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1983年

 
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家族の分解の時代/司法判断を骨抜きにしたサラ金法の成立
H.T.記

T 家族の分解の時代

 1970年代後半からは虚無的な社会現象が目立ってきました。社会の最小構成単位である家族の虚構性も表面化し、家族の分解が社会問題になりました。1983年に発生した戸塚ヨットスクール事件も、これと無関係ではないと考えられます。家族の分解を象徴するのは、若者による、家庭内の孤立や孤独が大きな原因と考えられる新しいタイプの犯罪です。

 これと対比される1960年代までの少年犯罪は、家庭の貧しさを遠因としていました。永山則夫被告の連続射殺事件が代表的です。この頃の日本社会は、経済的な豊かさの実現を信じ、努力すれば幸福な生活を獲得できるという未来志向がありました。家族などの共同体にも原風景が存在し、それなりに喜怒哀楽を共有していました(「『昭和30年代』 ― レトロ趣味?『昭和30年代』空気が濃かった時代」参照)。永山事件は、母子家庭の貧しさ故に豊かさから取り残されたことに起因する悲劇でした。


 70年代に始まったいくつかの事件を経て、80年には大学受験の2浪中の青年が金属バッドで就寝中の両親を惨殺しました。両親に粗末にされたことによる怨恨殺人といわれました。青年にとって、家族は厄介で煩わしい、消失すべき対象に変じていたのかもしれません。88年には、「礼儀正しい普通の子」である中学2年生が、父母と祖母を包丁で刺し殺し、平然としている姿に、世間は魂の空虚さを感じました。(佐々木嬉代三「社会的病理からみた戦後50年」「戦後50年をどうみるか」下巻所収)。88年から89年にかけて東京と埼玉で起きた25歳の青年宮崎勤被告による連続幼女誘拐殺人事件は、さらに深刻な問題を提起しました。彼は両親との関係は極めて希薄で、アニメやビデオなどの仮想空間にのめり込む孤独な生活を送っていました。


 これらに共通するのは、家族の分解ないし崩壊と、自己の現実的な存在感の希薄さです。人間の尊厳の内実をなす「自己実現」(13条)の対極にある状況です。それが、相手の存在をも否定し、モノ扱いする関係性につながっていると評されています。


 青年による事件ではありませんが、80年には若い女性たちによる「ノアの方舟」事件がありました。暴力的な夫や心が通わない家族に見切りをつけ自らの意思で、ある男性教組と共同生活に入ったことが世間から奇異な眼で見られました。教組は勾留されましたが、共同生活は彼女らにとっては家族の再生の場であることが判明し、不起訴になりました。


 戸塚ヨットスクールの事件は、情緒障害児等に対するスパルタ教育と称するしごきで、多くの死傷者や自殺未遂者を出した事件です。家族が情緒障害児を安易に家庭から放逐し、体罰を伴う戸塚宏氏に教育を委ねた事件で、家族の解体の一側面が見られます。


 家族の分解の背景には、先進国の中でも際立った日本の企業社会化の進展や、人間の商品化、情報の個人化などがあります。生活の場に直結する地域共同体の崩壊も無縁ではありません。消費社会化が浸透した70年代からは、スカイラークやデニーズなどのファミレス、レンタルビデオ店、家電、冠婚葬祭など消費空間のロードサイドビジネス化が進みました。生活が便利になった側面と同時に人間関係の稀薄化を惹起しました。


 物質的に豊かになり独立した部屋を与えられた子供たちは、孤立した自室で電話しテレビやビデオを視、マンガを読み、親と断絶することが多くなりました。ウォークマンなどメディアを通じたバーチャルな空間の方に親近感があるという子供が多くなりました。家族にも隣人にも挨拶をしない子供が増えました。

 
 家族の解体は子供が通う中学や高校における校内暴力の多発化にも影響しています。
 それでも80年代は、青年たちの暴力性は学校教育やマスメディアによって抑え込まれ内閉化されました。反転するのは、90年代後半以降の新自由主義の本格化以降です。

 「私達の安心と幸せは人間として助け合える一体感の中にあり、生身の人間がふれあって活力を与え合う協働の中にある。人間は個人的存在であると同時に、社会的存在であり、また同時に自然とともにある自然的存在でもある。これが人間の本来の姿なのだ」(暉峻淑子「豊かさの条件」)。


U 司法判断を骨抜きにした「サラ金規制法」の成立

 日本の司法は、国会が制定した法律の審査に甘く、三権分立の機能不全と批判されています。それでも、民事部門などでは、法律を積極的に審査し、国民の権利や利益を相当程度擁護する裁判を行ってきました。
 即ち、裁判所は、利息制限法の上限(最高年20%)を超える金銭消費貸借上の利息の約束は無効であり、債務者が超過利息を任意に支払っても、元本が残存すればそれに充当され、また、元本が完済された場合には、不当利得として返還を請求することができると判示しました(最高裁判例1968年11月13日など)。裁判所の判断は、利息制限法をはるかに超えた利息(出資法により刑罰を受ける年109.5%未満のいわゆるグレーゾーン)で貸し付けていたサラ金業者の暴利を戒める一方、一家離散や自殺など、「サラ金地獄」で苦しむ国民を救済する裁判として歓迎されました。他方、サラ金業界と、そこに資金を貸し付けて莫大な利益を得ていた銀行業界にとっては大打撃でした。

 憲法の建前からすれば、国会は裁判所の判断を尊重することになります。しかし、国会は逆方向に動きました。長年に渡る業界の要望をほぼそのまま受け入れた内容の通称サラ金規制2法案が、1983年4月、自民党、民社党、新自連(新自由クラブ・民主連合)の賛成多数で可決成立しました。この法律は、グレーゾーンの利息でも、貸金業者に任意に支払ったときは、「有効な弁済とみなす」として、裁判所の判断を骨抜きにしました。しかも当時既に大部分の業者が年利70%前後で営業していましたが、法律は施行後3年間は現実の営業実態を追認し、年73%の高金利を公認しました。上限を段階的に引き下げることになっていても、期限は不明確でした。尤も、契約書面の交付などの条件が義務付けられましたが、ほとんど無意味な条件でした。この法律に対して、日弁連は、法律の名称とは裏腹の「業界保護法」であると猛反対しました。

 その後、従来にも増して、一家心中など、サラ金地獄は拡大しました。消費者保護の運動の高まりなどを背景に、現在では最高利率は29.2%にまで下げられ、明年6月22日までには、「有効な弁済とみなす」旨の規定を削除する法律も施行されることになっています。