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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

ハンセン病国賠訴訟(7) 台湾楽生院訴訟

T・O記

 2005年4月13日、午後3時。東京地裁の大法廷で、台湾楽生院訴訟の第一回口頭弁論期日が開かれました。台湾からの支援者なども大勢つめかけ、法廷は傍聴人であふれかえっていました。

 この訴訟は、ソロクト訴訟(これについては、ハンセン病国賠訴訟(2)〜(6)をご覧ください)と同様に、台湾に設置された療養所に強制収容された元患者の方たちが、ハンセン病補償法に基づく補償金の支払の申請をしたところ、不支払決定がなされたため、その決定の取り消しを求めている訴訟です。

 第一回目のこの日は、原告の一人である黄金涼さんが意見陳述を行いました。黄さんは、小学生の頃、台南第二高女の制服にあこがれ、進学を希望していました。そして将来は教師になりたいという夢も持っていました。また、当時は裕福な家庭しか修学旅行に行けなかったのですが、黄さんは、幸いにも祖母がお金を出してくれることになり、修学旅行に行くことをとても楽しみにしていました。旅行先は日本の予定でした。

 しかし、修学旅行を目の前にしたある日、彼女の顔に、ハンセン病の症状が現れました。当時ハンセン病は恐ろしい病気であるとされ、感染したものはすべて療養所に強制収容されていました。患者の強制収容や、患者のいた場所の過度の消毒などから、台湾では、ハンセン病は恐ろしい病気であるという偏見が広がりました。黄さんも、収容を恐れ、友達と遊ぶこともなくなり、楽しみにしていた日本への修学旅行や、進学もあきらめました。学校を卒業してからは、同じくハンセン病を発症していた弟・妹とともに、家に隠れていました。

 祖母は彼女らを治療しようと、高価な薬を購入し、投与しつづけました。しかし、効果はありませんでした。そしてとうとう経済的な蓄えもなくなり、家を手放さざるを得なくなりました。家を手放したため、それ以上隠れることも出来なくなった黄さんらは、楽生院に収容されることになりました。

 黄さんは、1943年7月7日に収容されて以来、今日に至るまで、この楽生院で過ごしています。日本が植民地としていたため、「政子」という日本名を付けられた黄さんは、楽生院では、今も日本名でマサさんとよばれているそうです。

 最後に、黄さんはこう訴えました。
「私は長い間、自分にも人権というものがあることを知りませんでした。国に養われているのだからと、肩身の狭い気持ちで暮らしてきました。基督教の信仰だけを心の支えに、つましく、心清く過ごしてきました。補償請求の説明を受けたときも、今さらそんなという思いが先にありました。けれど、この一年、多くの人の話を聞き、はじめて私たちにも人権があることを知りました。人間らしく生きたいと口に出してもいいことがわかりました。
今、私は、63年前に修学旅行で訪れるはずだった内地に、はじめて来ています。幼い私があこがれたところでした。その日本に、私は言いたいのです。
私の家族を返して下さい。
私の家を返して下さい。
学校の先生になる夢を返して下さい。
あなたが、私たちから奪ったものの大きさから、目をそらさないで下さい。
お願いします」。

 続いて、弁護士からの意見陳述がなされました。徳田弁護士は、本件の争点が、保障法に基づいて定められた厚生労働省告示1号の解釈にあるという点にほぼ尽きると指摘しました(この点については、ハンセン病国賠訴訟(3)もご覧ください)。また、自身がハンセン病国賠訴訟に携わるようになった理由を、「未曾有の人権侵害というべきわが国のハンセン病隔離政策について、何一つとして行動することを怠ってきた自らの余りに長きにわたる不作為の責を恥じたから」であると述べ、ハンセン病隔離政策についての国の「検証会議」最終報告書が法律家の責任を厳しく弾劾していることにも触れ、「本件訴訟では、わが国の司法が、わが国が犯した未曾有な人権侵害を裁きうるのかということが問われている。裁判所の公平かつ厳正な判断を望んでいる」と結びました。

 黄さんが、初めて自分たちにも人権があると知ったという事実、そして「人間らしく生きたい」という言葉さえ口にすることが許されないと思っていた事実は、これまで黄さんたちの受けてきた扱いが、いかにひどいものであったかを物語っています。自分の感情を押し殺して生きてきた黄さんの苦しみは、想像を絶するものです。この苦しみを与えたことに対する償いとして、日本政府はその政策の誤りを認めて、謝罪すべきではないでしょうか。

 なお、楽生院は、入所者の手による改修を経て、今も台湾に残されています。そして差別などのため、故郷に戻ることのできない多くの入所者が、ここを終の棲家と決め、今なお暮らしています。しかし、この楽生院の付近に地下鉄のターミナルをつくるという計画が持ち上がり、現在、楽生院を取り壊そうという動きがあるそうです。入所者たちは、暮らしなれ、また様々な思い出の詰まったこの場所から、冷たい牢獄のような新しいビルへ移されることを、「第二の隔離」と捉え、強く反対しています。これについては、日本の法律家181名が「台湾行政院衛生署楽生療養院の移転問題に関する法律家アピール」を出すなどして、支援をしています。

 なお、次回の口頭弁論期日は、ソロクト更生園訴訟が5月23日午前11時から103号法廷で、台湾楽生院訴訟が6月15日午後3時から103号法廷で、それぞれ開かれます。

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