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日の丸・君が代訴訟(8)――予防訴訟2

T・O記

2005年10月17日、卒業式等での「国歌斉唱」時に教職員らには起立・斉唱義務がないことの確認等を求める訴訟(予防訴訟)の口頭弁論がありました。この日は、原告の青木茂雄さんに対する証人尋問が行われました。以下、青木さんの証言について報告します。

青木さんは1973年10月に、八王子市の中学校教諭として赴任し、その後10年にわたって、中学校の教諭を務めた後、1984年4月から、都立稲城高校に転任し、現在は都立八潮高校定時制に勤めています。

教師になったばかりの頃、青木さんは、現場の自由さに、喜びを感じたといいます。しかし、1990年代に入って、教師に対する管理・統制が厳しくなってきました。1998年に「都立学校等あり方検討委員会」(あり方検)が発表した「都立学校等あり方検討委員会報告書―校長のリーダーシップの確立に向けて―」と、「東京都立学校の管理運営に関する規則」(管理運営規則)改定に始まり、1999年には石原慎太郎氏が東京都知事となって以降は、一段と統制が厳しくなったそうです。米長・鳥海・横山各教育委員が中心となり、都教委が国の教育施策を先取りするような形で、進められていきました。

1998年3月に「あり方検」が発表した報告書では、校長のリーダーシップの強化が提言され、それを受けて「管理運営規則」が改定されました。これによって、職員会議が校長の校務を補助する機関とされました。規則改定以前、職員会議は、報告と審議からなっていましたが、規則改定後は、報告と協議になり、学校運営に関して実質的な決定を行うことができなくなりました。また、職員会議と並んで教職員全員が主体的に参加する学校運営の柱となっていた人事委員会も、規則改定によって、設置が禁止されました。校長にリーダーシップを与えるといっても、そのリーダーシップに基づいて人事委員会を設置することができないのです。これが、強化された校長のリーダーシップの内容です。

2000年4月には人事考課制度が導入されました。教員は、毎年4月1日に、学習指導・生活指導・学校運営などの項目ごとに、その年度の達成目標や、そのための具体的手立てなどを自己申告書に記入します。目標は、校長の定める学校経営方針に沿っていることが要求されます。校長の授業観察などもあり、これらを総合して、年度末に校長から、S,A,B,C,Dの評価がなされ、この評価は、教師の処遇(給与など)に反映されます。

しかし、教師の仕事は、生徒指導や各教科の指導などであり、数値化することが難しく、客観的評価は困難です。そういったことから、ILOやユネスコなどから、人事考課制度は望ましくない、という勧告を受けているそうです。原告団の団長の一人が、この人事考課制度の下でC評価を受けていることについて、青木さんは、この評価が校長の恣意的な評価であって、訴訟をやっていることへの嫌がらせではないか、と主張しました。

また、校長による評価について、その理由はきちんと明らかにはされないそうです。評価に対して苦情相談制度がありますが、結論に至る経過は明らかにされず、結果のみを告げられるそうです。そのため、組合のアンケートでは、80パーセントの教員が、人事考課制度は教員のやる気や資質の向上にはまったく役立たない、と回答したといいます。
 
2003年には人事異動要綱が改定されました。改定以前、同一校に8年間勤務すると、異動の対象となりました。しかし、2003年の改定では、6年間の勤務で異動の対象となり、さらに、校長が具申すれば、3年未満でも異動が可能となっているそうです。そして実際にも、昨年度は、2人が、同一校勤務が3年未満であるにもかかわらず、本人の意思に反して、異動をさせられたそうです。ほかにも、都立戸山高校では、2年生から3年生へ進級する際、通常は、受験指導の便宜などから、担任がそのまま持ち上がるのが通例だったにもかかわらず、8クラス中4クラスの担任が異動させられたそうです。青木さんによれば、各高校の伝統を受け継いでいくためには、8年間の勤務が望ましいそうです。また、校長によって、恣意的に異動がなされるのは、式での「君が代」斉唱時に不起立の教員がいた場合、校長も処分の対象となるため、それを避けるための、自己保身のための異動である、と青木さんは証言しました。

1999年に、石原氏が都知事になり、米長氏・鳥海氏・横山氏が教育委員に任命されて以降、都教委の教育行政に変化が現れました。「心の東京革命」を提唱し、行政が、子どもの心にまで介入してきたのです。そして2001年1月、「東京都教育委員会の教育目標」と「東京都教育委員会の基本方針」を改定し、「基本方針」から「日本国憲法及び教育基本法の精神に基づき、また児童の権利に関する条約等の趣旨を尊重して」の文言が削除するとともに、「教育目標」の前文に「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会に生きる日本人の育成」の文言が付け加えました。

教育活動への行政機関の介入が現実のものとなったひとつの例が、七生養護学校におけるものです。七生養護学校では、知的障がい児に対する性教育において、保護者の要望もあって、独自の教育に取り組んでいました。たとえば、体の各部分の名称を「からだうた」という歌にして、それを通じて男女の体の違いを教えたり、あるいは人形を用いるなどの工夫をしていました。ところが、こうした性教育に対して、土屋敬之都議が、2003年7月2日の都議会において、「不適切な教育だ」と追及したことから、同年7月4日に、土屋都議や都教委、産経新聞の記者らが七生養護学校を訪れ、教材を提出させ、写真をとるなどしました。同行した産経新聞の記者が、翌日の新聞に、普段は服を着せている人形の服を取り去って裸にした写真や、「過激性教育」「まるでアダルトショップのよう」などとした記事を記載したため、7月9日、都教委は七生養護学校の全教員から事情聴取を行ったうえ、教材を持ち去りました(これに対して、東京弁護士会が警告を発しています)。七生養護学校での性教育は、保護者と教員が協力し合いながら、工夫を重ねて行ってきたものだったにもかかわらず、都教委が教育内容に権力的に介入したものです。

10.23通達について、この通達が出される以前は、卒業式における「日の丸」の取り扱いは、各校でさまざまでした。壇上正面に掲げる学校もあれば、校門や屋上に掲げるなどの学校もありました。また、「君が代」の斉唱をする高校もほとんどなかったそうです。しかし、1999年に国旗国歌法が成立し、石原都政となって以降、締め付けが強化されました。国歌斉唱が卒業式のプログラムとされました。しかし、保護者や生徒に対して、「内心の自由」についての説明もなされていました。そして実際に、「君が代」を歌わない人もいました。都教委は、これをもって、「完全実施ではない」として、「是正すること」を目指しました。そして、10.23通達が出され、国旗国歌の強制がなされたのです。

さらに、日常の教育活動へも介入がなされるようになりました。2004年3月11日の出された通知では、「校長や教員は、関係の法令や上司の職務上の命令に従って教育指導を行わなければならない」とした上で、式の予行に際して、「内心の自由」についての説明を行うことや、準備委員会で国旗国歌の取扱いを討論することが禁止しました。そして、「内心の自由」の説明は、「不適切指導」、担任クラスの生徒の不起立が多数であれば「指導不足」とされ、都教委から指導や注意をされます。この方針は、2004年3月14日の都議会において、横山教育長が認めたものです。

10.23通達が出され、それについて10月29日の職員会議で校長から説明を受けたとき、青木さんは、“ついに来るものが来た。現場への圧力だ”と思ったそうです。そして、卒業式近くの2004年2月18日、改めて実施指針の説明を受けました。この日の時点で、校内の総務部では、卒業式の実施要綱原案が作成されていましたが、卒業式当日は、この通り実施されませんでした。原案では、教職員の席は卒業生を向いていましたが、当日は、壇上正面、すなわち「日の丸」のある方向を見る形にされました。また、都教委の挨拶は、原案にはありませんでしたが、当日は、都教委が挨拶をしました。この2点について、学校側の意向を無視して、都教委から強制されたのです。

2004年3月に実施された卒業式で、指定された座席に着くことや、「君が代」斉唱時の起立については、職務命令という形でなされました。その職務命令は、2つの高校を除くすべての高校において、文書でなされました。文書による職務命令というのは、これまで例がなく、初めてのことだったそうです。青木さんは、職務命令は教育の現場になじまない、と抗議したそうですが、校長も、「職務命令を出さざるを得ない」と答えたそうです。この10.23通達が出された日には、「適格性に問題のある管理職の取り扱いについての要綱」も改定され、管理職の降格が規定されました。つまり、職務命令を出さない校長は、降格のおそれがあるのです。そして実際に、職務命令を文書ではなく口頭で行った校長については、米長教育委員が、自身のホームページで、“そういう校長は呼び出して叱りつけろ”と発言したことを公言していました。

卒業式の当日は、教育庁から2名の職員が来ました。1名は祝意を述べましたが、もう1名は式の実施状況の把握ということで、後ろから実施状況を監視していました。この監視は、「君が代」斉唱時の教職員の起立状況のみならず、生徒や保護者の起立状況についても行われていました。これは、卒業式の実施状況についての報告書を情報公開請求で入手した際、多くは墨塗りをされていたのですが、一部塗り忘れがあり、その部分には、卒業生や保護者で不起立者を確認したことが書かれていたため、わかったことです。こうした業務は、指導主事が行っていますが、青木さんは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の第19条3項で、指導主事の業務が、「教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務」であると定められていることから、卒業式での監視活動は、当該規定に違反する、と指摘しました。

青木さんは、卒業式の「君が代」斉唱時に起立しませんでした。その後、校長から呼び出しを受けましたが、報告することはないとして、呼び出しに応じませんでした。3月19日、都教委から呼び出しを受けましたが、弁護士の立会い、補佐人の立会い、録音の許可を条件として呼び出しに応じる、と答えたところ、その後の呼び出しはなく、弁明の機会も与えられないまま、戒告処分を受けました。

戒告処分は、それがなされる前に、注意、厳重注意などがなされるのが通例であり、いきなり戒告するというのは、異例だそうです。それに戒告処分は、決して軽い処分ではありません。戒告は勤務手当てや昇給に影響します。2度、3度と繰り返されることにより、手当てや昇給への影響も大きくなっていきます。嘱託採用が取り消されることもあります(これについても、裁判が行われています)。このような戒告によって、教育へ行政が介入することは、非常に問題です。学校現場では、どんな小さなことでも都教委にお伺いを立てなければいけない、という雰囲気になっているそうです。これは、教師が自分の責任で行ってきたことが、指示に基づいてでないとできないということになり、教育にとって大きなマイナスだ、と青木さんは主張しました。

そして最後に、校長も都教委も、何を尋ねても同じ回答しかしない、という事実を指摘し、数年後には、われわれ教師も、保護者や生徒からの問いに対して、同じ回答しかできなくなるのではないか、という懸念を表明しました。

青木さんの証人尋問で明らかになったのは、都教委のやり方の強引さです。青木さんが教員になったころに比べ、行政による現場への介入の度合いが強められ、職員会議が形骸化され、卒業式のやり方も細かく定められ、現場の裁量でできることがほとんどなくなっています。教師に自由が認められないところで、どうして生徒たちに自由を教えることができるのでしょうか。卒業式の場で、政府答弁でも認められた「歌わない自由」の行使まで都教委によってチェックされるような状況で、生徒が本当にその自由を行使できるでしょうか。都教委には、教育の現場で尊重すべきものが何なのか、きちんと考えてほしいと思います。

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