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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

ハンセン病国賠訴訟(8) ソロクト訴訟

T・O記

 2005年5月23日、ハンセン病ソロクト訴訟の原告本人尋問が行われました。韓国からの支援者や、日本の支援者・元患者も多く詰めかけ、傍聴席はほとんど埋まっていました。

 まず、今年85歳になるというAさんが尋問を受けました。彼は、15歳でハンセン病を発症しました。発症後は、毎日家に閉じこもり、泣いていたそうです。自殺を試みたこともありましたが、家族に見つかって止められました。

 その後、日本の警察がやってきて、ソロクトの療養所への入所を勧めました。Aさんと家族は、当初、その勧めを断りました。しかし、警察はまたやってきて、「3年で治療が終わり、療養所から出られる」、「衣食住の心配はいらない」などと述べました。さらに「入所しないと家族に被害が及ぶ」と言われて、Aさんは入所を決意しました。20歳の時でした。

 警察から「3年で治療できる」と言われていたにもかかわらず、ソロクトに到着した日から、Aさんは労働に従事させられました。治療は全くなされませんでした。「心配はいらない」と言われたはずの衣食住についても、まったく不十分でした。米には虫がわいており、廊下のバケツの水が凍るほど寒い冬でも、毛布一枚しか与えられない生活を強いられました。

 ソロクトでの労働は、レンガを作ったり、そのレンガを運搬したり、かます(わらで織った袋)を作ったりする作業が主なものでした。特にレンガの運搬がきつかったとAさんは言います。疲れて休もうとすると、監護長に棒で殴られました。こうした労働を強制された結果、Aさんの手の指はすべて欠落しました。足の神経も傷めてしまい、結局切断することになりました。

 ソロクトでは、神社への参拝も強制されました。Aさんはキリスト教徒だったため、参拝を拒否しました。すると事務室へ呼ばれ、そこでAさんは殴られました。その後、およそ15日にわたって監察室へ入れられました。そこは床がセメントでできており、非常に寒く、凍死者も出るほどだったといいます。食事も、小さなおにぎりを一つ、一日2回与えられるだけでした。
 
 監察室から解放された直後、Aさんは事務室で「病院へ行け」と命じられます。病院でAさんを待っていたのは、断種手術でした。その時Aさんは、「ハンセン病で障害があるのに、断種でさらに障害が増えてしまう」と思ったそうです。手術で、Aさんは精管を切断されました。麻酔は用いられなかったそうです。その激痛は言葉にできない、とAさんは述べました。断酒手術以来、Aさんはずっと腰痛に悩まされているそうです。

 最後にAさんは、裁判官に向かってこう述べました。「ソロクトの職員はみな日本人でした。名前も日本名にされました。日本の患者はみな補償を受けました。それなのに、どうして私には補償されないのでしょうか。早く補償をしてほしいです」。

 つづいて、Bさんの証人尋問が行なわれました。Bさんは4歳の時、すでにハンセン病を発症していた母とともにソロクトの療養所へ、強制的に入所させられました。ある日、警察がやってきて、むりやり連れて行かれたといいます。また、父はすでにソロクトに入所していました。

 Bさんは、ハンセン病を発症していなかったため、未感染児童所へ通っていました。両親とは別々に生活しており、月に一度、鉄条網越しに面会が許されました。Bさんは、両親と別々に生活することが苦痛だったため、痛覚テストを偽ってハンセン病を発症したように見せかけ、両親のもとで生活できるようになりました。その後、小学校へ通うようになり、日本語学習・日本名を強制されました。

 Bさんが10歳の時、父親が職員から暴行を受けるという事件がありました。Bさんの父親は日本語が堪能だったため、職員から重宝されていました。ある日、患者が、寒いから石炭がほしいと言ってきました。Bさんの父親は、石炭をあげることはしないが、盗むのを見逃すという対応をしました。ところが、職員に見つかり、Bさんの父親は、日本人職員から暴行を受けることになったのです。石炭を入れる箱で、その箱が壊れるまで殴られました。その様子を外でうかがっていたBさんの耳には、「やめてくれ!」「死んでしまう!」という父親の悲鳴が聞こえてきました。その後、父親は仕事ができなくなってしまったそうです。

 ある日、Bさんは海水浴に行きました。そこで、胸元に斑点があることに気がつきました。Bさんもハンセン病を発症してしまったのです。それを知った両親は、ひどく悲しみました。医者だった父親が言うには、栄養不足や強制労働のために体が弱り、そのためにハンセン病に感染したのだそうです。そしてBさんも、病気や強制労働の結果、両足のひざから下を切断することになり、両手の指も全て欠落してしまいました。

 最後に、Bさんも、Aさんと同じように訴えました。「日帝の下でつくられた特殊病院に入れられた。日本の患者は補償されたのだから、私たちにも補償してください」。

 そもそも、ハンセン病補償法の目的は、日本政府のハンセン病政策に対する反省に基づいて、すべての被害者を救済することだったはずです。法が国籍条項や居住地要件を有していないのも、そのような点から理解できます(詳しくは、ハンセン病国賠訴訟(3)をご覧ください)。それゆえ、韓国ソロクトの療養所に収容された患者に対しても、法に基づく補償がなされてしかるべきだと思われます。

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