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薬害肝炎訴訟(6)

M.K記

2006年4月11日午前10時、東京地裁103号法廷で、薬害肝炎訴訟の第4回目の原告本人尋問が開かれました。この日は、原告番号3番、5番、10番の3名の方が証言台に立ちました。

最初に証言した原告番号3番の方(26歳・女性。以下Xさん)は、出生時にPPSB−ニチヤクを投与され、C型肝炎に感染しました。小学校時代は非常に元気活発で、数々のスポーツ大会に出場し、何度も表彰されたそうです。しかし、中学に進学してから、非常に疲れやすい体質となり、学校から6時半に帰宅すると、翌朝の6時半まで12時間近く寝る状態が続きました。しかしその当時は、Xさんも家族も共に、部活動を熱心に取り組んだからだと思っていました。Xさんは、調理師になることを夢見て、高校は食物科に進学しました。入学後は、就職に有利な栄養士の資格を取得できる専門学校の校内推薦を得ようと、必死で勉強しました。遅刻や早退・欠席をしないことや、成績が上位5番以内である事が推薦条件だったからです。

ところが、高校2年の冬に献血をし、その1ヶ月後、XさんはC型肝炎感染の事実を知りました。その後は、検査や治療のために学校を休む回数が増えたため、専門学校の推薦を得る条件を失い、高卒後すぐに就職することになりました。1人での生活は困難なため、自宅から通える調理関係の職を希望しましたが、その条件に合う職場はなかなか見つかりませんでした。進路指導の先生にも、それらの職種の多くは感染症の検査があり就職は難しいと言われ、調理師としての就職はあきらめました。周囲が就職を決めていく中、できるだけ調理に近い仕事をしたいと思い、やっとのことでパン屋に就職先を見つけました。しかし、仕事から帰宅すると疲労感でいっぱいで、特に働き始めの頃は、夕食すら食べることができずに寝てしまう状態でした。結局、体が続かず、長続きしませんでした。複数の職場を経たのち、現在は、ウェイトレスのアルバイトをしています。

肝臓の専門医がいる病院までは、自宅から片道2時間半もかかるため、現在は、専門医のいない近所の病院へ通院しています。また、Xさんが感染した肝炎は、インターフェロンという治療薬の効果が薄い性質の型であるとされ、高熱や極度のだるさなどの副作用が生じやすく、金銭的な問題もあるため、その治療を受けていません。複数の病院であからさまな差別を受けた経験から、現在もなお、肝炎感染の事実を友人には話すことができずにいます。

ある時、Xさんは、看護師の姉から、薬害訴訟弁護団の存在を教わりました。弁護団や薬害エイズ訴訟の原告の話を聞き、自分が訴訟に加わり、国や製薬会社に責任をとらせる必要があると思うようになりました。最後に、栄養士の免許を取り、調理にたずさわる職に就き、結婚して感染の心配なしに出産するというXさんの夢を実現するためにも、健康な体を取り戻したいと述べ、証人尋問を終えました。

次に、原告番号5番の方(40歳・女性。以下Yさん)が証言台に立ちました。Yさんは、87年に21歳で双子を出産した際に多量の出血があり、止血剤としてフィブリノゲンを投与されました。その一ヶ月後に高熱を発し、目と顔が真黄色になりました。医師に緊急入院を求められましたが、双子の子どもを残して入院する余裕はありませんでした。当時は病気に対する知識はなく、双子を出産したストレスが原因だと思ったのです。その後は、出産前とはうってかわって、疲労感・眠気が常にたまるようになりました。子どもが小学3年生になった時、パートとして働いていた職場で正社員として働き始めましたが、昼休みは寝て過ごします。また、月に1・2回の割合で会社を休んでしまいます。当時は感染の事実を知らなかった母親から、「あなたは何故そんなにぐうたらなの?」とたびたび言われ、罪悪感に苛まれ、自分を責め続けた時期もありました。

Yさんは、2000年に頭の後頭部のおできの摘出手術をした際の血液検査で、C型肝炎感染を知りました。半年後に、テレビのC型肝炎の特集番組をたまたま見たときに、見覚えのある薬瓶の映像が流れたことで感染原因を理解しました。それから約1年間は“うつ状態”が続きましたが、心理学や宗教書などの読書や、ヨガ・瞑想・アロマに取り組むことで、精神状態を落ち着かせる努力を現在まで続けています。

周囲には感染の事実を伝えませんでしたが、子どもたちに対しては、彼らが高校に入学した2003年に告知しました。その結果、以前は家で休んでばかりいるYさんに不満を見せていた子どもたちが、協力的に家事分担してくれるようになりました。今春、2人の子どもは、高校卒業と同時に就職しました。Yさんは、自分がいつ発病するかわからないため、どうしても勉強したいのでない限り、早く自立して欲しいと話したのです。そのことが、子どもたちの選択の道を閉ざしてしまったかもしれないと思うと、親としては非常にふがいなく、悲しかったと声を詰まらせながら証言しました。この証言を聞きながら、あまりの理不尽さに、私も傍聴席で涙を抑えることができませんでした。

職場には感染事実を伝えていません。以前、病気で長期休暇を余儀なくされた社員が、退職に追い込まれそうになったからです。Yさんは、社長に呼び出されて、「あなたはクビだ。」と言われる夢をしばしば見るそうです。また、いまだに薬に対する不信感や恐怖感があるそうです。Yさんは無症候性キャリアのため、今のところ肝炎の症状が顕在化することはありませんが、裁判所に対して、数値・データ上の値では測ることのできない精神的な不安感・恐怖感をぜひとも理解して欲しいと訴えました。

最後に、原告番号10番の方(72歳・女性。以下Zさん)が証言しました。Zさんは、1984年、51歳のときに、子宮筋腫の手術時のクリスマシン投与によって、C型肝炎に感染しました。目が黄色くなり、手術後の退院予定日の前日に、医師から急性肝炎であると言われました。その後はだるさが続き、絶対安静を言い渡され、非常に不安な日々を過ごしました。夜になると、夫に泣きながら電話をしました。

当時50キロあった体重は、日に日に痩せていきました。定期的に行われる体重測定が怖く、沢山の本をポケットに入れて測定しましたが、それでも38キロにまで落ちてしまいました。“なぜ自分がこんな病気にかからなければならないのか”と自問自答の日々であったそうです。入院から5ヵ月後、改善のきざしが見られず、これ以上は病院にいられる精神状態ではなくなり、退院を決意しました。病室からは、39歳で再就職して以来、自分の生きがいとして勤務していたデパートが見えましたが、二度と職場復帰できない、自分は死ぬのだと思っていたそうです。

自宅療養後も、海底に沈むような極度のだるさから、ほぼ寝たきりの状態が続きました。ある時、デパートの人事部長が自宅を訪れ、「こういう状態だからもう無理でしょう。」と言われ、退職に応じました。肝炎感染によって、それまで自分の生きがいとして働いていた職を追われ、退職後は心に穴が開いた状態だったそうです。55歳の定年退職後に教室を開くことを夢みて、月に2回、2年間通ったアートフラワー教室もあきらめました。

Zさんは、その後も病気を治したい一心で、評判がよいと聞いた民間療法・漢方薬・健康食品などを、わらをもすがる気持ちで試した結果、夫の貯金も含めた合計1100万円の全額を使いきってしまいました。それからは、年金繰上げ受給の月7万円を健康食品に当てています。90年から91年にかけて、アートフラワー教室に月に1度、2年間通いました。Zさんの場合、1日教室に通うと、3日間寝過ごさなければならないほど大きな負担でしたが、高等師範の資格を得ることができました。しかし、体力的な問題に加えて、貯金が底をついており、定年退職後の夢であった教室を開くことはあきらめざるを得ませんでした。

92年に、自力での生活が困難となった夫の母親と同居を始めました。トイレと入浴の介助だけはZさんが担当しましたが、介助を始めて8ヵ月後に肝機能の数値が急上昇し、医師に、「すぐに入院してください。お母さんには申し訳ないですが、高齢者施設に移ってもらってください。」と言われました。義母には非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。その後、インターフェロンを1年間投与し続けましたが、ウィルスは消滅せず、逆に副作用のために髪の毛の3分の2が脱けてしまい、元の状態に戻るまでに10年を要しました。現在は支援者と話をするのを非常に楽しみにしているZさんですが、感染前は接客が大好きだったのが、感染後は社交がおっくうになり、他者との接触を避けるようになるなど、性格も大きく変化してしまいました。

最後にZさんは、「治療を続けても、回復することはなく、今後の生活・体調に大きな不安を抱えている。私は働くことが大好きであり、本来ならば、定年退職後はフラワーショップ教室で体が動かなくなるまで働いていると思う。それにもかかわらず、自分の性格とは正反対の生活を余儀なくされている。国や製薬会社がきちんと注意を払っていたならばこのような事態は起きなかった。私たちが安心して生活できるよう救済し、一刻も早く新薬を開発して欲しい」と訴えました。

肝炎に感染したことについて、彼女たちにはどの様な責任があるのでしょうか。たった一度の輸血や薬剤投与が、本人のみならず家族の人生設計を大きく変えてしまったのです。国や薬剤会社は一刻も早く、真摯な謝罪と迅速かつ誠意ある対応をとらなければならないと思います。

次回は、5月16日(火)午前10時より、第5回目の原告本人尋問が開かれます。大学生の原告も含めて、3人が証言台に立つ予定です。

それから、5月28日(日)の午後2時から(開場は午後1時半から)、星陵会館にて、6月の大阪地裁の判決に向けた集会が開かれます。主催は、薬害肝炎訴訟原告団・弁護団・支援する会です。参加費は無料で、事前申し込みは不要です。裁判傍聴とあわせて、ぜひご参加ください。

◆星陵会館へのアクセス

星陵会館:東京都千代田区永田町2-16-2
     永田町駅・6番出口   徒歩3分(東京メトロ有楽町線・半蔵門線・南北線)
     国会議事堂駅・5番出口 徒歩5分(東京メトロ千代田線)
     赤坂見附駅・ベルビー口 徒歩7分(東京メトロ銀座線・丸の内線)
お問い合わせは、オアシス法律事務所までお願いいたします。
住所:東京都新宿区新宿1-24-2長井ビル3階
         電話:03-5363-0138 
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