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法学館憲法研究所

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1986年

 
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女性差別撤廃条約の批准と男女雇用機会均等法の施行
H.T.記

 戦後、女性は憲法の上では平等になりました。しかし社会的には、「女は劣った性」などという偏見や性差別慣習によって、女性に対する差別は暮らしのなかで日常的に行われてきました。
 姫岡とし子氏は、社会史的にみた女性の戦後の決定的な転換点は75年頃だと記しています。「専業主婦から兼業主婦の時代へ」と特徴づけられるのがこの時期であり、同時に、家事・育児・介護は女性という「性役割分担撤廃」が女性運動の大きな流れになった時期だからです(「女の戦後50年」 「戦後50年をどうみるか」下巻所収)。

 女性の労働力率は75年を境に上昇して行きます。それは主に、既婚女性がパート雇用として労働し始めたことに起因しています。この雇用形態が大きく影響して、日本における男女の賃金格差は先進工業国の中では最大です。欧米では、結婚退職、子育て後の再就職という典型的なパターンをほとんどとっていません。「性役割分担」は、労働市場の他にも広範に見られます。この頃、「私作る人あなた食べる人」というコマーシャルがテレビで放映され、家庭における「性役割分担」を固定化させるものだとして婦人運動家の市川房枝さんなどから異議申し立てを受けました。

 世界を見ると、75年の国際婦人年以降、男女平等に向けての国際的な取り組みは目覚しいものがありました。79年には、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(女性差別撤廃条約)が国連総会で成立しました。
 日本は85年にこれを批准し、同年に発効しました。この条約は、締約国に対して女子に対するあらゆる形態の差別をなくして事実上の平等を実現するよう求めています。特に注目される以下の点を明言しているこの条約は、「一歩進んだ人権条約」といわれています(富岡恵美子他編「現代日本の女性と人権」)。
  @法律、規則に加えて、偏見、差別的慣習・慣行もなくすこと。
  A個人、団体、企業による差別もなくすこと。
  B「男は仕事、女は家庭」という固定的な性役割分業をなくすこと。
  C男女の特性は異なるという「特性論」を否定したこと。

 この条約を批准するためには、雇用における男女差別全般を規制する法律が必要でした。そのため、85年に「男女雇用機会均等法」が制定され、86年から施行されました。採用、配置、昇進等に関して女性を差別してはならないとするこの法律は、罰則規定がなく、法律の遵守は企業の努力義務に委ねられるなど、ザル法だと批判されました。それでも、均等法は大きな話題になり、テレビ・ニュースのアナウンサーなど能力や意欲のある女性にとっては男性と対等に働ける道が開かれました。

 女性たちからの均等法の改正の声の高まりや少子化対策によって、女性労働者対策は徐々に重視されて行きました。97年には、努力義務の規定は修正され、募集・採用から定年・退職・解雇まで、女性差別はすべて禁止されることになりました。しかし、平等化の道のりは遠いのが実情です。総合職や管理職に占める女性の割合は小さく、賃金格差も大きいままです。

 日本における女性差別は極めて根深いものがあります。例えば条約は介護育児休業など男女が共に担うことを宣言していますが、日本は世界の流れから大きく遅れています。
 女性差別撤廃条約が定める権利が侵害された場合、条約を批准した国の個人または集団は、権利侵害を国連女性差別撤廃委員会に対して直接、通報ができるという「個人申し立て制度」を保障する選択議定書があります。今日までに、96カ国が批准しています。しかし、日本は未だに批准せず、国会でもしばしば追及されています。しかし、マスコミもほとんど採り上げないためか、進展していません。女性たち自身が世界に目を向けて、もっと声を上げるべきでしょう。