法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

1973年

 
一覧表へ>>
福祉元年
H.T.記

 戦後の日本は、憲法で福祉国家を謳いました(25条以下)。1973年になって、田中内閣はようやく「福祉元年」と宣言しました。

 1940年代以降の欧米は、雇用政策の考え方を構築したケインズと、社会保障制度のモデルを提唱したべヴァリッジの名前を組み合わせて、「ケインズ・ベヴァリッジ型福祉国家」を概ね追求してきたと言えるでしょう。日本も基本的にはこの方向を目指しました。福祉国家への道の第1期は、1961年までです。福祉3法(生活保護・児童福祉・身障者法)、そして1950年の社会保障制度審議会の勧告を経て、福祉国家の理念や制度の枠組みが形成されて行きます。57年に誕生した岸政権は、社会党との対抗関係の影響もありますが、広範な国民を包摂する社会保障制度の実現を目指します。尤も、戦前の「革新官僚」の体質を備えていた岸らしく、ナショナリズムの帰結としての格差是正論でした。1961年には健康保険と公的年金が国民すべてを被保険者とする、皆保険皆年が成立しました。国際的には早い部類に属します。しかし、社会保障の枠組みができただけで、内実は伴っていませんでした。社会保障給付の規模を見ると、60年の日本は対国民所得比で4.9%に過ぎず、同年の西欧諸国のほぼ3分の1程度でした。

 第2期は、池田内閣の高度経済成長政策の展開から73年の「福祉元年」までです。池田内閣の下では、ナショナリズムとともに、所得再分配の論理も後景に退き、国民所得倍増という、パイの拡大そのものに力点を置く路線に転換します。生活保障を目的とする福祉国家は、社会保障と雇用保障(雇用の創出と拡大を実現する諸施策)の連携で成り立ちますが、この時期は後者を重視し、北・西欧型の福祉国家に追い付く道は最初から放棄され、経済成長のための産業インフラ整備(公共事業投資)に財政を重点的に投入しました。「日本では、西欧の福祉国家型の枠組みとは異なり、大企業の成長と蓄積に国家努力を集中し、その結果として雇用と賃金が拡大・上昇して相対的過剰人口(≒「二重構造」)が吸収される、という道筋が選ばれた。図式化すれば、西欧福祉国家の場合、国家財政の多くを社会保障費や各種の社会的支援に用いる、直接的な国民生活支援が主であったのに対し、日本の国民生活安定策は大企業の成長を間においた間接的な支援を中心としたのである。年金保険と医療保険の分立・格差構造は、こうした開発主義的な大衆社会統合策を前提したものであり、…開発主義的社会保障を形作ったのである。」(後藤道夫「日本型社会保障の構造−その形成と転換−」吉川弘文館『高度成長と企業社会』所収)。敗戦による経済的苦境から出発して驚異的な経済復興を遂げた日本と西ドイツを比較すると、70年の対GDP比では日本の社会保障移転は4.7%だったのに対し、西ドイツは12.2%でした。「福祉国家」としての北・西欧、「軍事国家」としてのアメリカに対して、日本は「企業国家」と特徴づけられました(宮本憲一『公共政策のすすめ』)。

 しかし、生産至上主義は3大都市圏と地方間の格差を生み、政権政党だった自民党の地盤を危うくしました。その影響もあり、70年代に入った頃からは、公共事業で地方に雇用を創出する、いわゆる「土建国家」のシステムが採用されました。推進したのが「日本列島改造」を唱える田中角栄内閣です。以後、GDP比に占める公共投資の割合は、先進国の中では例外的に突出して行きます。雇用保障のもう一つの柱になるべきものは職業訓練などの積極的労働市場政策ですが、少なくとも支出規模で見る限り、OECD諸国の平均を一貫して下回っています。就業構造や経済の二重構造をそのままにして、中小零細企業の保護政策が採られました。

 とはいえ、経済の驚異的な高度成長の持続をバックにしたこれらの諸施策のため、雇用レジームにおける所得格差は縮小しました。社会保障の分野でも72年には老人医療の無料化、73年には年金給付額の大幅な引き上げなどが行われ、社会保障関係の国家財政は15%台まで上昇し、「福祉元年」と称することが可能となりました。これは、東京をはじめ全国の主要都市で、「福祉と環境」を掲げた革新自治体が相次いで誕生したことに対する対抗策でもありました。福祉国家の明確なビジョンに基づく成果ではなく、政権維持のための政治の論理によるものでした(宮本太郎『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』)。

 そのため、74年にオイルショックに見舞われると、福祉国家への道は途中で挫折し、今日に至るも北・西欧諸国と比較すると「小さな国家」として止まっています。「福祉元年」は1年で終わりを告げました。

 70年代後半から始まる第3期は、「企業国家」としての日本型福祉国家に固有のバイアスが現われてくる時期です。北・西欧では、国による相違はあれ、横断的な労働市場と高い組織率をバックにした強力な労働組合と社会民主主義政党の存在などが、労働者個人の生活費以外の部分は公共的で統一的な経費として国家が保障する体系的な社会保障政策を強力に求め、実現させてきました。これに対して、日本の場合は、雇用環境でも社会保障でも、戦前からの大企業、中小零細企業、農林漁業、公務員などの間の分立と対立をそのまま引きずって来た側面が濃厚です。大企業においてはさまざまな優遇策を受けて、終身雇用制と、男性世帯主に対する家族賃金、企業年金などの企業内福祉が公的な社会保障をカバーしあるいはそれに上乗せされ、相対的強者として労使一体となって国家の中核を形成しました。それからはずれた部分は、公共事業をはじめとする各種補助金を使った利益誘導政治でカバーされました。二宮厚美氏は、「企業社会プラス利益政治」が福祉国家のカウンター・パワー(対抗力)として有力になってきた時期」と述べています(憲法25条+9条の新福祉国家)。