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1988年

 
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バブル景気とその崩壊
H.T.記

 「バブル」という言葉は、1980年代半ばまでは、「泡」を意味するに過ぎませんでした。しかし、86年からの日本経済の状態を指して命名されました。すなわち、「実態以上に経済がふくらみ、みせかけの繁栄を作り出した状態」をいいます。企業や個人は、土地や株式への異常な投機的な投資で一時的に資産を著増させ、消費も伸ばしました。都市部の地価は5年程度で3.5〜5倍になりました。株価も他の先進諸国に比して、急騰しました。

 「見せかけ」の経済は、91年には崩壊し、土地、株、ゴルフ場会員権など、軒並み暴落しました。その後10年間は空前の不況となり、おびただしい企業と個人が大きな打撃を受けました(「失われた10年」)。「バブルになってしまった」というふうに、原因をあいまいにして、どこにも誰にも責任がないかのような言われ方がバブル期には流布していました。

 1985年、「軍事国家」アメリカは、軍への莫大な支出と新自由主義による富裕層への減税などで財政の赤字がふくらみ、また、企業の国内生産力の低下と多国籍化などで貿易赤字を膨らませました(双子の赤字)。85年、G5各国はアメリカのドル高是正の要請に応じて為替市場に協調介入します(「プラザ合意」)。その結果、円は急騰しました。

 政府はその後、行き過ぎた円高による打撃を受けることの予想された輸出業界を救済するため、また、アメリカからの要請もあって、超低金利政策に転じました。87年〜88年には2.5%という世界最低水準の低金利政策を実施しました(87年末のアメリカの公定歩合は6%)。アメリカの目的は、日本の金利をアメリカの金利より低くしておき、日本の資金をアメリカに流入させ、赤字の穴埋めをさせようというものでした。

 加えてアメリカは日本にたいして内需拡大(輸出の抑制)による経済成長を求めました。日本はすでに多額の財政赤字減らしに取り組んで来ましたが、バブルのさなかに年50兆円の公共事業計画を対外公約として約束し、財政を拡大しました。

 それまでの素地として、80年代からの外貨取引の自由化による投機的資金の流入の影響も無視できません。84年にアメリカの要求で「日米円・ドル委員会」が設置され、日本の金融市場の開放や金利の自由化、いわゆる「金融・資本の自由化」が始まりました(内橋克人「悪魔のサイクル―ネオリベラリズム循環―」)。ネオリベラリズムがアルゼンチンなどラテンアメリカ諸国の経済を破綻させたことは知られていますが、日本でもこれに近い現象が起きていました。

 しかも、70年代前半までで日本経済の高度成長は終わり、企業の多額の内部留保金も行き場を失っていました。

 このような超金余り現象の下で、主に二つの経路でバブルが発生しました。一つは、銀行が中堅・中小企業(不動産関連)あるいは住宅専門金融会社(住専)などのノンバンクに貸し出し、その資金が土地に流れ込むルートです。担保の審査もずさんを極めました。末端では、「地上げ屋」が暴力団を使って土地を手放さない住家にダンプカーを突っ込ませて立ち退かせるようなことも珍しくありませんでした。

 二つ目は、一般企業が主として資本市場から調達した資金で、財テクといわれた多様な資金運用の一環として株式などを購入したルートです。株価は額面総額よりはるかに高くなっていたので、銀行から資金を借り入れるよりもずっと有利でした。もっとも、銀行からの融資もありました。こちらの方はマイナス金利で融資していたことなど一般には知られていない事実もあります。

 株価は90年1月に暴落し、地価も同年末には低下し始めました。跡には巨額の不良債権と不良資産が残りました。「現実の経済では、貨幣量はバブルの期間を通じて着実に上昇しつつあったから、いずれは深刻なインフレが生じると考えるのが常識である。だが、それにもかかわらず、当局は輸出に悪影響があるという論理で金利を変更しようとはしなかった。政府は相変わらず経済成長に大きい関心を持ち続けており、経済の金融面に関する政府の理解は、計画経済だった戦時中と同じく貧弱なままであった」(森嶋通夫「なぜ日本は没落するのか」)。

 経済学の常識を無視して、「土地や株は値上がりし続ける」という思い込みによる貸付額の「ノルマ制の強行」で、「日本経済の司令塔の役割を果たしていた銀行員のモラルの荒廃は致命的だった。保険会社も証券会社も、…製造工業ですらそうだった。職業倫理は荒廃してしまった」(森嶋通夫 同上)。「資産格差が大きくなるという問題点も生じた。とくに低資産層を重視して分析した結果をみると、不平等度が大きくなるところに社会的な問題の深刻さがあった(「経済白書」1989年版)。「金融の超緩和と公共投資による内需拡大策がバブルを生んだ。既得権益が残り、官も民もそれを失うことを恐れて、円高を生かそうという構造改革にならなかった。道路公団の役割が終わったことも当時から指摘されていた。米国債を買い、米国の赤字を支える構造も変わっていない。」(西井泰之編集委員 05.9.14付朝日新聞)。