法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

1967年

 
一覧表へ>>
「全国で革新自治体広がる」「ベトナム戦争と日本」
H.T.記

T 全国で革新自治体広がる

 67年4月の都道府県知事選挙で、東京都では社会・共産両党が推した経済学者の美濃部亮吉氏が当選し、革新知事が誕生しました。それ以前にも京都府では蜷川虎三知事、横浜市では飛鳥田一雄市長など革新首長が選出されていましたが、67年はこの傾向が強まりました。71年には、大阪府の黒田了一氏(憲法学者)を含む160の革新首長が活動しています。これらの背景には、高度経済成長の結果、全国で公害問題や都市問題が深刻化して住民運動が活発になったことなどがあります。革新自治体は、政策面では環境保護のための公害規制や福祉の充実など政府の行政よりも人権保障を重視した政策を実行して、政治をリードしました。そのため、国の法律よりも人権保障に厚い自治体の条例は法律に違反するのではないか、憲法上問題になりました。「地方自治の本旨」(憲法92条)に基づき地方の政治を優先させるのか、中央政府による集権的な政治を優先させるのかに関わる根の深い問題です(辻村みよ子「憲法」第3版516頁参照)。

U ベトナム戦争と日本

 ベトナム戦争は大変長く、かつ極めて残虐な戦争でした。エポックメーキングなことはたくさんありますが、良心的兵役拒否ともいうべき行為をした4人の米兵を日本の市民が支援した1967年で採り上げます。

 第一次インドシナ戦争で北ベトナム(ベトナム民主共和国)に敗北したフランスは、1954年、ベトナム統一総選挙実施を決めた休戦協定(ジュネーブ協定)を結びました。2年後のこの選挙の実施に危機感を持ったアメリカは、南ベトナム(ベトナム共和国)の軍事支援に乗り出しました。これに対して南ベトナムの反政府勢力は60年、南ベトナム解放民族戦線を結成、これを支援する北ベトナムと南ベトナム・アメリカとの第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)は深刻な戦争に発展しました。アメリカはピーク時には軍艦を含めると68万人を超える軍隊を派兵して北ベトナムをも爆撃、第二次世界大戦に使用した3倍の砲爆弾、枯葉作戦、ナパーム弾など大量破壊兵器を動員しました。100万人を超える死者と数千万人の負傷者を出して戦争が終結したのはやっと1975年でした。世界最強を誇るあるアメリカが、東南アジアの小国ベトナムに完全に敗北を喫したことに、世界は驚愕し、刮目しました。
 
 冷静にみると、アメリカが敗北せざるを得ない理由がありました。一つは南ベトナムでの戦争が地主階層から土地を解放する戦争として農民らの強い支持を得ていたことです。もう一つは、ベトナム民族の強固な自決権を軽視していたことです。他人(地主)や他国(フランス、日本、アメリカ)に支配されず自由で人間らしい生活をしたいという欲求は人間にとって基本的なものです。アメリカは、これを資本主義と共産主義の代理戦争と位置づけましたが、それではベトナム人の強力な抵抗を説明することはできません。アメリカは本質を見誤った愚を犯したと言えるでしょう。しかし、今アメリカは「歴史に学ぶ」ことをしないで、イラクやアフガンでの戦争をイスラム原理主義との戦いとみなし、同じような間違いを犯しているかに見えます。
 
 日本政府は一貫してアメリカの政策を支持し続け、沖縄はベトナムへの出撃拠点となりました。横須賀などの本土の基地も提供しました。報道されていないようですが、深夜の東京近郊の米軍基地には戦車のチェーンについた肉片を洗い落とす、一桁違う高級の学生バイトの姿がありました。日本の支援なくしてはアメリカのベトナム戦争は不可能だったという点で、日本は戦後も、朝鮮戦争に続いてアジアに対する加害国になりました。「戦後の日本は平和だった。日本人は平和ボケだ」としばしば語られます。しかし、日本は国際法上はこの時点で戦争当事国だったと言えます。ベトナム戦争は戦争犯罪であり東京法廷も開催されましたが、安保条約にも違反していました。第6条に在日米軍の守備範囲として規定されている「極東」の範囲を超えており、日本を基地として米軍が出撃する場合には日本と事前に協議するという条項も完全に破っていました。
 
 ベトナム戦争に対しては、今のイラク戦争等より激しい抗議行動が世界で展開されました。一つは、米兵の死者が多数に上りアメリカの世論を激しく動かしたからです。ジョンとヨーコは「Bed In」で抗議しました。もう一つは、ジャーナリストが戦場に入り、戦争の悲惨さを世界に知らせたからです。「西側記者の目」だけでは真実は伝えられないとの認識のもとに「泥と炎のインドシナ」レポートなど命を張った毎日新聞の大森実外信部長らによるジャーナリズムが健在でした。今の戦争はこの二つの「教訓」を踏まえ、無人爆撃機に代表される攻撃側の犠牲者を出さない非対称の戦争の性格を強め、かつ戦場からジャーナリストを締め出しています。

 ベトナム戦争に関与したことも反映して、日本でも反戦の運動は高まりました。高畑通敏や鶴見俊輔が提案し小田実が代表となったベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、「普通の市民を幅広く集める」「組織ではなく運動である」新しい表現のスタイルを生み出しました。67年、横須賀に寄港した米軍空母から脱走した4人の水兵がベ平連の援助で脱出に成功して大きな注目を浴びました。「愛国的脱走兵」を自称し、「米国憲法の権利章典に保障された権利を行使する」という趣旨の2人の19歳の脱走兵の声明文について、小田は「私には日本語でこれを書けるだろうか。書けない。」と記しています(「ベトナム戦争の総決算」)。


《ご案内》
 法学館憲法研究所は、ドイツ陸軍の現役少佐であるフローリアン・パフさんの講演会を下記により開催します。パフさんは、イラク戦争は国際法上違法であるとして、これに加担することを拒否し処分され提訴しました。連邦行政裁判所は、良心の自由に基づいた命令を拒否する権利を認めました。

講演会「軍人の抗命権・抗命義務 ―イラク戦争への加担を拒否した連邦軍少佐に聞く―」

【日時】 2009年4月18日(土)
     14:00      開会
     14:10〜14:40  水島朝穂早稲田大学法学学術院教授による概説
              「ドイツ連邦軍の海外派遣をめぐる法的諸問題」
     14:45〜16:00  「侵略戦争を拒否する義務」ドイツ連邦軍少佐 フローリアン・パフ
                通訳 市川ひろみ(今治明徳短期大学教授)
     16:10〜17:00  質疑応答
     17:00      閉会
【会場】 伊藤塾東京校(伊藤塾東京校(03-3780-1717。JR渋谷駅南改札西口より徒歩3分)
【参加費】1000円(法学館憲法研究所賛助会員・伊藤塾塾生・学生は500円)
【主催】 法学館憲法研究所

*講演会への参加は事前予約制とします。参加希望者は事前にメールもしくはファックスにてお申込ください。定員に達し次第締め切ります。
 メール info@jicl.jp  
 ファックス 03-3780-0130

<講師紹介>
フローリアン・パフFlorian D. Pfaff 
1976年ドイツ連邦軍に徴集兵として入隊。その後、職業軍人となり現在は少佐。国際人権連盟Internationalen Liga fuer Menschenrechteよりカール・フォン・オシエツキー賞Carl-von-Ossietzky-Medaille(2006年)、ブュルテンベルク福音教会同盟Offenen Kirche より市民的勇気を称える賞AMOS-Preis(2007年)、世界市民連合Association of Word Citizensより世界市民賞World Citizen Award(2008年)を受賞。「制服を着た市民」を理念とする軍人による団体ダルムシュタット・シグナルの一員として活動中。著書Totschlag im Amt: Wie der Friede verraten wurde, HWK Verlag, 2008.

詳しくはこちら