法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

2000年

 
一覧表へ>>
衆参両院で憲法調査会発足―静かなるクーデターの準備
H.T.記

 99年に改正された国会法に基づき、00年1月、衆参両院にそれぞれ憲法調査会が設置され始動しました。目的は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」ことです。そうだとすれば、@憲法はどのように実現されてきたか、Aいまだ実現されていないのは何か、Bそれはなぜかを明らかにし、C実現のための諸課題を調査し議論する、というのが調査会の役割でした。国会議員は憲法尊重擁護義務(99条)を負うからです。

 両院の調査会は、その後5年間にわたって、多数の参考人の意見を聴取し、各地で公聴会を開いて国民の意見を集め、議員間の議論を重ね、05年に最終報告書を作成しました。膨大な議論の中には、専門家の知見に基づく憲法実態の解明など、上記調査の目的に沿う極めて傾聴すべき意見が多数存在します。衆議院憲法調査会参議院憲法調査会の議事録はホームページで公表されていますので、是非ご覧になってください。

 しかし、これらの貴重な意見はほとんど生かされず、国民も忘れているのが現状でしょう。マスコミも当初は調査会開催のたびに参考人の意見などを詳細に報道しましたが、尻すぼみになりました。最近の世論調査によれば、改正したい事柄として、首相公選制の採用をトップに、新しい人権の明記などが挙がっています(毎日新聞09年11月1日付)。しかし、前者は調査会で欠陥が明らかになって否定論が優勢になった議論であり、後者はむしろ人権制限の口実として利用されている政治的な議論であるという冷静な分析があった問題です。

 そして、「調査」という観点から見ると、@「調査すべき重要な事項」が調査されないか、A調査されても表面的なものに止まっている事柄の枚挙に暇がありません。現状では「立憲主義」の目的である人権保障に名ばかりなものが多いこと、政財官の癒着で民主主義の機能不全が顕著で政治が私物化されていることなどの調査がなかったのは@の例でしょう。「構造改革」の名のもと、優勝劣敗の競争主義がはびこり格差(差別)が他国と比べて拡大しつつあったのに、きちんと議論しなかったのはAの例でしょう。

 膨大な時間と国費を費やしながらまともな「調査」がされず、あるいは生かされなかったのは、憲法「改正」権を持つ主権者である国民の要望によって発足した調査会ではなかったからです。調査会は、90年代以降の財界、アメリカ、自民党、一部マスコミの強い改憲の要請に国会が呼応してできました。野党の反対意見に妥協して改憲案を発議(96条)しない「調査会」として発足しましたが、9条を中心とする改憲ムード作りのための儀式の色彩が濃厚です。調査会を10回ほど傍聴しましたが、開会の時だけ定足数を満たすために出席して退席する者、居眠りする者が多く、およそ最高規範のあり方を議論する場ではありませんでした。聞きたくない人が話す時は椅子をぐるっと反転して無視する者、自分の発言の時だけ顔を出し他人の意見は聞かない者なども目につきました。参考人の貴重な意見は聞き流され、それを踏まえて議論する姿勢も甚だ乏しかったといえます。最終報告書は、改憲を明確に打ち出せませんでしたが、それぞれの論点ごとに多数の意見が改憲に賛成であるという方向性を示しました。

 政治家やマスコミは触れていませんが、根本的な問題の指摘があります。現在なされている議論は、「現憲法の廃棄と新憲法の制定」ではないか、という問題です。通説によれば、「改正」とは同一性・継続性を前提とするものです。憲法の性格や基本原理を変更することはできません。しかし、諸々の提案、調査会での議論、05年の自民党の「新憲法草案」、同年の民主党の「憲法提言」を通じて出てきた議論は、もはや「改正」とはいえないのではないか、という問題です。自民党案の名称はそれを端的に示しています。以下に見るように、憲法の基本原理を転換させる議論が行われています。

 まず、憲法の生命は国民が憲法規範によって権力を拘束し人権を保障させるという立憲主義にあるところ、これを否定ないしあいまい化していることです。調査会の最終報告書では、「国民に上記の99条の義務を課すことの是非」を議論の分かれる論点として記載しています。自民党は、「公権力が国民を縛るルール」という側面を付け加えるよう主張しています。立憲主義の考え方を180度転換させるものです。自民党案では、表現はぼかしていますが、国民に愛国心を持つ義務を課しています。

 国家が人権保障のためにあることから、国の政治のあり方を最終的に決定するのは国民であるという、国民主権の原理を憲法は採用しています。自民党案は、国家(公=おおやけ)と国民(私人)との対抗関係をあいまいにして、国民主権を軽んじています。自民党総裁の谷垣禎一氏は、先日の総裁戦で使った「みんなでやろうぜ」を、意味は違いますが憲法論議でも主張しています。「国家が君のために何をするかを問うな。君が国家のために何をするかを問え。」(朝日新聞06年5月4日付)。「君」すなわち「個人」以前に国家があるという発想につながります。
 民主党の提言は、「『国家と個人の対立』や『社会と個人の対立』を前提に個人の権利を位置づける考えに立つのではなく、国家と社会と個人の協力の総和が『人間の尊厳』を保障することを改めて確認する。」と記載し、「国と国民の共同の『責務』」を謳っています。憲法を国民の行為規範ともするもので、谷垣氏らの考え方と接点があり、今後注目されます。

 平和主義と人権保障も憲法の基本原理です。前者については、自民、民主両党とも、自衛隊の海外における「武力の行使」を肯定しています。多国籍軍への本格的な参加も可能になります。人権の分野では、自民党案によれば、人権は「公益及び公の秩序」により制限されます。旧憲法と同じように、法律が認めた範囲内で権利を保障するというのと同じになってしまいます。これらも、憲法の基本原理を大きく変えるものとなっています。

 「改正」ではなく「現憲法の廃棄と新憲法の制定」だとすると、96条ではなく新憲法制定のための特別な手続が必要なはずです。96条によるのは、「憲法制定」権者は国民であるという国民主権を無視するものであり、「クーデター」と称されても過言ではないでしょう。