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2016年

 
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天皇「生前退位」メッセージ
H.O.記

 2016年8月8日、天皇の約11分間のビデオメッセージを全テレビ局が一斉に放映しました。天皇は「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊で象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じている」と表明し、生前退位には直接言及しないものの、その意向を強くにじませました。
 
 この天皇メッセージに対しては、国民の中に、生前退位は天皇制の伝統の破壊につながるとして、反対する意見もありました。また、生前退位ということになると、強制退位や恣意的退位の問題、象徴や権威の二重性の問題なども懸念されるとして、天皇の公務を軽減することで対応すべきとの意見もありました。しかし、世論の多数は天皇の意向に理解・共感し、それを認めるべきとする状況の中で、安倍政権はその実現の方策を検討することにしました。
 ただ、天皇の生前退位は近世以前には頻繁に行われていましたが、明治時代に制定された旧皇室典範で不可能になり、戦後に制定された現皇室典範も同様にそれを認めていません。このためその実現には皇室典範の改正が必要となります。しかし、安倍首相は皇室典範の改正には消極的で、政府は現天皇一代に限り例外的に生前退位を認める特別措置法(特措法)を制定する準備を始めました。

 天皇の皇位継承をどう安定的に維持するかは長年の課題でした。2005年、小泉政権のもとで女系天皇を容認する報告書をまとめられましたが、2006年に秋篠宮夫妻に男児が誕生したことで議論は下火になりました。2012年には野田政権で、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設を選択肢とする論点整理をまとめましたが、その後第ニ次安倍政権誕生後、議論は棚上げされていました。
 日本会議など保守系団体や保守系議員には、女系天皇、「女性宮家」への強い反対意見があります。安倍首相も女系天皇に反対の立場です。ただ、自民党内にも女系天皇容認論があります。皇室典範の改正となれば、この問題が自民党内ばかりか、国論を二分する議論に発展しかねません。安倍首相と政府はこうした状況をふまえ、一代限りの特措法の制定を目指したと言えるでしょう。

 2017年、政府は安倍首相のもとに設置された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」での検討を経て、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」を策定し、国会に提出しました。法案は2017年6月に可決・成立しました。この特措法成立後、皇室会議で、2019年4月30日に天皇が退位して5月1日に改元することが決まり、政府は閣議で退位日を定める政令を決定しました。

 天皇の生前退位についての法案に対し、野党は皇室典範改正による退位の恒久制度化を求めました。しかし、その立場から自由党は採決の際に退席しましたが、最終的に法案は衆参両院ともに全会一致の賛成で成立しました。
 天皇の生前退位とそれを特定法というかたちで実現することに対しては、 "左右"から反対意見が出されたわけですが、その法案の成立は天皇のメッセージから1年もかかりませんでした。その審議は実にスムーズだったと言えるでしょう。
 そこには天皇に対する国民の支持とその広がりがあると思われます。天皇の自然災害の被災地の訪問や戦争の現場への慰霊の旅などへの国民の敬意も広がっています。「生前退位」への天皇の「お気持ち」をかなえたいという国民の世論が法案成立を後押ししたのではないでしょうか。
 同時に、そこには各方面の様々な思惑が働きました。
 現天皇は憲法を尊重すると繰り返し発言してきました。憲法「改正」論者には不都合に思うところがあり、それが現天皇の退位をできるだけ早く実現させようという動きにつながった面があるのではないでしょうか。
 そして、この間保守系団体や保守系議員は様々な場で天皇のカリスマ的権威を高めようとしてきました。自民党は天皇を元首とすることをその「日本国憲法改正草案」(2012年)で唱えています。しかし、果たして保守系団体や保守系議員には本当に天皇を尊崇・畏敬しているのでしょうか。そうだとしたら、現天皇の退位への思いを本格的に検討するはずであり、特例法制定のような一時しのぎはしないのではないでしょうか。結局そこには、天皇に対する国民の心情を利用して支配の強化を図る狙いがあるように思えてなりません。
 憲法が定める象徴天皇制は日本に独特の制度です。主権者は国民であり、天皇は国政に関する権能を持ちません。いまこの象徴天皇制をどう考えるか、国旗・国歌や元号の強要、愛国心を涵養する教育、などの問題とともに、考えていくべき問題だと思われます(参考:浦部法穂「天皇が『象徴』であるということの意味」)。