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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

日の丸・君が代訴訟(9)――予防訴訟3

M.K記

2006年3月20日の午後1時半、東京地裁103号法廷の傍聴席を満員にして、「君が代」予防訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟)の最終弁論が行われました。第一次提訴をした2004年1月30日から2年余りを経て、結審を迎えました。本日の最終弁論は、344ページにもわたる最終準備書面をもとに、約2時間半にわたって行われました。すべてを紹介することはできませんが、いずれの弁論も迫力があり、現在の都内の学校現場の異常さや現場の先生方の悩み苦しむ姿が、眼に浮かぶように伝わりました。

 まず、弁論の冒頭で、山中眞人弁護士が、今年の3月13日付の通達について言及しました。この通達は、3月11日に行われたある定時制高校の卒業式の「君が代」斉唱時(以下、単に斉唱とします)に、ある学級の生徒の大半が起立しなかったことを問題視した東京都教育委員会(以下、都教委と呼びます)が、すべての校長に対して、生徒を起立させることを教職員に徹底指導することを求めるために出されたものです。卒業式からわずか2日後に通達が出されていること自体が異常ですが、この通達により、都教委の目的が、全教職員のみならず、生徒全員の起立斉唱であることが明白に表れていると述べました。

 次に、秋山直人弁護士が、10.23通達以前に多くの学校で行われていた卒業式・入学式の斉唱時の「内心の自由」の説明を、都教委が禁じた点について批判しました。10.23通達以後、「内心の自由」の説明をしたり、生徒の大半が不起立であった学級担任の教員が、処分や厳重注意を受けています。都教委は、教職員への起立斉唱職務命令は、外部的行為を要求するにすぎず、教職員の内心の自由を侵害するものではないと述べています。これに対して尾山宏弁護団長は、この都教委の見解は詭弁にすぎず、良心と良心に基づく行為は不可分であり、良心の自由は良心的行為の自由にほかならず、良心的拒否の自由は人間であることの最後の証であり、良心的拒否は、その行使によって学校運営に重大な支障が具体的に生じうる場合や、他人の人権が現実に侵害される場合を除いて、絶対的に保障されなければならないと述べ、都教委の見解を強く批判しました。また、海部幸造弁護士は、教師への起立斉唱の強制は、子どもにいかなる理由があろうとも起立斉唱しなければならないとする観念を植え付けることになり、子どもの思想・良心の自由の侵害につながる、よって、子どもの自由を保障するためにも、教師の思想・良心の自由の行使が必要である、と述べました。

森真子弁護士は、教職員の証言をもとに、原告の方々が被った損害について弁論しました。10.23通達にもとづく職務命令は、教職員に起立斉唱するか否か選択を迫ります。仮に、良心に従って起立斉唱を拒否すれば、服務事故として処分の対象になります。その場合に被る経済的不利益は、本人や家族の生活に強い影響を与えます。それは「生活の死」を意味します。一方、良心に反して起立斉唱した場合であっても、自己の良心に反した姿が生徒の面前でさらされることになります。それは教師にとっての「精神的な死」や「教師としての死」を意味します。つまり、いずれを選択しても、「死」を選択させる職務命令なのです。そのため、原告に強い葛藤を生じさせざるを得ないのです。現に、これらの激しい葛藤から、少なくない教職員が、頭痛・全身の気だるさ・消化器の異常・悪夢・不眠・持病の悪化・感情の不安定・抑うつ・虚無感等の深刻な身体・精神症状に苦しみ続けています(東京新聞2006年3月23日(木)朝刊の特報欄で、この問題が取り上げられています)。

ある社会科の先生は、自己の良心に反して憲法や教育基本法を無視した職務命令に従うことは、社会科教員としての自殺行為に他ならないと証言しています。また、別の先生は、処分を恐れて斉唱を命ずる職務命令に従った場合、生徒に「先生たちは権威に屈した。結局は思想・良心よりも自分たちの生活の方が大切なのだ」、「どんなに強い信念があっても、長いものには巻かれるべきなのだ」などの意識を植え付け、彼らに悪影響を及ぼしかねないことを強く懸念しています。更に、司会担当やピアノ伴奏を命じられた先生は、それ以外の教職員をはるかに超える重圧にさらされています。ある音楽の先生は、伴奏命令によって、犯罪行為に加担させられたことと同様の重大な精神的屈辱を与えられたと証言しています。

さらに、都教委の徹底した斉唱強制が、教育そのものを破壊してしまうことも、証言によって指摘されています。つまり、校長は、都教委の職務命令をただ忠実に実行するだけの「ものいう道具」となり、教職員の間に、校長に何をいっても無駄だという意識が生まれ、その結果、現場の教職員の自主性やモラルが急速に衰退しているのだそうです。

最後に、尾山弁護団長が、結語として、「本件は自由を守るたたかいである。都教委は、生徒や教師を起立斉唱完全実現のための“心のない道具”としか考えていない。これら都教委の措置が、どれだけ子どもにとって不幸なことであり、そのことに、どのような教育的意義があるのか」と迫るように訴えました。弁論終了と同時に、傍聴席から大きな拍手がわきました。

ある原告は、今の卒業式を「国歌斉唱式」であると評したそうです。都教委は、管轄下の全学校の入学式・卒業式について、教職員に対する起立斉唱の職務命令にとどまらず、会場内の座席配置のあり方や、会場内外の国旗掲揚の方法に至るまで、ほとんどの裁量の余地を認めずに一律に規定する通達を出しています。そして、都教委の方針に少しでも異論を唱える行動・発言をする教職員に対しては、厳しい処分でもって対抗するという、事実上の強制を行っています。こうした都教委のやり方は、子ども一人ひとりの個性に応じた成長を支えるといった、本来の教育のあるべき姿と、あまりにもかけ離れていると言えないでしょうか。

判決は、半年後の9月21日午後1時半に、103号法廷にて言い渡されます。

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