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書籍『日本国憲法の誕生 増補改訂版』

M.I

 日本国憲法の制定史として高名な『日本国憲法の誕生』の待望の全面改訂版です。吉野作造賞を受賞した初版発行が1989年(当初の書名は『新憲法の誕生』)ですから、30年近く前になります。その後、2009年に加筆修正版がなされ、そして日本国憲法施行70周年の今、時宜を得た満を持しての全面改訂と言えます。この間、公開された公文書・新資料、更に『昭和天皇実録』、『第九十回帝国議会憲法改正特別委員小委員会議事録(秘密議事録)』、そして昨今の憲法状況を踏まえた80ページにわたる増補となっています。
 本書の魅力は何と言っても、「押し付け憲法論」その他の憲法成立時の有象無象の伝説、妄説、誤解や、「常識化」している定説まで覆してしまう痛快さにあります。これこそ読書の知的刺激に満ちた本書の特筆大書すべき点です。

 さて、戦後日本を表す言葉として一番使われたのは「平和国家」でしょう。実はこの「平和国家」という言葉は、1945年8月15日から1ヵ月も経っていない9月4日に昭和天皇が「平和国家の確立」という勅語を発しているのがその最初であることが冒頭で指摘されます。
 本書で一番驚く指摘は、マッカーサー三原則も、GHQ案も「戦争の放棄」とは、言っていないというところです。書かれていたのは、「戦争の放棄」ではなく、「戦争の廃止」でした。確かに英語の原文ではそうです。なぜか。「戦争の放棄」は、1928年のパリ不戦条約で既に国際法となっていました。つまり「戦争の放棄」は今更言うまでもないことで、「戦争の廃止」でなければ意味がなかったのです。そこには、不戦条約で「戦争の放棄」がなされたはずなのに、満州事変も日中戦争、ナチスドイツのポーランド侵攻も止められなかったという歴史的事実があったからです。しかし、「戦争の廃止」は姿を消し、「戦争の放棄」に変わってしまいます。

 憲法9条について更に驚くべき事実は、現代日本人が9条と言えば「平和」を連想しますが、憲法改正の帝国議会に上程された政府案には「平和」はなかったということです。政府案の9条には「国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない」としかありませんでした。
 社会党の片山哲委員長(後に首相)は、吉田首相に対して「民主憲法は積極的に、日本国は平和国として出発するものであることを明示する、世界に向かっての平和宣言を必要とすると私は考へるのであります」と質問します。これを契機に「戦争放棄」のみであった9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」との条文に修正されるのです。
 興味深い著者の指摘があります。「マッカーサー三原則から始まり、政府草案に至るまで、条文の主語はいずれも『国権の(発動たる)戦争は』であり、述語は『放棄(廃止)す』であった。ところが、小委員会での修正を経て、主語は上記のごとく『日本国民は』となり、述語は『放棄する』となったのである。つまり、これは主語が『戦争』という国家の権利から『日本国民は』という国民の権利へと変化したことを意味する。『戦争』は、個々の国民が行うことはできず、従って『戦争』の担い手は政府=軍隊であり、『国家』であるのに対し、『平和』は、個々の国民が実現に向かって行使できるのであり、従って『平和』は、個々の国民の権利となったのである。」これは平和憲法の本質を衝いています。

 著者は前文の起草者の特定を「著者にとって当面の宿題」としています。マッカーサーではありません。マッカーサー三原則でも、幣原喜重郎との会話でも「戦争の放棄」とは言っていますが、「平和」にはまったく触れていません。マッカーサーの頭の中には「戦争の放棄と軍備不保持」しかなかったのです。著者に言わせると、「前文の案文は、きわめて哲学的、理念的、思想的かつ宗教的ですらある。」例えば「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」とか、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」するとか、あるいは「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」などといった文章は、多忙で同時にいくつかの他の政策に携わっていた軍人や法律家が起草したとは、とても想像できないと著者は言います。確かに説得力があります。九条に比べて前文は極めて「平和」を思想的かつ宗教理念に基づいていると著者は指摘し、前文はGHQ民政局の幹部ではなく、キリスト者、あるいは平和主義者が素案を起草したと考えざるを得ないと言います。著者は、日米のフレンズ(クエーカー教徒)の人々がかかわったのではないかと推測しています。

 終章での著者の結論です。「こうして人類はほぼ一世紀に亘って戦争の違法化を求めてきたがそのたびに戦争は、簡単にはできなくはなったが、なくならなかった。しかし、はっきりしてきたことは、いまの戦争、あるいは『恐怖と欠乏』に対して法的に問われていることは、自衛権である。自衛権のために多くの生命が奪われている。」「戦争放棄条約の経験、その後の日本国憲法の『九条一項はいいが、二項は全面的に削除』という憲法改正の主張を考えれば明白なように、いまや『戦争の放棄』ではなく『戦争の廃止』が、『全面的廃止』が求められているのである。」「『戦争の放棄』から『戦争の廃止』へと向かうこと、それは日本国憲法が制定過程を通じて『発見』した新しい人類の課題ではないのか。」
 9条の改正が政府与党から叫ばれる今こそ、この憲法の制定史を改めて学ぶことが市民に求められていると言えます。

【書籍情報】
2017年4月に岩波書店から発行(岩波現代文庫)。著者は古関彰一獨協大学名誉教授。定価は1720円+税。
【関連書籍・論文】
古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書)





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