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1984年

 
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中曽根総理大臣の靖国神社「公式参拝」
H.T.記

 中曽根康弘元首相は、「政治の究極の目的は文化に奉仕するにあり」を信条としています(中曽根康弘著「自省録―歴史法廷の被告として―」)。元首相にとって、靖国神社の公式参拝は、「政治の究極の目的」を実現するための「信条」に関わることでした。

 内閣総理大臣や閣僚の靖国神社参拝問題は、75年8月15日の三木武夫総理大臣の参拝以来顕在化しました。但し、この時は私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)を付しての私人としての参拝でした。
 80年11月、鈴木内閣の宮沢官房長官は、国務大臣としての資格で参拝することは憲法上問題であり違憲ではないかとの疑念を否定できない、とする政府統一見解を発表しました。

 これに対して、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根首相は、84年8月、藤波官房長官の「私的諮問機関として、「閣僚の靖国神社公式参拝に関する懇談会」を発足させました。大統領型首相を志向した中曽根流の私的諮問機関の多用の一例です。懇談会は、翌85年の終戦記念日の直前の8月9日、予想通り公式参拝にお墨付けを与える報告書を提出しました。中曽根首相はこれに基づき、同月15日、神道色の儀式はやめて本殿に一礼するに止めつつも、「供花の実費」は公費で支出し2閣僚を伴い「内閣総理大臣の資格で」「公式参拝」しました。

 報告書は、戦没者の追悼は「人間自然の普遍的な情感である」から国及びその機関が国民を代表する立場で行うのは当然であり、「国民や遺族の多くは、‥‥内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社を公式参拝することを望んでいるものと認められる」としています。これに対しては、戦前の反省に基づいて厳格な政教分離を規定した憲法20条3項をまったく踏まえていないとの批判がなされました。この時の公式参拝について大阪高裁は、「憲法20条、89条に違反する疑いがある」との判断を示しました(92年7月30日)。その後最高裁も、「愛媛玉串訴訟」で「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教とかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができる」として、政教分離の規定を厳格に解しました(1997年4月2日)。報告書の論理は完全に否定されたことになります(浦部法穂「憲法学教室」)。

 中曽根首相の公式参拝に対しては中国などが激しく反発し、翌年から取りやめになりました。総理大臣は、「信条」もさることながら、プラグマティストでないと長く務められないということでしょう。尤も、その後現在に至るも、教育基本法の改定や日の丸・君が代教育、憲法改定などの場面で「日本固有の文化」を実現するうえで指導性を発揮しています。