法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

原爆症訴訟(4)――東京訴訟結審2

T・O記

前回に続いて、原爆症不認定処分取消請求訴訟の最終弁論の様子をレポートします。

続いて、與那嶺慧理弁護士が、原告らの申請疾病の放射線起因性の判断基準について、次のような意見陳述を行いました。

被爆者に現れる放射線の影響は、その個々の症例の症状や検査結果を観察する限り、放射線に特有なものではなく、一般人に見られる疾病と全く同様の症状を持っています。そのため、ある病気が放射線の影響を受けて発症する病気であるか否かを判断するためには、統計的に調べること、すなわち、被爆者集団に発生する疾病の頻度が、非被爆者と比較してその出現率に統計的に有意な差が認められ、かつ被爆線量が多いほど多く出現するという線量反応関係があるか否かがその判断の一つの手がかりとなります。

現在では、がんを含む悪性腫瘍と放射線との関連性は、放射線影響研究所(放影研)で個別に有意差の認められている悪性腫瘍に限らず、およそすべての悪性腫瘍について有意差のあることが、放影研も含めて、この分野の研究者の間での常識となっています。また、がん以外の多くの主要な疾患についても放射線との関連性において有意差が認められる傾向にあり、今後その範囲が拡大すると考えられています。

このような知見を踏まえて、医師団意見書では、原爆放射線によって発生する可能性のある負傷または疾病として、がんなどの悪性腫瘍、原爆白内障、肝機能障害、甲状腺機能低下症、ガラス片や異物の残存による障害を残している場合などがあげられており、原告らの申請疾病は、すべてこれらの負傷または疾病に含まれるものです。

また、放影研による統計処理には、さまざまなバイアスがかかっており、一定の限界があります。統計的な有意差の有無は、あくまでも原爆放射線が個々の原告に与える影響を判断する際に考慮すべき要素の一つにすぎず、それ以外にも、被爆実態に即した多様な要素が考慮されねばなりません。その考慮要素としては、(1)原告らの被爆状況、被爆後の行動経過、活動内容及び生活環境、(2)当該原告に被爆直後に発生した症状(急性症状)の有無、内容、態様、程度、(3)当該原告の被爆前の健康状態と被爆後の健康状態、などが挙げられます。

それゆえ、原告らの申請疾病の放射線起因性を判断する場合には、申請疾病自体の統計的な有意差に基づく放射線関連性の有無だけでなく、原告らそれぞれの被爆の実態や急性症状の発症の有無、その後の健康状態等を総合的に見るべきです。これは原爆症近畿訴訟大阪地裁判決でも採用された基準・判断方法と同趣旨のものです。

放射線後障害は、その仕組みや予後がいまだ解明しつくされていないこともあり、一般の傷病以上に、医師による長期の経過観察が必要です。また被爆者の中には自分の健康にたえず不安を抱いて神経症状を来たす者もおり、心理的側面にも配慮が必要です。従って、医学的に見て、何らかの医療効果が期待できる可能性が否定できない医療行為が行われている限り、要医療性があるとみるべきです。

以上述べたような基準で、原告らの申請疾病について、その放射線起因性及び要医療性が判断されるのであれば、原告全員の申請疾病について、放射線起因性及び要医療性があることは明白です。したがって、原告らの申請疾病は、すべて原爆症と認定されるべきであり、被告厚生労働大臣の却下処分は取消されるべきものです。

続いて、原告の山本英典さんが意見陳述を行いました。

山本さんは、原告として、この3年間、ほぼすべての法廷を傍聴してきました。そして、裁判の最中に亡くなってしまった原告や、法廷で証言された原告の方たちに思いをはせ、被爆者の無念さを思い起こさせました。しかし、その被爆者の想いに対し、厚生労働省は、「脱毛したのは栄養が悪かった、またはストレスのせいではないですか」と言ったことを指摘し、被爆の現実とかけ離れた厚生労働省の認識によって、どうして「科学的・医学的・最新の知見」なるものが認められるか、と批判しました。

また、20年前から、脱毛と下痢について厚労省が「最新の知見」として主張しているものが、長崎地裁、福岡高裁、そして最高裁でも否定されたにもかかわらず、今もなお主張し続けていることも指摘し、「司法への敬意も、科学に対する真摯な姿勢も、被爆者行政を担当する者としての真剣さも、全く感じ取ることができません」と、厳しく批判しました。

そして最後に、裁判長に対して、「被爆者が死に絶えるのを待つかのように、負けても負けても裁判を続け、非常で非科学的な認定行政を改めようとしない厚生労働省に、厳しく反省を迫る判決をしてください」と訴えて、意見陳述を終えました。

ここで、いったん休憩が入りました。この日は大勢の傍聴希望者がおり、中に入れない人もいたため、休憩中、傍聴者を入れ替えることも行なわれました。

15分ほどの休憩に続いて、池田眞規弁護士が、本件訴訟の意義について、次のような意見陳述を行いました。

ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下により、人類は核戦争による人類の自滅の可能性と脅威の下に生きる時代に入りました。原告ら被爆者は、この原爆地獄のありのままの姿を人類に語ることのできるかけがえのない存在です。原告らの語る地獄の有様と、それからの苦難の人生は、国家の枠を超えて全人類の運命に関わる貴重な教訓です。大事なことは、彼らの語る言語で原爆地獄の実情すべてを知ることはできないことです。十分な感受性と想像力が必要です。安易な心をもって聞き流すならば、原告らの原爆被害の実相を認識することはできません。どうか裁判官におかれては、原告らの原爆被害の陳述について、特別な慎重さをもって耳を傾けていただきたい。

原告らの原爆症の発生の原因と原爆の本質は次のとおりです。原告らの原爆症は、太平洋戦争中に、米国の空軍が、原告らの住む町に対して原子爆弾による攻撃をした結果生じた戦争被害です。それは、自然災害でも、伝染病や疫病でもありません。しかも、原子爆弾は核分裂により生じる巨大なエネルギーを利用した兵器です。これを使って、生きた人間が生活する都市全体を、そこに住む人間を都市ぐるみで無差別に大量に集団虐殺したのです。それだけではなく、生き残った人間をしに至るまで過酷な苦痛を与え、その被害は死後にまで続くのです。それは人類がいまだ経験したことのない巨大な戦争災害です。被爆者の言葉を借りるなら、「悪魔の兵器」による巨大な実験の犠牲にされたのです。

原爆症は、人類の医療史において経験したことのない未知の傷病です。だから、従来の科学的・医学的な知見は、部分的に原爆症研究の参考にはなっても、原爆症の全面的な病理学的解明をすることはできませんし、将来の原爆症の完全な科学的知見による解明もできません。というのも、科学の進歩に欠かせないものは実験ですが、原爆症を研究する場合、広島と長崎の原爆投下と同じ条件のもとで実験を繰り返すことが人道上できないからです。そのため、原爆症の科学的・医学的知見の進歩は期待できないのです。このように、原爆は被害を受けた被爆者に対する医学による救済の道まで奪ってしまう、徹底的に非人道的な兵器なのです。

原爆被害の実相は、ネバダの砂漠での実験の資料や、動物実験の資料などを代用して解明できるようなものではありません。しかし被告は、ネバダの実験資料を試用して作られたDS86線量推定方式を、原爆症の認定基準としています。これが科学的知見による認定とは到底認められないことは明らかです。

被告は、原爆症の科学的研究を妨害し、被爆者の医療援護をせず、一貫して原爆被害の調査や治療につながる科学的調査研究を怠りながら、一方では原爆症の認定基準について、「科学的知見」を強調するという矛盾を犯しています。被告の基本方針は、「原爆被害は他の一般の戦争災害と同じく、国民が等しく受忍する義務がある」というものです。従って、被告は、原爆被害の本格的調査にはきわめて消極的でした。原爆症の科学的研究に関心を示さない被告が、原爆症認定で逆に「原告の症状と原爆放射線との因果関係の判断は、科学的知見に基づいて認定されねばならない」というのです。この方針は、原告に対し、科学者でも証明困難な、原爆症と放射線の因果関係の科学的挙証責任を被爆者に負わせることとなり、被爆者にとって過酷な制度となっています。

本件訴訟で、原告らによって明らかにされた原爆被害の重要な課題があります。本件訴訟を通じて、被告が認定基準として採用してきたDS86や原因確率については、もはや認定基準としては使用に耐えないものであることは明白になりました。さらに、原爆症の認定に際して、原爆被害の総合的把握により、高度の蓋然性を認める判例の流が定着しつつあるのとあいまって、本件訴訟において、原爆被害の全体像の把握への努力が進み、原爆被害の実態の解明が深まりました。その実態として重要なものとしては、第一に、低線量放射線による体内被曝の実態が新たに明確にされたこと、そして被告の採用している認定基準DS86や放影研の疫学調査がこれを無視していること、第二に、原爆投下による被害者の目前で突然に生じた社会の巨大な崩壊や非人間的な衝撃の異常な体験から生じたトラウマによる深い心の傷跡を被爆者に残していることです。これらの被害実態は、原爆症に対する被告の認識の浅薄さと非科学性をさらに明確にしました。

過去8回にわたる原爆症不認定処分取消訴訟の原告勝訴判決により、判例の流は原告の主張に添う方向でほぼ定着したようです。8回の判決に、最高裁、東京高裁、大阪高裁、福岡高裁の判決が含まれていることは、もはや日本の司法は、原爆認定行政についての被告行政機関の基準は支持しないことで確定したものと考えられ、原告ら被爆者側の主張を承認する方向にあるといえます。被告の不合理な原爆症認定基準の固執政策によって、認定を受けるべき原爆症患者が、認定を受けることができないまま、続々と殺され続けています。被告は早急に非科学的で不合理な原爆症認定基準を廃止すべきです。

原爆被害の本質に関わる問題が問われている本件訴訟の判決は、将来、必ず歴史の審判を受けるでしょう。裁判所が原爆被害の全体を総合的に把握して、被爆者の立場に立って判断をされ、「核兵器による加害者」の立場に立つことなく、生き残って遅れた死にさらされている原告ら被爆者への一日も早い勝訴判決をされることを切望します。

続いて、原爆症不認定松谷訴訟(最高裁で勝訴)の元代理人で、現在、長崎での原爆症不認定訴訟でも代理人を務めており、自身も被爆者である中村尚達弁護士が意見陳述を行いました。

今、全国で約170名の被爆者が、この訴訟の原告となっていますが、一市民が国を相手に訴訟を起こすことが以下に困難なものであるか、どんなに勇気が必要であるかということを考えてほしいと思います。

被爆者は、まさにこの世の地獄を見てきました。最愛の肉親や友人など、多くの人々の死を見つづけてきました。そして何よりも、自分自身が被爆後60年にわたり、体を蝕まれ、精神的苦悩を抱え、就職や結婚で差別を受け、死の不安におびえた生活を送ってきました。その様な被爆者が、原爆症の認定申請をして、これが却下されたということは、自分が60年にわたり苛まれてきた苦しみは、原爆とは無関係であると宣言されたに等しいのです。人生の苦しみが原爆とは無関係であると宣言されたとき、たとえようのない憤り、無念さ、怒りがこみ上げてくるのは当然であり、ここに被爆者が本件訴訟を決意したことの原点があります。この原点に立った上で、被爆者は自らの人生の総決算、人間回復のための訴訟と位置づけてこの訴訟を闘っているのです。

私は長崎生まれの長崎育ちであり、被爆者の一人です。私自身も幼い頃から周りの人が原爆症で亡くなって行く姿を見てきました。高校時代、私の同級生の友人がひそかに打ち明けてくれたことがあります。「自分は近く結婚する。相手の女性は幼なじみで、原爆にあって白血病を患い、あと半年か1年しか命がないといわれている。命がある限り自分は彼女のそばについていてあげたい」、と。私にとってこれほど衝撃的な話はありませんでした。この時ほど、戦争は嫌だと思い、アメリカを恨み、原爆を呪ったことはありません。

原爆被害の多様さ、深刻さというのは、このような私ですら、いまだに十分に理解したとはいえません。原爆被害のすさまじさについても、単に死傷者の数が何万人であるとか、通り一遍の残酷さでもって、これが原爆被害であると、したり顔で言ってほしくありません。数万人の被爆者がいれば、そこには一つ一つ異なる数万例の原爆被害があります。1人の被爆者がいれば、その人の生まれ育ってきた人生があり、家族という絆があり、地域社会や職場でのその人の生活や夢や希望があり、人との結びつきがあります。原爆はその様な人間としての存在を根こそぎ奪い去り、その人の人生を根底からくつがえしてしまったのです。そのような原爆被害の真の実態の理解に立たなければ、原爆症認定の問題を語る資格はないでしょう。法律家のあり方として言えば、法律の解釈にあたっては、当該法律を生み出した生の具体的な社会的事実にさかのぼって、法が何を意図し、その法の適用を受ける国民が何を求め、何を必要としているかを直視しなければなりません。その意味で、被爆の実相を見ずして、適正な法解釈はありえないでしょう

このことを、当裁判所においても、十分理解したうえで、近畿訴訟に続いて、原爆症訴訟の歴史の1頁を飾るにふさわしい勇気ある判決を心より願っています。

最後に、原告側代理人の高見澤昭治弁護士が、改めて被告国の非科学性、不当性を訴え、原告勝訴の判決を願うとして、すべての意見陳述が終わり、訴訟が結審しました。判決日は、「追って指定」とされ、この日は指定されませんでした。

さて、最後に簡単な感想を述べたいと思います。

私自身、被爆者の方の被害実態を直接聞いて、改めて原爆被害のすさまじさを認識しました。日本国憲法第9条が、世界的な平和主義の流れを受け継ぎつつ、さらにそれを徹底して、国連憲章も採用していない“戦力不保持”を採用し、またこれを、前文において「平和のうちに生存する権利」として裏づけたのは、このヒロシマとナガサキの体験があるからだと指摘されています(樋口陽一『憲法T』(青林書院、1998年)421頁)。

現在、この戦力不保持を定める憲法9条を変え、「自衛軍」を保持できるようにしようという主張が強まっています。しかし私は、日本国憲法第9条が制定されたことの意義を、この訴訟を通じて、改めて認識しました。9条を変え、自衛軍を保持できるようにするということは、被爆者の被害に目を向けず、その想いを踏みにじることになるのではないでしょうか。

裁判所には、こうした憲法9条の意義も考えた上で、判決をしてもらいたいと思います。

<<(3)へ

 

 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]