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1965年

 
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日韓基本条約発効
H.T.記

 1951年の講和会議では、1910年の日韓併合以来植民地となった朝鮮は排除されました。当時の吉田首相やイギリスが、朝鮮は対日参戦国ではないという理由で招請に反対したことなどが理由です。しかし、45年のポツダム宣言の受託によって日本の植民地支配は終了していたことに鑑みると大きな疑問を残しました。結局、終戦から20年も経過したこの年、日本と大韓民国政府との間で日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)の批准書が交換され、関連する協定とともに発効しました(12月18日)。条約は日本の植民地支配が終わっていることを法的に確認し、両国間の国交を正式に樹立するものでした。

 条約の交渉は15年の長きに及ぶ難交渉でしたが、この年に多くの問題を先送りして急遽締結されました。その背景として、この年北ベトナムの爆撃を開始したアメリカ、ベトナム派兵を決めた韓国、そして日本の3国の軍事的な関係の強化をアメリカが急いだことが指摘されました。そのため、朝鮮の南北分断を固定化させることへの懸念とあいまち、条約締結に対して日韓双方で激しい反対運動が起きました。しかし、両国とも条約の締結が強行されました。

 問題点として、@韓国を朝鮮半島全域における唯一の合法的な政府としました。そのため、現在に至るも、朝鮮人民民主主義共和国との国交は樹立されないという極めて異常な事態が続いています。A1910年の日韓併合条約については、日本は韓国の独立時に失効、韓国は当初から無効と主張しました。この点も現在でも歴史認識の問題として争われています。B在日朝鮮人のうち、韓国籍を持つ者についてのみ永住権等が認められました。C対日戦勝国として戦争賠償金を求める韓国に対して日本は、韓国と交戦状態にはなかったため、韓国に対してそれを支払う立場にないと主張しました。結局韓国が妥協して、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が締結されました。内容は、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び貸付です。これによって、国民の請求権に関する問題は、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とされました。しかし、同時に協定には、「供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と規定され、事実大部分はインフラの整備等軍事政権の基盤の強化に使われました。軍人・軍属・労務者に対する補償は僅か(日本円にして3万円)でした。終戦後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元性奴隷の方々には全く補償がありませんでした。
 そのため、1990年代以降、冷戦体制が崩壊し民主化が進んだ韓国からは、他のアジア諸地域からと同様に、軍事政権の正統性を問うことと並行して、日本の戦争責任の追及・個人からの対日補償要求が台頭し、重大な問題となっています。