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1970年

 
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ウーマン・リブ―近現代憲法に対する女性からの挑戦状
H.T.記

 1970年、「女性解放」運動であるウーマン・リブ(ウィメンズ・リベレーション)が産声を上げました。田中美津は、「エロス解放宣言」を各地の反戦集会などで配り始めます。中絶禁止法に反対して72年に結成されたピル解禁を要求する女性解放連合(略称中ピ連)の激しい運動は社会現象となりました。

 これは、60年代後半の大衆化した「ふつうの市民に」よる「ふつうの運動」の流れの中にあります。ボーボワールが「第二の性」で書いた「女に生まれるのではなく女になるのだ 」は、世界の女性たちの心をつかみました。
 ウーマン・リブは、その言葉を作ったアメリカでは、表面的には幸せなマイホーム生活を送っていた主婦たちが、夫や子供のためにだけ生きている「私って何?」という閉塞感から発生しました。ヨーロッパの場合は、学生運動の中から出てきました。従来の伝統的な女の役割に何の疑問も抱かない男性優位社会に対する反発です。日本のリブもどちらかというと、ヨーロッパ型と言われます。私生活の領域での男女差別や「女らしく」振舞うことへの強制を告発し、タブー視されていた性の問題にも踏み込みます(姫岡とし子「戦後五〇年をどう見るか」下所収)。ヨーロッパと日本では近代家族の成熟がアメリカよりも若干遅れていました。
 
 しかし、70年代半ばまでのウーマン・リブは、「草の根運動体」による時代とは言え、一部の人による運動に止まり、社会全体として女性個人が自己実現したり性別役割分担を打破して行こうという傾向はあまりみられませんでした。高度経済成長の過程で、男性は次第に会社人間・企業戦士になり家庭から遠のき、子育ては女性に任せるようになっていました。「性役割分担撤廃」が女性運動の大きな流れになったのは、「国際女性年」である75年頃からです。姫岡とし子は、「専業主婦から兼業主婦の時代へ」と特徴づけられるこの時期こそ、社会史的にみた女の戦後の決定的な転換点だと言います。農村からの労働力の供給が限界になり、主婦のパート労働がこれに代わったことが背景にあります。
 70年代末からは、女性学が登場し、80年代はそれまでの運動の時代に替わって女性学研究者によるフェミニズムの時代になりました。それらの運動や研究の成果を受けて85年には不十分ながらも雇用機会均等法が成立し、90年代は制度的達成の時代と言われます(斉藤美奈子「戦後日本スタディーズB」所収)。
 
 ところで、近代憲法は人間平等を掲げ、日本でも日本国憲法の制定によって女性は「解放」されたはずでした。それなのになぜ「解放運動」が起きたのでしょうか。
 
 ことは近代憲法の人間観に遡ります。人間の平等を強調したルソーでも、平等なのは市民社会と公権力(公共圏)を構成する男性間の平等に過ぎませんでした。資本主義経済の成立過程で自由・平等な個人として厳しい競争関係に生きる「市民」とは男性でした。女性はその男性を家族内部で支える貞淑な妻の役割を求められました。近代社会は、公共圏と家族圏という二元的構成を持ち、人間平等論と女性差別論を両立させました(若尾典子「フェミニズム法学」所収)。近代憲法は、具体的な家族像の規範化を家族法に委ねました。家族法は、性的特質・役割分担にもとづく性秩序を尊重・維持し、近代憲法のもう一つの顔となりました。
 
 1789年のフランス人権宣言は、女性からは当時から「男性及び男性市民のための権利宣言」に過ぎないと喝破され、1791年には「女性および女性市民のための権利宣言」が発表されました(辻村みよ子「女の人権宣言」)。
 
 既にこの頃から芽生えていたフェミニズムの思想は、19世紀後半から20世紀にかけて、国際的に連帯する第1波フェミニズム運動として顕在化し、女性参政権が認められて行きました。しかし、両性の平等はこの公民的権利に限定され、家族法だけでなく、家族生活や社会保障の領域でも性的特質・性別役割論は維持・強化されました。女性参政権保障後の課題は、この問題の克服でした。
 
 現代憲法はこの課題に答えました。ワイマール憲法は、婚姻における両性の平等を掲げました。日本国憲法24条も家族圏における両性の平等に言及しました。学会には日本国憲法の成立による戦後民主主義の進展をもって女性問題の転換点とみる傾向が見られました。
 
 しかし、これは憲法の規定の転換に止まり、経済社会、家族の現実は性差を維持したままでした。女性の生活という面では戦前からの連続性の側面が強く残存していました。この連続性に注目したのがウーマン・リブ以降の第2派フェミニズムです。女性参政権はすべての女性に共通していました。しかし、性に関わる問題は中絶やレイプ、DVなど当事者となった女性の個別の問題だという性格を持っていました。それゆえ、当事者個人の資質に問題があるかのように受け止められました。そこで、当事者女性とそうでない女性を結びつける視点として「女性の身体」が注目されました。ウーマン・リブは「ボディ・コンシャス」の要素を色濃く持ちました。
 
 なお、若尾典子(憲法学)は上記書の中で、女性の人権は日本国憲法の規範構造において最も鮮明に宣言されていると述べています。すなわち、近代憲法は、人権を掲げる国民国家を宣言するがゆえに、軍事力の担い手たりえない女性を公共圏から排除し、この構図は女性参政権の確保によっても変化しませんでした。近現代国家は、戦争に必要な「家族」の擁護を女性に担わせました。国家の対外的な暴力の容認は、家族圏における男性の暴力性の容認・放任の温床になりました。これに対して、日本国憲法は9条によって明確に近代国民国家の枠組みを否定し、人権の普遍性を非暴力によって確保することにしました。9条は、24条と連動して、公共圏と家族圏を貫く男性優位支配からの解放を提示しています。
 貧困が「自己責任」とされた時代から「社会的責任」と認識されるに至った過程と類似した変化があるように思われます。