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1991年

 
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戦争責任を問う第3の波―戦時性奴隷強制被害者等に対する私たちの責任
H.T.記

 1991年12月、金学順(キム・ハクスン)さんたち35人が、日本政府に対して謝罪と補償を求めて「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」を東京地裁に起こしました。金さんは、元「従軍慰安婦」として初めて実名を明かし、それまで韓国の女性団体などが問題にしてきた「挺身隊」について、日本軍の関与を認めなかった日本政府を告発しました。90年代は、戦争責任論の第3の波の10年となり、この間、日本国籍以外の人たちが61件もの戦後補償裁判を起こしました。

 日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように決意」(前文)すると謳い、戦争の実体験に基づいて平和主義を採用しています。戦争の反省と責任の追及は平和主義の出発点となるものです。戦争責任論の第1の波は1946年前後に発生し、主として天皇の責任をはじめとする国家体制の正統性をめぐるものでした。第2の波は1956年前後に盛り上がり、「55年体制」で成立した保守政治家や「革新勢力」等の正統性が問い直されました(小熊英二「民主と愛国」)。

 第3の波は、アジア諸地域に対する加害責任が中心となりました。これには、冷戦の終結が影響しています。冷戦期には、日本と国交を回復し、賠償という形で援助を引き出した各地の政権にとっては、民間からの対日補償請求は政権の正統性を脅かすものとして抑制されました(65年の「日韓基本条約」、72年の「日中共同声明」参照)。さらに、90年代までにアジア諸地域の民主化運動が進展して、要求しても弾圧されなくなったことも一因となりました。サハリン残留朝鮮人、各地のBC級戦犯被害者、強制連行・強制労働などの被害者から日本政府や企業に対して続々と補償要求が持ち出されました。

 しかしながら、未解決の直接の原因は、日本政府の姿勢にあります。敗戦に際して、政府は責任を問われる可能性のある公文書を組織的に破棄・隠滅し、その後責任追及がなされても、証拠がないとして事実を否定してきました。

 金さんら、元「従軍慰安婦」(旧日本軍性奴隷)の問題についてはマスコミも大きく採り上げて社会的な関心が広がり、大きな政治問題になりました。提訴の翌月である92年1月、隠滅を免れた軍慰安所設置を指示した6点の公文書が公表された翌日、政府は態度を変更して加藤紘一内閣官房長官が日本軍の関与を認め、次いで訪韓した宮澤喜一首相は韓国の国会で「従軍慰安婦問題」で公式謝罪しました。翌93年、政府の調査結果が公表されると、政府見解が河野洋平官房長官談話として示され、「慰安婦」制度が「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であることが公式に確認されました(吉見俊哉「従軍慰安婦」等)。

 この変化に反発して、90年代後半から、保守政治家や新保守主義の学者を巻き込んで、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される「歴史修正主義」が台頭してきます。

 一方、補償を求める裁判では、最高裁で請求が認容されたものはありません。@国家間の条約で個人の請求権も放棄されたとの解釈、A国家賠償法施行前においては、国は違法な公権力の行使によって他人に損害を与えたとしても、損害賠償責任の根拠となる法律が存在していなかったから、損害賠償責任を負わないとする「国家無答責の法理」、B既に長年経過してしまったという除斥期間の法理などが理由とされています。但し、下級審ではこれらの法理の壁を崩すものも出現するに至っています。

 司法では救済されないため、性奴隷の問題については、「戦時性奴隷強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」が2000年に民主党によって提出されて以来(民主党ネクスト・キャビネット大臣千葉景子氏=民主党新政権法相)、3野党共同で昨年までに8回参議院に提案されています。今後の国会の対応が注目されます。