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薬害イレッサ訴訟(2)

T・O記

2006年1月11日、大阪地裁で薬害イレッサ西日本訴訟の口頭弁論が開かれました。この日は、原告のうち、唯一生存されている患者である清水英喜さんに対する原告本人尋問が行なわれました。清水さんご自身が末期がんのため、おそらく今日の証言が最初で最後の貴重なものとなるだろうということからでしょうか、裁判所自らビデオに録画するという異例の措置がとられました。また、清水さんの証言を聴こうと、東京からのおよそ30名を含む大勢の支援者・関係者が法廷に集まり、96席あった傍聴席はすべて埋まりました。以下、清水さんの証言をレポートします。


清水英喜さん

清水さんは、2001年11月に肺がんの摘出手術を受けました。術後、医師からは再発の恐れは99%ないと言われました。ところが、2002年6月、リンパへの移転が見つかりました。がんが再発していたのです。呼吸器内科へ行くよう指示されたため、院内を移動しましたが、あまりのショックのため、どう歩いたのか覚えていないそうです。ショックを受けたのは、99%ないと言われていたのに再発したことと、リンパへの移転=死、ということからでした。清水さんは再発を信じられず、別の医療機関でセカンドオピニオンを聞きにいきましたが、そこでも結果は同じでした。そして、余命半年を告げられました。

清水さんは、地元へ戻り、放射線治療を受けることにしました。治療開始から一週間ほどすると、皮膚がやけどした状態になり、ただれてきました。また、放射線の影響で気管支もやけてしまったため、飲食もできない状態になってしまいました。しかし、放射線治療の甲斐があって、7センチもあった腫瘍が小さくなっていました。この時、清水さんは「余命半年から逃れられた」と思ったそうです。

放射線治療が終わる少し前に、担当医と今後の治療について相談したところ、抗がん剤の投与を勧められました。しかし、清水さんの母親が肺がんで抗がん剤を使用しており、その副作用をいやというほど見てきた清水さんは、抗がん剤を使う気になれず、断りました。すると医師は、「イレッサという新薬がある、これはがん細胞のみをやっつける画期的な薬だ」と言って、イレッサを勧めました。清水さんはそれを聞いて、「夢のような薬だ。これで縮小した腫瘍にとどめをさしてやろう」と考えました。イレッサについては、がん細胞のみを狙うという魅力に、新薬であるという不安は吹き飛びました。保険が適用されないものであれば迷ったかもしれませんでしたが、国から認可を受けているということも、清水さんに安心感をもたらしました。

イレッサの服用に当たって、医師から副作用についての説明を受けました。担当医は、「軽い下痢、発疹、まれに軽い肺炎があるが、肺炎については症例がない」、と清水さんに説明しました。死亡例があったことについて、説明はありませんでした。清水さんは、2002年9月10日に退院し、医師の指示通り、退院から2週間後、これでがんが治るという希望を持って、イレッサの服用を始めました。

服用を始めてから3週間後の10月21日、清水さんは39度の発熱と激しい下痢に襲われました。解熱剤を服用しても、一時的に熱は下がるものの、すぐに熱は上昇しました。そこで病院へ行き、診察を受けました。肺のレントゲンもとりましたが異常は見つからず、当直医の診断は、「放射線治療の回復熱」というものでした。10月23日にも担当医の診察を受けましたが、やはり異常は見つからず、回復熱だろうという診断でした。ただ、念のためということで、医師からイレッサの服用をやめるようにも言われました。

ところが、10月25日になっても、40度近い熱が続き、さらにそれまでほとんど出なかった咳が、激しく出るようになりました。重苦しい咳で、じっとしていれば止まりますが、寝返りなどで体を少しでも動かすと咳が出ました。トイレに行くとき以外はずっと寝ており、トイレに行くにも這っていかなければいけないような状態でした。あまりの苦しさに、人生で初めて「死んだほうがましだ」と思ったそうです。妻にも「殺してくれ」と訴えました。妻は「そんなことできない」と言って、その後は黙ってずっと手を握っていてくれました。翌26日には「俺ももうぼちぼちダメかな」と思いましたが、回復熱だから、回復すればよくなると思い、我慢していたそうです。


報告集会

しかし、10月27日になって、ついに我慢できず、病院へ行きました。清水さんは、朦朧とした意識の中で、「もう死ぬ」と思っていたそうです。ICUで診察を受けた結果、医師の診断は、間質性肺炎でした。イレッサの副作用だとは言われませんでしたが、ステロイド剤の投与について、医師が妻に「肺の炎症が進むのが早いか、ステロイドが効くのが早いか…。場合によっては覚悟して下さい」と告げているのが聞こえたそうです。その時、清水さんは、薄れゆく意識の中で、「回復熱やなかったのか…。がんと闘って、回復の兆しもあったのに、なんでこんなんで終わらなアカンの…」と考えながら、そのまま意識を失いました。

これらの症状がイレッサの副作用であるということは、入院から2〜3日後に聞きました。「間質性肺炎がどういうものかを聞いて、イレッサがそんなにおそろしい薬であるとは知らず、くやしい。薬に副作用があるのは仕方ないが、そんなに重篤な副作用があると知っていれば、結果論ではあるが、服用しなかったかもしれない。自分が闘うぞ、という決意で失敗したなら分かるが、事前の説明がほしかった。そんな危険な薬であったら、自宅で服用させないでほしい。回復しかけていたのに、何で…。とにかくくやしい」。その時の思いを、清水さんは、このように語りました。

そして、代理人からイレッサに対する思いを尋ねられ、清水さんは、「生き証人として提訴し、遺族の方たちに、その時の状況を話したい、話さなければならない、という使命感でここまで来た。今日の尋問で、患者の思いが伝わればいい」、と述べました。

また、国や製薬会社に対する思いを尋ねられ、こう答えました。「薬に副作用があるのは分かる。営利目的も分かる。しかし、安全性が大前提にあるはずです。それが企業の社会的責務でしょう。それを“(死亡原因は)肺がんか肺炎か分からない”と企業側に言われて、腹が立ちました。厚生労働省も同じ答えでした。アンタもいっぺん肺がんになってみろ、と怒りがわきました」。「製薬会社は、何かあれば薬を改良して欲しい。良いものを出す努力をして、重篤な副作用のない薬を目指して欲しい」。そう述べて、主尋問を終えました。

続いて、ビデオテープの交換という、裁判所では珍しい作業を経て、反対尋問が行なわれました。イレッサを製造・販売している被告アストラゼネカ社は、清水さんが罹患した間質性肺炎が、別の薬によるものではないかということを立証しようとしていたようでした。そのため、清水さんのアレルギーや、イレッサ以外に服用していた薬についてたずねていました。このような反対尋問は、薬害訴訟でよくなされるもののようです。また、国側の反対尋問は、イレッサ服用を決意した時期や、イレッサ以外の抗がん剤投与がなかったことなどの確認にとどまり、反対尋問の意図がよくわかりませんでした。

その後、大阪地裁近くの中之島公会堂というところで報告集会が開かれました。清水さんは、この日の証言について、「証言の最中に、当時の辛さ・苦しさを思い出して、非常にしんどくなってしまったが、となりに遺族の方が座っていたので、ものすごく励まされました」、と述べました。また、東京から傍聴に駆けつけた早稲田大学の学生や、ヤコブ病訴訟の関係者などがあいさつをしました。集会のあとには、被告アストラゼネカ社が入っているビルの前で、抗議の演説やビラまきが行なわれました。

最後に簡単な感想ですが、清水さんは、証言の中で、何度も「くやしい」という言葉を述べていました。おそらく、「くやしい」というのは、患者や遺族に共通する思いなのでしょう。「がん細胞にだけねらう」という言葉に踊らされ、がんの克服を夢見て、副作用の恐ろしさも十分に知らされないままイレッサを服用して、重い間質性肺炎になってしまったこと。多くの患者が亡くなってしまい、患者として訴訟に参加しているのが清水さん一人しかいないこと。薬害の責任を認めようとせず、肺がんで死亡したのではないかと言い、また清水さんの肺炎の原因がイレッサかどうか分からないと主張するアストラゼネカ社と厚生労働省。こうしたことに対する清水さんのくやしさがとても伝わってくる証言でした。

企業の営利や、新薬を世界に先駆けて承認するという国の「名誉」を追求した結果起きたこの薬害の被害者は、社会でもきわめて弱い立場にある患者とその家族たちです。何としても彼らを救済しなければならない。清水さんの証言を法廷でじかに聴き、強くそう思いました。

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