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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

日の丸・君が代訴訟(6)─予防訴訟

T・O記

2005年9月12日、国歌斉唱義務不存在確認等訴訟(予防訴訟)の口頭弁論がありました。この日も、多くの原告・支援者が傍聴に訪れ、傍聴席はすべて埋まりました。

この日は、4名の証人尋問がなされました。以下、それぞれの証言内容を簡単に報告します。

最初の証人は、原告の金子光史さんでした。金子さんは、養護学校で障がい児教育に携わっている教員です。

はじめに、金子さんは、障がい児教育においては、一人ひとりの子どもの個性・特性に合わせて、持っている力を引き出すための支援内容・活動内容を作っていくことが大事である、といいます。その上で、一人ひとりの実態に合わせた教材が必要であって、バリアフリーもその理念の延長線上にある、としました。

障がい児の卒業式の位置づけについて、卒業式は最後の授業であって、これまでの教育の成果を発表する場である、としました。そして、卒業証書を自らの力で受け取るということが、非常に重要である、と指摘しました。また、フロア形式の卒業式は、肢体不自由の生徒でも、自ら卒業証書を受け取ることができるように、バリアフリーの理念をおしすすめたもので、自分の力で卒業証書を受け取ることにより、主体性や意欲を引き出す効果がある、と指摘しました。対面式も、お世話になった人たちに囲まれて卒業をお祝いされる、あるいはエール交換ができる、そういった工夫の中で創造されたものであり、その効果は、在校生のやる気を引き出すそうです。

ところが、いわゆる10.23通達により、こうした卒業式はできなくなりました。通達が、壇上での卒業証書授与、全員の正面向き、教員の座席指定などを命じていたからです。金子さんは、卒業式の練習中に、壇上から落ちそうになった生徒がいたり、職員が車椅子を壇上に上げ下ろしするなど、実際にこうした形式での卒業式は危険である、といいます。また、独力で卒業証書を受け取ることができなくなる生徒もおり、感動を与えられなくなった、ともいいます。寝たままで参加せざるを得ない生徒についても、「君が代」斉唱時には、介助職員がその生徒を抱えて正座して歌うように、との指示もあったそうです。

「この10.23通達は、教育的配慮が一切なされておらず、そのため、教育的意義を見出せない。通達は、子どもの個性を尊重し、最大限それを伸ばすという教育の本質を奪うものであって、教育への不当な介入であり、子どもの学習発達権を侵害するものである」。金子さんは最後に力強く訴え、証言を終えました。

続いて、生徒会の顧問を務めるなど、生徒会活動に詳しい河合美喜夫さんが証言台に立ちました。

河合さんの勤務していた永山高校では、「国旗国歌法」成立後初めての卒業式に際して、生徒会役員が中心になって、「卒業式を考える会」が作られたそうです。そして、会の呼びかけによって、2000年1月に、校長や教職員、生徒が参加しての討論会が行われました。生徒からは、「国旗国歌法では、卒業式について定めていないのに、強制するのか」「思想・良心の自由はどうなるのか」といった意見が出されたそうです。そして、最終的には、生徒の意見を反映した卒業式が実施され、感動的な卒業式だったとして、新聞でも紹介されました。

河合さんは、2002年4月に、杉並高校に異動しました。杉並高校では、10.23通達もあって、周年行事に際して、国旗国歌の取り扱いが問題となりました。そして、生徒会の呼びかけによって、2003年12月に、「君が代討論会」が開催され、校長・教頭など、合わせて19名の教職員と、18名の生徒が参加して、討論が行われました。その中で、生徒から意見を求められた河合さんは、「杉高にも他国籍を持つ人がいるのだし、そういう人を排除してはいけないと思うし、また、国旗・国歌をどう思うかは自由であって良いと思う。これほどに多様な考え方があるのだから、強制してはいけないと思う。今、自衛隊のイラク派兵で憲法がおろそかにされようとするとき、平和国家のシンボルとしては歌えない」と発言したそうです。

その後、この討論会が、都教委によって問題視され、予定されていた第二回討論会は、中止されました。その後、12名もの都教委が、杉並高校まで調査にやってきました。そして二人一組になって、討論会に参加した教職員を一人ずつ、それぞれ30分に渡って、事情聴取を行ったそうです。2004年5月、河合さんは、校長・教頭とともに、「厳重注意処分」とされました。そのとき理由は明らかにされませんでしたが、のちに、内部資料を外部に持ち出したことが理由だとされました。しかし、その資料は特定されず、「討論会での発言が問題なのか」、という質問にも答えてもらえなかったそうです。

最後に、河合さんは、10.23通達について、以下のように述べました。通達によって、生徒たちが作り上げてきた卒業式が壊され、教職員が卒業式に抱いていた特別な想いが奪われた。今までは、歌や形式などについて話し合って、卒業式を作り上げてきたのに、都教委はそれを認めず、一方的にあるべき卒業式を押し付けてきた。これは、子どもの権利条約で保障されている「意見表明権」に違反するし、憲法、教育基本法、そして学習指導要領にも違反するものである。ただちにこの通達を撤回することを願っている、と。

お昼休みを挟み、午後も引き続いて二人の証人尋問が行われました。まず、蒲田高校の嘱託である福井祥さんが、都立高校の自治に関して、職員会議を中心に証言しました。

福井さんは、1967年に都立高校の教員となりました。当時の高校は活気に満ちており、その活力の源泉が職員会議だった、といいます。そして、その職員会議では、学校運営・学校行事・生徒指導等、学校教育全般にわたって熱心な議論が行われていたそうです。

都立高校の職員会議は、校長・教頭を含めた教職員の「協議・合意・意志決定の場」であって、学校によっては「最高決議機関」「意志決定機関」などと「校内規定」上明記されている学校もあり、それ以外の学校でも「審議する」との文言はほぼ全学校にあり、多くの学校で実質的な最高機関と位置づけられていたそうです。

職員会議と校長の関係についてですが、福井さんが言うには、通常、校長は、報告事項以外のことについてはほとんど発言せず、採決結果に対して疑義をさしはさむこともほとんどなかったそうです。しかし、1989年に、指導要領で「国旗・国歌を指導するものとする」とされてから、卒業式・入学式にかかわる「日の丸」掲揚については、掲揚しないという採決結果に対して、異議をさしはさむ校長も現れ、時には、掲揚を強行することもあったそうです。

さらに、1998年3月の「都立学校等あり方検討委員会」、いわゆる「あり方検」の報告をうけて、都教委が各校長に対し実施通達を出して以降、各校長による職員会議への介入は、さらに強まったといいます。この「あり方検」は、職員会議の多数決による決定に、校長は事実上拘束されている」とし、それが大いに問題であるので、職員会議を校長の補助機関とすべきだ、としました。それに基づいて、都教委は、都学校管理規則を改定して、職員会議を校長の補助機関としました。それにより校長の介入が強まり、職員会議をしにくくなったため、管理職を除く教職員での会議を開催して対応をするなど、効率の悪い学校運営を強いられたそうです。

福井さんが勤めていた大崎高校では、2003年3月の卒業式、つまり10.23通達が出される前の、最後の卒業式では、生徒に「内心の自由」についての説明がなされ、卒業式当日は、不起立だった生徒も数多くいたそうです。しかし、10.23通達以後の卒業式では、壇上正面に「日の丸」が掲揚され、卒業生・教職員とも緊張を強いられ、異様な雰囲気となってしまい、卒業を祝い、卒業生の未来に思いを馳せる気持ちとは全くかけ離れた卒業式になってしまったそうです。

福井さんは、10.23通達以降、職員会議が形骸化し、議論や発言が減ってしまい、都立高校の自治が弱められた、と指摘します。しかし、現場の職員たちは、職員会議を自治の中心にしようと努力しているそうです。福井さんは、最後に、「あり方検」と10.23通達が、民主主義・教育・学校とは相容れないことを指摘して、証言を終えました。

この日最後の証人は、都立高を卒業した子どもの保護者である丸浜江里子さんでした。丸浜さんにはお子さんが二人おり、2003年3月と2004年3月に、それぞれ都立大泉高校と、都立富士高校を卒業し、丸浜さんはいずれの卒業式にも出席しました。

上の子どもの卒業式では、親の席が、教員や来賓と並べて卒業生をコの字型に囲む形で設営され、その席からは、卒業生の姿がよく見え、子どもたちがどんな表情で卒業式を迎えているのかを見守ることができたそうです。「君が代」の斉唱もありましたが、開式の直前に、「国歌斉唱に際しては、『起立』と声をかけさせて頂きますが、内心に関わることでもあり、ご自身の判断でなさってください」とのアナウンスがされたといいます。そして、実際に、着席する人も少なからずいたそうです。

証書授与の時は、男女一名ずつの代表が受け取り、その際、代表がパフォーマンスを工夫し、身体で3年間の思いや、卒業の感動を表現しました。その後、生徒の実行委員の演出により、歌、呼びかけ、さらに主張が繰り広げられていきました。生徒が自ら企画、演出して作り上げた卒業式は、生徒の3年間の思いが凝縮されており、とても感動的だったそうです。

翌年の、下の子ども卒業式では、舞台正面には「日の丸」と都旗が掲揚され、全席が正面を向いていました。そのため、子どもの姿をほとんど確認することができず、また内心の自由についてのアナウンスもなかったそうです。

そして「国歌斉唱」と司会が言うと、教頭がうろうろと動き始め、不起立の教職員の肩をたたき、何か耳打ちしたあと、何かを都教委職員に告げるのが見えました。都教委は、黒革の手帳に―おそらく不起立者の名前を―記入していたそうです。

丸浜さんは、10.23通達のことを、2003年11月に知りました。翌年1月、友人たち3名とお茶を飲んでいて、卒業式の話題になりました。式の主人公が子どもから国や区という行政機関に変えられるように思い、地域の人たちと、卒業式について語り合う機会をもうけました。

それをきっかけに、危機感を募らせた丸浜さんは、仲間とともに、都教委に対して、日の丸・君が代の強制をしないよう、要請をしました。しかし、都教委は、丸浜さんたちを、「都教委と反対の立場にある」と決めつけ、何を聞いても、「学習指導要領にある通り」と繰り返すだけの、木で鼻をくくったような対応しかしなかったそうです。

さらに、都議会へも陳情を行いましたが、否決されました。そのとき、ある都議会議員は、「国旗・国歌の強制は、国際的な常識だ」と言ったそうです。その発言に疑問を持った丸浜さんたちは、外国人特派員協会で記者会見を行いました。すると、「心の問題に行政が踏みこみ干渉するなんて信じられない」というコメントが返ってきたそうです。

学校の主人公は子どもであるのに、たった一片の通達によって、それが崩されてしまった。今までの取り組みが間違っていたといわれているように感じる。卒業式のときに、教頭が、子どもたちを見守るではなく、教員の起立を点検するなんておかしい。丸浜さんは、最後にこう訴えて、証言を終えました。

最後に、簡単な感想を記しておきます。この日の証人尋問では、10.23通達によって、現場にいかに混乱が持ち込まれ、生徒や教職員の想いが踏みにじられたのかが明らかにされたように思います。教育的配慮が特に必要と思われる養護学校の生徒たちには何らの配慮もされず、日の丸・君が代への配慮しか示されていない実態には、本当に驚きました。卒業式の主役は、日の丸・君が代ではなく、卒業生であり、卒業を祝う在校生・教職員・保護者たちのはずです。10.23通達が、このことと相容れないのは、一目瞭然だと思われます。都教委は、早急にこの通達を撤回し、不起立の教職員への処分をやめるべきではないでしょうか。

次回の期日は、10月17日午後1時半から、103号法廷で開かれます。傍聴券が必要となりますので、ご注意ください。

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