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1971年

 
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沖縄の返還/金・ドルの交換停止
H.T.記

T 沖縄の返還

 1971年6月、戦後26年目にしてようやく沖縄返還協定が調印されました。

 沖縄には「非武の文化」があります。沖縄はかつて琉球王国という独立国で、15世紀後半から16世紀前半にかけて約50年在位した尚真王が、武器の携帯を禁止した結果、琉球は武器のない国、人々は「守礼の民」として海外にまで知られるようになりました。沖縄は、武力を持たずどこの国とも仲よく付合う通商に徹した国でした。本土が床の間に槍や刀を飾る「武士の文化」だったのに対して、沖縄は三味線を飾っていたことは象徴的です。

 その沖縄を、明治政府は1879年、軍事力で日本に編入し、沖縄県を設置しました(いわゆる「琉球処分」)。アジア・太平洋戦争の末期、敗戦が決定的になった段階で、本土への米軍の上陸を防ぐ捨石として沖縄を利用、島民の4分の1が犠牲になりました。武士の国が非武の国の民を死亡させたことになります。

 戦後の日本を占領したアメリカは、天皇制を利用して間接統治することが政策的に極めて有効であると考えました。これに対して、天皇制が再び軍国主義の精神的支柱として使われることを警戒した他の諸国は、天皇制の維持に危機感を抱きました。これに対して、アメリカは日本の非武装化で答えました。しかし、非武装化は、沖縄を日本から分離して直接統治し軍事要塞化することと有機的に一体の関係にありました。極東に軍事的な真空地帯を作らないためです。アメリカの政策が、日本を再軍備し、全土に米軍基地を配置する方向に転換しても、そしてサンフランシスコ講和条約で日本を独立させても、沖縄を軍政下に置くことは変わりませんでした。沖縄県民は講和条約が発効した52年4月28日を「屈辱の日」ととらえ、復帰運動を展開しました。それは、9条を持つ日本国憲法、すなわち「非武の国」の憲法が適用されることを願ってのことでした。

 アジア・アフリカ諸国の植民地解放運動もバックになって、沖縄の復帰運動は高揚し、1969年、佐藤栄作首相とニクソン大統領は共同声明で「72年・核抜き・本土並み」復帰を発表、協定は71年に署名され、国会で承認されました。しかし、本土の基地と異なり沖縄の基地からは事前協議なくベトナムなどへの自由な出撃が容認されました。また、07年になって、沖縄への核持込みの密約が存在した決定的な文書の存在が明らかになりました。ベトナム戦争に敗北したアメリカは、沖縄を返還することの代償として、核兵器と海・空軍重視の新しい戦略に切り換え、沖縄と本土の米軍基地機能を強化し、「日米安保」から「アジア安保」に格上げしました。沖縄の基地の重要度は高まり、公約とは逆に「核隠し・基地強化」となりました。そのため、沖縄県民からは、新たな差別と犠牲を強要するという意味で「沖縄処分」と呼ばれています。


U 金・ドルの交換停止

 通貨の価値や流通は、国民の経済生活に直結し、国民の幸福追求権や健康で文化的な生活を左右する憲法問題でもあります。国際的な通貨政策の歴史は、戦争や無秩序な投機などによって、世界の人々の暮らしを翻弄してきた歴史でもあります。

 資本主義は金や銀という貴金属を貨幣(投資手段)としました。金や銀を得るために南米の先住民を虐殺したのも、これらが貨幣だからです。19世紀の資本主義は、金を準備金として銀行券を発行することで金の量を大幅に上回る信用創造のシステムを開発し、さらに国債や株式などによる投資機会の拡大を考案しました。同時に中央銀行制度によって通貨発行を国の規制下に置くことによって金融秩序を維持しました。20世紀に入ると、まず国内市場で金本位制を廃棄して通貨発行量の金による制約を解除しました。世界経済は金本位制を採っていましたが、第一次大戦で増大した対外債務支払いのため各国とも金を国家に集中させ、通貨の金兌換を停止します。大戦後各国とも金本位制に復帰したのもつかの間、世界大恐慌で総ての国がまた離脱しました。その結果、通貨圏はドル圏、マルク圏、円圏など狭い形でブロック化され第二次世界大戦に突入します。第二次大戦後はこれを反省し、通貨価値を安定させ自由で多角的な世界貿易体制を作るため為替相場の安定が図られました。戦争で各国経済が疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量と貿易黒字で世界経済をリードできる立場にあったので、アメリカのドルを中心とする通貨制度が発足します(1945年12月に発効したブレトン・ウッズ体制)。すなわち、金1オンスを35USドルと定め、そのドルに対し各国通貨の交換比率を定めました(金本位制)。この固定相場制のもとで、日本円は1ドル=360円に固定されました。ドルを基軸通貨とした国際通貨基金(IMF)、世界銀行が国際経済を支えます。この新体制は、植民地が次々と独立していく中で、大国が各国の経済を支配するための新秩序の構築という側面がありました。

 しかし、アメリカは新しい世界秩序の構築のために世界各地で軍事力を積極的に行使した結果、1950年代の後半からは国際収支は著しく悪化し、金の保有量も激減して行きます。特に60年代後半以降のべトナム戦争の戦費の増大(国家財政の40〜49%)・海外投資の増加・貿易赤字の増大は決定的で、ドルに対する信用は大きく低下し、金1オンス=35USドルの維持は困難となりました(ドル危機)。そのため、71年8月、ニクソン大統領は突然ドルと金の交換の停止と10%の輸入課徴金の実施などのドル防衛策を発表しました。IMF制度を揺さぶる事態であり、実質的な円安によって輸出を伸ばしてきた日本経済は大きな打撃を受けました。その後もドルの急落は止まらず、73年には主要通貨は市場の売買で交換比率がその都度変わる変動相場制に移りました。

 このようにして、米ドルは制度的には基軸通貨としての資格を失いましたが、米ドルは政治力と軍事力でその後40年近く国際取引の中心としての役割を維持してきました。しかし、昨年からの金融危機で、ブレトン・ウッズ体制は実質的にも崩壊する可能性をはらんでいます。