派遣村」が大きく報道されました。「貧困」が社会全体の共通認識になっていることを示す象徴的な出来事でした。「人間らしく生きる権利」を正面から採り上げたのが、朝日茂さんが起こしたいわゆる「朝日訴訟」です。朝日さんは、第1審後の1963年、死期の迫る病床で手記「人間裁判」を執筆しました。「朝日裁判は、戦後日本の社会保障の歴史のうえで、最初のそして最大の裁判であった。朝日裁判をぬきに日本の社会保障をかたることはできない」(渡辺洋三「社会と法の戦後史」)。


朝日さんは、日中戦争中重い結核にかかり、国立岡山療養所に長期入院し、生活保護法に基づく医療扶助と月額600円の日用品費の生活扶助を受けていました。しかし、600円では、病状が悪化して病院食が口に入らないため生卵を飲むなど補食に必要なお金がなく、2年に1枚の肌着、1年に1枚のパンツでは足りませんでした。そこで、日用品費の額は憲法25条及びそれを受けた生活保護法に違反するとして、1957年に提訴しました。憲法25条1項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定は、生存権という基本的人権を保障したものだという主張です。当時この規定は、もっぱら国家の政治的・道義的な責任を規定したものに過ぎず権利を保障したものではないとする見方(プログラム規定説)が一般的でした。

喀血しながらただ一人権力に立ち向かうという朝日さんの気力そのものが多くの人の感動を呼び、「人間にとって生きる権利とは何か」を真正面から問いかけるこの裁判は、「人間裁判」と呼ばれました。また、生活保護の基準は、最低賃金額の参考にされるなど多くの国民の生活に関わる広範な問題であることの理解も広まり、国民的な訴訟支援運動が巻き起こりました。裁判の詳細は「憲法MAP・岡山編」及び浦部法穂著「憲法の本」をご覧ください。注目されるのは、1審の東京地裁(1960年10月19日)が朝日さんの主張を認め、厚生省の決定を憲法25条の趣旨に合致せず違法と判断し、25条は人権であると認めたことです。「健康で文化的な最低限度の生活」とは、「理論的には特定の国における特定の時点において一応客観的に決定すべきものであり、またしうるものである」と明確に述べました。1963年の2審は、原判決を取消したものの、日用品費の基準は低すぎ、月670円が妥当だとしました。パンツは年1枚で足りるが、チリ紙は月1枚でよいというものでした。朝日さんはその後の1964年に還らぬ人となり訴訟は養子が引継ぎましたが、最高裁は1審判決と異なり、生活保護費は厚生大臣の裁量に任されていると判断し、プログラム規定説に近い立場を採りました。

 しかしながら、政府は、裁判の過程で1審判決に強いショックを受け、その翌年に生活保護基準を30%以上引き上げ、以後も改善して行きました。裁判の役割は司法の場だけでなく、政治や行政にも生かされることを国民は学びました。人権とは、国民が闘い取るものであるという憲法12条、97条の精神を文字どおり命をかけて実践した朝日さんをしのぶ「人間裁判の碑」が朝日さんの地元の岡山県・早島町に建てられています。今年も2月の命日に恒例の碑前祭が行われました。「朝日茂さんに内在し、その血を吐く苦闘、鮮烈な生き方、勇気ある思想、人間的な立ち振る舞い、やさしい息づかいなど細部にふれて、現代に生きる一人ひとりが明日に向かって生きる希望と励ましを受け取る」(手記「人間裁判」解説・二宮厚美)。

現在、生活保護制度が利用可能な人のうち、利用できている人は約16〜20%の124万世帯、156万人です。独英はそれぞれ70%、80%を超えています。ヨーロッパ諸国では多くの国が貧困の実態調査をして貧困の削減目標を立てています。しかし、日本政府は調査をしたこともなく、当然削減目標も立てていません。後藤道夫教授の分析によれば、勤労世帯中、生保水準以下の生活の貧困世帯は、07年で675万世帯(19%)です。貧困は、人間の尊厳を奪い、場合によっては命も奪います。そして、貧困の広がりは社会を分裂させ崩壊させる危険性があり、社会に住むすべての人の問題です(宇都宮健児「反貧困運動の前進」・世界09年3月号)。生活保護の老齢加算や母子加算が廃止・削減され、さらに保護基準そのものの切下げも検討されている現在、朝日さんの「鮮烈な生き方」は多くのことを語りかけています。