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1996年

 
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歴史教科書に対する攻撃の開始
H.T.記

 1996年は、歴史教育に関して、二つの動きがありました。国連人権委員会、同小委員会で採択されたラディカ・クマラスワミ報告は、日本軍性奴隷問題について、日本政府に対して「歴史的現実を反映するように教育内容を改めることによって、これらの問題の意識を高めること」を勧告しました。もう一つは、新しいナショナリズム運動からの強い働きかけです。教育は、民主主義国家にとっては、マスメディア、選挙制度、司法のあり方などとともに、その内実を決める中核です。教育の中でも史実のどれをどう教えるかは、ホットな政治問題でした。

 歴史教科書は、80年代半ばから改善されていました。要因の一つは、長年にわたる家永教科書裁判を中心とした国民運動です。もう一つは、82年7月の、中国や韓国などアジア諸国からの抗議です。この年の6月の検定で、アジア太平洋戦争における日本の「侵略」を「侵攻」と書き改めさせるなどの指導がなされたため、戦争で被害を受けた諸国との間で外交問題となりました。このため、政府は「批判に耳を傾け、政府の責任で是正する」という「政府見解」を発表、文部省は、「侵略」の用語や南京大虐殺などの加害記述に検定意見を付けて修正しない、という「近隣諸国条項」を検定基準に付け加えました。

 その結果、84年から85年にかけて、中高の歴史教科書の全点に南京大虐殺が記述されました。「従軍慰安婦」は、高校の日本史教科書で94年度用(中学校は97年度用)から一斉に登場しました。日本による植民地支配の記述も相当充実してきました。それでも国際的に見ると不十分だとして、冒頭のクマラスワミ報告などが出されました。

 このような改善に対して、96年から、教科書「偏向」攻撃が表面化しました。これを準備したのは、93年に設置された自民党の「歴史・検討委員会」です。若手議員として安倍晋三、中川昭一氏の名前もあります。この委員会は、大東亜戦争(アジア太平洋戦争のこと)は侵略戦争ではなく自存・自衛の戦争でありアジア解放の戦争だった、などと総括しました。これを受けて、96年の夏ごろから現行教科書を「自虐史観」だとする攻撃が先鋭化し、小林よしのり氏らは97年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」を結成、「自由主義史観」に基づく教科書の執筆を始めます。海外で再び戦争を遂行することを可能にするための憲法9条の改正運動と連動したものです。

 99年には政府が動きました。「首相官邸筋」から教科書会社に対して加虐の事実の記載を「是正」するよう要請がありました。この結果、「自主規制」という形で大幅な逆戻りがなされました。「つくる会」を入れて教科書会社8社中、「従軍慰安婦」の記述は3社に激減しました。「南京大虐殺」は、「南京事件」に、「虐殺」は「殺した」などに、犠牲者数も単に「多数」などに改められました。「侵略」の用語を残したのは1社だけになりました。731部隊の記述も削除されました。日本軍が中国で行った「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という「三光作戦」は5社が記述していましたが、4社が削除しました。

 06年8月25日の朝日新聞の経済欄に小さな記事が載りました。日本企業が中国で「三光」という商標申請をしたところ、中国当局に却下されたというものです。日本企業は「知らなかった。ぬれぎぬだ」と主張しました。日中の「歴史認識の相違」の一例です。この記事の中でも三光作戦についての説明はありません。