法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

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1975年

 
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司法の冬の時代
H.T.記

 1975年以降、下級裁判所による違憲立法審査権の行使の事例はぐっと少なくなり、また行政裁判では住民敗訴の判決が続きました。司法行政における最高裁判所のイニシアティブが徹底され、司法の「冬の時代」と呼ばれる状況が続きます(吉野正三郎「テキストブック 現代司法」)。

 日本国憲法は、基本的人権の保障、民主主義、平和主義という基本原理の実現を最終的に担保する役割を司法権に与えました(司法国家)。そして司法権がこの役割を果すことを可能ならしめる核心として、「すべて裁判官はその良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、裁判官の独立を強く保障しました(76条3項)。
 しかし、裁判官に対する戦争責任の追及は稀で、戦前の幹部のほとんどが重要な部署に配置され、裁判所内の民主化の動きは他部門に比べて相対的に弱いものでした。このことも影響して、裁判官の独立を保障するための裁判官会議による司法行政権の行使は、早くも50年代の半ば頃から後退に向かいます。それでも、60年代に入ると、社会の一定の民主化を反映して憲法感覚に富む下級裁判所の判例が続出するようになりました。戦後の教育を受けた裁判官が増加してきたこともその大きな原因です。66年には全逓東京中郵事件、69年には都教組事件で、最高裁も公務労働者の労働基本権に理解を示す判例を出すに至りました。

 これに対して、政治部門は強烈な危機感を抱きました。その結果採られた方策の一つが、政治部門の政策に理解を示す傾向の強い一連の最高裁判所裁判官(及び長官)の任命です。最高裁は、73年の全農林警職法事件をはじめとする人権制限的な判決の時代へと逆コースの道をたどります。もう一つは、個々の裁判官の独立を侵害する裁判所内外からの動きです。典型的には、69年の平賀書簡事件として現われます。自衛隊が9条に違反して違憲かが争点になった長沼ナイキ訴訟を担当する札幌地裁の福島重雄裁判長に対して、同地裁の平賀健太所長が、判決の方向性を指示する書簡を交付しました。同地裁の裁判官会議は、これは裁判官の独立を脅かす行為だとして厳重注意する旨を決議しました。しかし、福島氏が青年法律家協会に加入していたため、翌70年にかけてこれを批判する意見が自由民主党の機関誌に掲載され、大新聞の社説もこれに同調します。福島氏は国会の裁判官訴追委員会で「訴追猶予」という、「不訴追」の平賀氏よりも重い決定を受けました(詳しくは、本年4月刊行の福島重雄他編集『長沼事件 平賀書簡―35年目の証言』参照)。青年法律家協会は、「全国の若い法律家があつまって平和と民主主義をまも」り、憲法を擁護する趣旨で設立された研究会・親睦会です(70年には裁判官部会が部会の一つとして独立)。最高裁判所は青年法律家協会を「政治的色彩を帯びる団体」であるとの公式見解を発表し、個別に脱退勧告を行い、各地で退会が相次ぎました。71年には、会員だった熊本地裁の宮本康昭判事補が任期10年の再任を拒否されます。一連の動きで最高裁が論拠としたのは、裁判官の「公正らしさ論」でした。これに対しては、会員の花田政道横浜地裁判事からの「この職業倫理が過度に強調されると、裁判官が世評を気にしすぎて必要以上に自制することになる。職務内容の向上にもつながる知識の吸収や研究の自由が妨げられることにもなる。青年法律家協会裁判官部会は研究活動を中心とするものであり、政治的色彩のある団体ではない」旨の指摘などがありました(萩谷昌志編「日本の裁判所」)。

 他にも、最高裁判所みずから「裁判官の独立」を侵害する例として、@判決内容や裁判官会議での発言、思想に基づく勤務評定、人事(任地・昇進、給与)差別、A一時みられた裁判官カードへの裁判所内外の交友関係の記載、B担当事件の経過等の最高裁への報告書提出の義務づけ、C検察官と裁判官の広範な人事交流による両者の事実上の一体化、D最高裁事務総局主催の裁判官会同や照会に対する回答による裁判内容の間接的な統制など、多数指摘されています(木佐茂男「西ドイツ司法改革に学ぶ―人間の尊厳と司法権」など)。

 戦前はファシズムの歴史を持ち、戦後は民主主義社会の建設を追求する憲法を手にした点で共通するドイツと日本はよく比較されます(ドイツは「ボン基本法」)。(西)ドイツでも、60年代までは戦前の体質を持つ官僚的な司法制度が問題になっていました。しかし、60年代末以降、裁判官の独立、司法の民主化、社会的な弱者への配慮への努力は目覚しいものがあります。日独の相違を一言で言えば、「裁判官の独立性」の徹底度の差です。日本では、能力が優秀でも、最高裁が是認できない判決(違憲判決など)をした裁判官は左遷と見られるような支部の裁判所や家庭裁判所に転勤させられ例が枚挙にいとまがありません。そのために裁判官自身による自主規制は相当なものがあるといわれています(いわゆる「ヒラメ裁判官」)。ドイツでは具体的な事件がなくても憲法判断ができるシステムを採っているとはいえ、連邦最高裁判所が下した違憲判決は500件を超え、同裁判所は各種公共的機関のうちで最高の信頼を得ています(木佐茂男同上書)。これを可能にした大きな要因は「裁判官の『市民化』」です。裁判官も一労働者として労働組合に加入して活動しています。政党加入や、政治的なものを含め、市民として意見表明することも自由です。反核運動は有名です(岩淵正明「現代ドイツの社会・文化を知るための48章」、(DVD「日独裁判官物語」参照)。裁判は市民の目線でなされるべきものであることを考えると、これは当然なことです。そのうえで、個人としての思想と、法に基づく裁判は、明確に区別しています。見逃せないのが、司法行政のみに携わる裁判官がいないことです。日本では最高裁事務総局に代表される、司法行政のみに従事するエリートが裁判所全体の動きをリードする傾向にあること(司法官僚制―「裁判官の『官僚化』」)と対照的です。

※法学館憲法研究所の元裁判官講演会にて、福島重雄氏、花田政道氏は6月19日に、宮本康昭氏は7月16日に講演します。市民が裁判に参加する裁判員制度が始まった今、裁判所の実像に迫る講演会に参加なさって、ありうべき裁判所像を語り合いましょう。詳しくはこちら