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薬害肝炎訴訟(3)

T・O記

(2)に引き続いて、2005年11月29日に行われた口頭弁論の様子をレポートします。この日の午後は、原告番号2番(以下、Bさんと呼びます)の方に対する尋問が行われました。

Bさんは1人目の子を流産し、2人目の子が初めての子でした。流産を経験していたこともあり、この子の出産はとてもうれしかったそうです。この出産のときに出血があったため、フィブリノゲン製剤を投与されました。投与された日の夜から、37〜39度の発熱がありました。その原因については、医者も分からなかったそうです。こうした発熱などのため、子どもの世話ができず、入院中は看護師が子どもを預かることになりました。授乳も、母乳をほ乳びんに移し変えた上で、看護師が与えるという形になりました。

退院後はBさん1人で子どもの世話をすることになりました。しかし、倦怠感を覚えることが多く、横になってばかりいたそうです。その後、体調が極端に悪化し、茶色い尿が出て、目にも黄だんが表れました。そこで、子どもの一ヶ月検診もかねて病院へ行ったところ、看護師が一目見るなり、子どもを別室に預け、直ちに診察室へ案内されました。そしてきちんとした診察もないまま、大きな病院に行くよう指示されました。

紹介された病院では、到着するなり看護師が車椅子を持ってきて、すぐに病棟へ送られました。そして点滴が始まり、入院することになりました。診断の結果は、急性肝炎でした。何か起きたということはわかりましたが、どういうことなのかわかりませんでした。しかし、周りのあわて振りから、大きな問題が起きたのだと思ったそうです。入院中、子どもの世話ができなくなったこともあり、Bさんの母親が仕事を辞めて、育児を手伝うことになりました。その後、詳しい診断結果が知らされました。医者は、「非A非B型肝炎です。この病気は完治しません」と言ったそうです。さらに、「慢性化し、肝硬変や肝がんになる可能性もある」とも告げられました。

入院中、退院した肝炎患者がお見舞いに来てくれたそうですが、体調が万全だったわけではなく、退院したとしても、治っての退院ではないことを認識したそうです。その後、入院は2ヶ月に及びました。トイレや洗面以外に、ベッドから立つことを禁じられ、疲れるからという理由で、テレビや読書も禁じられました。その間、一生このままなのだろうか、子どもはどうしようか、この先どうなるのだろうか・・・と絶望的な思いを抱えていたそうです。

入院中、一度だけ子どもに会うことができました。退職して子どもの世話をしてくれていた母が、連れてきてくれたのです。しかし、ベッドから起き上がることができなかったため、自らその子を抱くことはできませんでした。大きくなっていてうれしさを感じる反面、知らない間に大きくなっていて、自分で育てることができなかったことにつらさも感じたといいます。実家の病院に入院していたのですが、夫は毎週末、見舞いに来てくれ、いつも励ましてくれました。

2ヶ月入院した後、安静にすることが大事だということで、退院の許可が出ました。自宅では、C型肝炎が血液感染するということに注意するよう言われ、食器も別にするよう指導されたそうです。しかし、Bさんは、血液感染と食器を分けることが結びつかず、ばい菌扱いされているようで、違和感を覚えたと言います。また、子どもに母乳を与えることも禁止されました。退院後、長時間立っていることができず、家事や育児は最低限のことしかできず、母に手伝ってもらいました。その後、実家から自宅へ戻りましたが、体調は悪いままでした。家事は夫に手伝ってもらいました。昼間は外へ行くこともできず、子どもと散歩したり、公園で遊んだり、同年の子どもと遊ばせたりすることもできませんでした。

肝機能の検査のため、毎月通院していましたが、子どもを置いていくわけにも行かず、毎回連れて行きました。1時間の通院に加え、待ち時間にミルクを与えたり、本を読んだりするのは、本当につらかったとBさんは言います。さらに、診察中は、子どもをひざに抱えていたそうです。精神的にも、肉体的にも、通院はきついものでした。しかし、いつ肝機能が悪化するかも知れず、通院をやめるわけにはいきませんでした。

病状が安定してきたころ、夫と、夫の両親から、2人目の子どもがほしいという話がありました。体力のことや、母子感染の不安があったため、Bさん自身は乗り気ではありませんでしたが、夫や、夫の両親の説得もあり、医者に相談しました。医者によると、母子感染は数パーセントに過ぎず、その医者自身も母子感染をしていない例を知っている、病状は一時悪化するかもしれないが、やがて安定する、とのことだったので、Bさんは次男の出産をしました。

ところが、検査の結果、次男はC型肝炎ウィルスに感染していることが判明しました。Bさんは、ウィルスを感染させてしまったという思いや、自分と同じつらい思いをさせてしまうことのつらさなどから、頭の中が真っ白になったといいます。夫も、ショックで言葉を失ったそうです。子どもの母子手帳には、C型肝炎ウィルスに感染している旨の記載がありますが、差別や偏見などを恐れ、自らの手で消してしまいました。さらに次男には、学習障害がありました。夫の励ましもあり、がんばって育てていこうと決意しましたが、その夫は、過労のため、亡くなってしまいました。悲観して後追い自殺も考えましたが、2人の幼い子どもを置いていくわけにもいかず、かといって道連れにすることもできず、Bさんは自殺を思いとどまりました。

現在、Bさんは介護施設に勤務しています。Aさんと同様、病気のことは話していません。病気のことが発覚すれば、この施設で働くことができなくなるからです。月に一度、病院で診察を受けるときには、同僚と出会うことがないよう、同僚の予定などをチェックして、出会うことのない時間に診察を受けるようにしています。

Bさんはインターフェロンの投与を受けていません。投与のために必要な2週間の入院が必要ですが、2週間も休みを取ればC型肝炎のことが職場に知られてしまうことや、Bさんの感染したウィルスに効く可能性が30%程度であることが、その理由です。次男についても、インターフェロン投与の効果があるかわからず、また子どもへの投与の実績がなく副作用なども未知のため、行っていないそうです。

19年前、フィブリノゲン製剤を投与されたことによって、C型肝炎に感染しました。あの時、フィブリノゲン製剤を投与されなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに、どうして投与されたのか、国はなぜ認可したのか、責任の所在を明らかにし、謝罪してもらいたい。Bさんはこう語りました。そして最後に、裁判所に対して、「私の子どもの命を助けてください。障害と肝炎を持っている私の子どもを助けてください。病気は治せるはずです。肝炎を治せる病気にしてください。新薬の開発を急いでほしいのです。救済の道を開いてください」と訴えました。

反対尋問では、Bさんが、フィブリノゲン製剤以外に輸血などを受けたことがないという点が確認されました。また、フィブリノゲン製剤の投与による感染であると知った時期が問われました。Bさんは、はっきりとは覚えていませんでしたが、それでも急性肝炎で入院したときにはすでに認識していたそうですから、ずいぶん前から知っていたことになります。そうなると、不法行為による損害に対しての損害賠償請求は、3年で時効となりますから(民法724条前段)、Bさんに対して、被告側は、この点をもって、損害賠償の責任がないということを主張するつもりのようです。しかし、病気と闘っていた当時のBさんに、病気に加えて訴訟でも闘うことは、非常に困難だったでしょう。それを考えても、Bさんが「権利の上に眠る者」として、時効によって損害賠償請求権を喪失するとすることは、正義公平の観念に反するように思われます。

次回の口頭弁論は、2006年2月7日に行われます。この日と同じく、原告本人尋問が予定されています。

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