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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

中国「残留孤児」訴訟(9)

T・O記

2006年12月22日、東京地裁において、併合審理されている中国「残留孤児」第2〜5次訴訟の弁論が開かれ、大勢の傍聴希望者が裁判所に詰め掛けました。この日は代理人弁護士と原告による意見陳述が行われました。

はじめに、斉藤豊弁護士が、神戸地裁判決の意義について意見を述べました。斉藤弁護士は、神戸判決が(1)政府による早期帰国妨害があったこと、(2)帰国後の自立支援義務違反があったことを認めて賠償を命じたこと、そしてその判断の前提となる事実について、残留孤児が生まれた歴史を戦後の憲法的価値から評価したこと、及び個々人の被害状況につき詳細に認定したことを指摘しました。そして、本件東京訴訟でも、そのような観点から判断すべきことを主張しました。

続いて、小野寺孝利弁護士が、神戸地裁判決の影響ついて、「残留孤児」らがこの判決を、「自分たちを国民として受け入れてくれたもの」「61年間凍っていた心を溶かすもの」として受取ったこと、新聞各紙も大きく報道し、テレビでもトップニュースとして取り上げたこと、政府も判決を受けて支援策の検討を表明したことなど、非常に大きな影響をもたらしたことを指摘し、孤児らの権利救済のために必要な司法的解決を求めました。

続いて、原告のUさんが意見陳述を行いました。Uさんは、神戸判決をテレビで知り、涙が出たといいます。とくに、戦前の政府の政策が無慈悲と判断され、戦後の政策も無責任と断罪されたことがその理由です。

Uさんは、満州開拓団として中国へ渡りましたが、父は現地で招集され、その後ソ連の進攻を受けて、母とジャムスへ逃げました。しかしその途中で母は体調を崩し、そのまま死亡し、Uさんは孤児となって、中国人の養父母に引き取られました。日本へ帰りたいという思いは、大人になってもずっと持ち続けていました。1972年の日中国交回復後、Uさんは「残留」夫人の力を借り、厚生省(当時)に手紙を送りました。しかし返事はありませんでした。中国の日本大使館にも連絡しましたが、返事はなかったそうです。その後Uさんはジャムスの「残留」夫人と知り合いました。この女性の協力もあり、Uさんの本名・実家が判明しました。そして1981年の訪日調査に参加し、翌年3月、日本への帰国を果たしました。しかしこの間、国は積極的な調査をしなかったため、国交回復から10年近い月日が流れていました。神戸判決でも指摘されているように、国が積極的に動けば、もっと早期に帰国できていた可能性があり、Uさんもこの点を強く批判しました。

帰国後も、国からの支援はほとんどありませんでした。日本語をほとんど話せないUさんは、就職しても差別を受け、今も日常会話ができる程度で、職場での差別が続いているそうです。さらにUさんは、「北朝鮮」による拉致被害者への支援との差があまりにも大きいことを批判しました。この点は神戸判決も指摘するところです。

Uさんは神戸判決に対して控訴した政府に対し、「私たちを終戦後に見捨て、長い間放置し、さらに控訴でまた見捨てるのか」と強い口調で批判しました。最後に、多くの孤児たちが高齢化し、また生活保護に頼っていることを指摘して、「今のままでは人権も自由もありません。一日も早く解決してほしいです」と訴えて、意見陳述を終えました。

続いて、阪口禎彦弁護士が除斥について意見を述べました(神戸判決でも、除斥期間の経過を理由に、4名の原告の訴えが斥けられています)。阪口弁護士は、(1)民法724条後段は除斥期間ではなく時効と解すべきこと、(2)仮に除斥期間と解したとしても、被害が継続しているときには、起算点を後ろにずらすべきこと、(3)本件においては除斥期間の適用を制限すべきこと、の3点について主張しました。

次に、米倉弁護士が、原告の生年月日・帰国年月日・身元の判明/未判明の別・生活保護の受給状況などの詳細なデータをパワーポイントで示しながら、国の早期帰国実現義務違反・自立支援義務違反について、意見を述べました。そのデータによると、孤児らの多くは、孤児になったときの年齢が0〜6歳であり、被害者が幼児に集中していたこと、1972年の国交回復から13年後にようやく帰国が本格化しており、それ以前には政府はほとんど何もしていないことが示唆されていること、1987年以降に帰国者が増えたのは、身元未判明孤児の帰国が可能になったためであること(つまり、それ以前は身元未判明孤児の帰国が認められず、帰国が遅れたこと)、40〜50代の中高年になって帰国した者が多いこと、帰国時期が遅れれば遅れるほど生活保護の受給率が高くなることなどが明らかになりました。こうしたことから、米倉弁護士は、原告らの帰国状況・身元の判明/未判明の状況などが孤児ら個々人の責任ではなく、まさに国の政策が原因だったことが示されていると主張しました。

15分ほどの休憩をはさみ、最後に、SBC信濃放送で2005年5月19日に放映された番組「祖国よ!償いを〜高齢化する中国残留孤児」のビデオが放映されました。番組では、高齢化した孤児たちの悩み・苦労が描かれ、法廷で傍聴していた原告の孤児らの中には、自身の経験と重なった方もいたようで、うなずく姿やすすり泣く声がありました。

国の政策で中国へ渡り、中国に「残留」を余儀なくされ、帰国が遅れ、帰国後も不十分な支援の下で生活に苦労している「残留孤児」たち。彼らは、お金を望んで裁判に訴えたわけではありません。老後、「普通の日本人」として安心して暮らせる保証を求めているだけです。そうした保証が必要とされる原因は、神戸地裁判決も指摘するように、政府の政策の「無慈悲さ」にあります。政府は一刻も早く、彼らに対する権利救済をすべきだと思います。

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