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薬害肝炎訴訟(7)――東京訴訟結審1

T・O記

2006年8月1日、薬害肝炎東京訴訟が結審しました。結審にあたり、原告・被告が意見陳述を行いました。今回と次回の2回に分けて、弁論の様子をレポートします。

この日は夏休みということもあってか、若い学生も多く傍聴に詰めかけ、100席近い傍聴席の半数近くを占めました。注目を集めている訴訟ということもあり、開廷前にテレビ撮影も行なわれました。

まず、原告番号2番の女性(以下、Aさん)が意見陳述を行いました。Aさんは、陳述をはじめると、すぐに嗚咽し始めました。

Aさんは、19年前、長男を出産した際にフィブリノゲンを投与され、C型肝炎ウィルスに感染しました。その後、次男出産の際、母子感染により、次男もC型肝炎ウィルスに感染しました。出産後、病院で「赤ちゃん、ウィルス持ってるよ」と言われ、忘れることのできない大きな衝撃を受けたそうです。今も、感染させたことを悔やみ、自分と同じ苦しみを背負わせてしまったと、自分を責め続けているといいます。

さらに次男は学習障害も持っていました。血液検査を定期的に受けさせていますが、その理由を告げてはいません。自分の病気のことなので、しっかり理解してもらわねばならないと思ってはいるものの、障害のため、どこまで理解してもらえるのか、不安と恐怖を与えるだけにならないかと思い、死に至る病気だとはとても言えないから、というのがその理由です。

次男の治療のため、インターフェロン投与も考えましたが、ウィルスの型がインターフェロンの効きにくい型であることや、副作用が強く子どもに投与するのが危険であることなどから、実行できていません。そのため、国や製薬会社に、一刻も早い新薬の開発を願っています。

Aさんは、現在、肝硬変、肝臓がん発症の日が近づいているのではないかと日々不安と恐怖に駆られているそうです。すでに夫を亡くしており、自分が倒れてしまったら、子どもたちはどうなるのか、特に次男は一人で自立できるだろうか、と不安ばかりです。また、もし、次男がAさんより先に亡くなるようなことがあれば、Aさんは立ち直れないといいます。

Aさんは最後に、裁判所に向けて、「自分に何の落ち度もないのに病気にさせられ、人生を狂わされ、命を落としていく。なのに加害者が何の責任も問われない。こんなことが許されていいのでしょうか。本当であれば、司法の判断を仰がず、国が積極的に救済に乗り出してほしかった。しかし、私たちは長い間放置され続けてきました。今この裁判に勝たなければ、私たちは、今後も放置され続け、二度と救済されないでしょう。それは、私たち原告だけでなく、フィブリノゲン製剤による1万人以上の被害者すべてが放置されるということです。どうか私たちを見捨てず、放置せず、司法の判断で救済の道を開いてください。国を動かす力になってください。よろしくお願いします」、と涙ながらに訴え、陳述を終えました。

続いて、訴訟代理人である石井麦生弁護士が、血清肝炎・非A非B型肝炎の予後について、以下のような意見陳述をしました。

血清肝炎・非A非B型肝炎の予後については、1964年の時点で、専門家から「楽観を許さない」「死亡例の報告も漸次増加しつつある」などと指摘されていました。また、1978年には、輸血による肝炎発症の可能性の高さや、非A非B型肝炎により、死に至る病気である肝硬変へ進行することも認識されていました。

にもかかわらず、1977年〜1987年のフィブリノゲン製剤の添付文書には、「血清肝炎等の障害が現れることがあるので観察を十分に行うこと」「本剤の使用により、15〜20%の急性肝炎の発症があるとの報告があり、使用の決定に際しては患者のリスク負担と投与によって受ける治療上の利益とを秤量すべきであるとされている」と記載されるにとどまりました。しかし、投与後に十分な観察をしても慢性化し肝硬変に至ることは防げませんし、比較考量すべきは、急性肝炎のリスクではなく、慢性化し肝硬変に至るというリスクでした。

最後に石井弁護士は、国・企業は、当時の専門家の意見に耳を傾けず、フィブリノゲン製剤の有用性判断を誤り、流通させ続け、それにより本件被害が生じたと指摘して、陳述を終えました。

続いて、伊藤律子弁護士が、フィブリノゲン製剤の危険性について、次のような意見陳述をしました。

フィブリノゲン製剤によるC型肝炎感染者は、1980年以降だけで、少なく見積もっても1万人を超えます。1980年以前はデータがなく、感染者がどれほどに上るのか、その全貌は明らかではありません。他方、血液製剤による肝炎感染の危険性は、国内外で広く指摘されていました。しかし、国と企業は、国内の肝炎感染報告例が少なかったなどとして、肝炎感染の危険性は低かったと主張しています。このギャップは、被告らがきちんとした調査を行なわなかったからです。

C型肝炎は自覚症状に乏しいため、長期間にわたる経過観察、追跡調査が必要です。しかし、フィブリノゲン製剤については、追跡調査は一切なされませんでした。ずさんな調査しかせず、「肝炎発生は見られない」からといって、フィブリノゲン製剤による肝炎感染がないとか、危険性が低いとはいえないはずです。

製造承認後、高い確率での肝炎発生報告がなされたにも関わらず、国・企業は追跡調査を行いませんでした。被告らは、製剤のビンに「血清肝炎調査表」とするはがきを同封して、医師からの自発的な返信を待つという調査をしたといいますが、C型肝炎は自覚症状に乏しいため、患者の大半は感染に気づきませんし、医師の自発報告を待つ方法では有害作用の収集が十分に収集されないことは、以前から指摘されていたところです。

そして、1987年に青森で、8例中7例に肝炎が発生したとの報告を受け、調査を行ったところ、数多くの肝炎発生例が見つかりました。「当時の報告例が少なかった」というのは、被告らが調査を怠った結果に過ぎないことが明らかになったのです。

伊藤弁護士は、最後に、「被告らが、行なうべき調査を怠り続けながら、それを逆手にとり、“肝炎発生報告が少なかったから、フィブリノゲン製剤の肝炎発生の危険性は低かった”と主張するのは、本末転倒です。“自発報告例が少なければ危険性は低い”という主張は、日本の繰り返される薬害の原因を象徴するものであり、薬害根絶のためには、こうした主張は許されません。裁判所におかれては、本件フィブリノゲン製剤の危険性につき、後世妥当な判断をしていただきたい」と述べ、陳述を終えました。

続いて、須嵜由紀弁護士が、フィブリノゲン製剤の有効性について意見陳述をしました。

本件訴訟において、国は、現在でもなおフィブリノゲン製剤は後天性疾患に対して有効であると主張していますが、1987年に国自身が、後天性疾患にフィブリノゲン製剤は有効ではないと確認していますし、被告企業の前身である旧ミドリ十字も認めています。この矛盾について、国は合理的な説明をしていません。国側の証人も、フィブリノゲンの有効性について立証できませんでした。須嵜弁護士は、被告国のこのような訴訟態度を厳しく批判し、国の法的責任を厳しく追及しました。

次に意見陳述を行ったのは、原告17番の方(以下、Bさん)です。

Bさんは、1987年に第二子を出産した際、フィブリノゲンを投与されました。その後、意識が途絶えがちになり、強烈な悪寒を覚えたそうです。そして転院先の病院で、ウィルス性肝炎の疑いがあることを告げられました。

2002年の夏、Bさんはテレビで、1980年頃の産婦人患者に、C型肝炎ウィルスに汚染された血液製剤フィブリノゲンが投与され、多くのC型肝炎患者を発生させたというニュースやドキュメンタリーを見て、自分の状況が似ていることから、当時入院していた病院に問い合わせたところ、フィブリノゲンの投与を受けていたことが明らかになりました。このとき、Bさんは、全身から力が抜け、手が冷たくなっていくのを感じました。Bさんは、病気のため死産してしまった子に対するすまないという想い、今までの病気の辛さ、治療にかけた時間、家族にかけた精神的・肉体的・経済的苦労を思い、心の底から怒りがわきあがってきたと言います。

Bさんは、1992年以来、3回にわたってインターフェロン治療を受けましたが、ウィルスを排除するには至りませんでした。期待が大きかっただけに、失望も大きいものでした。しかも、3回目のインターフェロン治療の途中で、副作用のため甲状腺機能が低下し、橋本病と診断されました。これは治らないだけでなく、リンパがんになる可能性もある病気だそうです。さらに、口内炎ができ、目が乾燥する症状も現れ、シェーングレン症候群と診断されました。C型肝炎の患者に現れやすい病気で、これも完治しないそうです。Bさんは、病気がどこまで広がるのか、不安でならないといいます。

そしてBさんはこう訴えました。「この19年間の、私の通院日数は延べ2000日を超えています。フィブリノゲンさえ投与されていなかったら、普通の人のように、働いたり、運動したり、家族と旅行したりできたでしょう。私に、このような日々を、返してください」。

Bさんが提訴を決心し、初めて裁判所の門をくぐった時、心は震えていたそうです。しかし、応援してくれる家族、今までの大きな負担、病気の苦しみ、これからも続くであろう社会の偏見、高額な医療費、それらを変えていかなければという想いが後を押してくれたと言います。そしてその日、他の原告の方や弁護団、支援者の前で、自分の病気のことを話すことができました。病気のことで泣いたことは今まで一度もなかったそうですが、話していくうちに、どんどん涙があふれ出て、自分でも驚き、自分の心がいかに我慢を強いられ、傷つき、閉ざされていたのかを感じたそうです。

Bさんは、最後に、「この裁判で、同じ苦しみを持つすべての肝炎患者が、何の心配もなく治療を受け、残りの人生を幸せに過ごせるよう、公正な裁判を強く要請いたします」と述べて、意見陳述を終えました。

続いて原告11番の方(以下、Dさん)が意見陳述をしました。

Dさんは生後すぐにクリスマシンの投与を受けました。そして約20年後、大学の新入生の健康診断で肝機能の異常を指摘され、C型肝炎の感染を知りました。気持ち悪くて自分の血を取り替えたいという衝動、自分は死ぬ病気に、しかも人に感染する病気にかかっているという絶望感を覚えたといいます。1年間の浪人生活を経て、希望の大学に入学し、多くの友だちを作ろうと、率先して人の輪に飛び込んでいた矢先の出来事でした。

C型肝炎の感染を知って以来、友人を避ける生活に変わりました。授業は教室の隅で受け、昼休みは下宿に戻り、途中で買ったコンビニ弁当を食べ、再び大学へ戻るという生活の繰り返しでした。当時の記憶は、大学の教室と下宿の部屋しかないそうです。

C型肝炎の感染を知ってから2ヵ月後、Dさんは薬害根絶デーのイベントで、クリスマシンによりC型肝炎に感染したことを訴えました。薬害エイズ事件で、国やミドリ十字は、クリスマシンによるHIV感染の被害者に対して責任を認め、謝罪し、救済策に乗り出しました。しかし、同じ血液製剤でC型肝炎に感染した被害者に対しては何もしませんでした。それで、国やミドリ十字の責任を明らかにしたい、なぜ自分がC型肝炎に感染しなければならなかったのかを知りたいという想いでイベントに参加し、その想いを受取った弁護士の協力を得て、裁判を始めました。

当初、Dさんは、自分へのクリスマシンの投与が手術のために必要なものだと思っていました。しかし、カルテを見ると、手術とは直接関係しない少量の出血に対して投与されており、必要なものだとはいえないことを知りました。にもかかわらず、被告は、Dさんの病気とは関係のない病名を挙げて、クリスマシンの効果を強調しました。しかし、Dさんの病気に対して効果があったのかどうか、あるいは投与の必要があったのかどうかについては、何も触れるところはありませんでした。

Dさんは、被告側の席を見つめて、こう訴えました。「国や製薬会社のみなさん、もっと被害者を見てください。目の前にいる被害者一人ひとりに、血液製剤が使われる必要があったのか、どうして使われたのか、そしてそれによってどのような被害が生じたのか、真剣に見てください。それでも、あなたたちに落ち度がないと言い切れますか」、と。

そしてDさんは、裁判所に対して、「自分にとって使われる必要のなかったクスリ、それも肝炎感染の危険が広く知られていたクスリ。そのクスリで私はC型肝炎に感染し、今もなお被害を受け続けています。私の母親も、いまだに健康な子どもに生まなかった自らを責め続けています。私や家族に何の落ち度があったのでしょうか。国や製薬会社に責任が認められないということは、到底納得できません。このような薬害を繰り返させないためにも、判決で、国と製薬会社の責任がはっきりと認められることが必要です。裁判長、そして裁判官のみなさん。私たち被害者と、国・製薬会社、どちらに正義があるかは明らかです。私は、正義を実現する判決を求めます」と述べて、意見陳述を終えました。

続いて、田中淳哉弁護士が、クリスマシンの有効性について、意見陳述をしました。

田中弁護士は、被告らが第IX因子製剤の必要性を主張するのは、きわめて限定的な場面に限られているにもかかわらず、実際には、被告ですら必要性を主張できない場面でも多く私用されていることを指摘しました。その原因について、被告らが第IX因子製剤の危険性をきちんと告知しなかったことであるとしました。また、第IX因子製剤が、ウィルスに汚染された、危険性の高い製剤であったことが、C型肝炎被害の最大要因となったことも指摘しました。

そして田中弁護士は、被告らがこうした危険性を認識していたこと、にもかかわらず、利潤追求のために被害を拡大させたことを厳しく批判し、被告らの責任を厳しく追及しました。

続いて、原告19番の平井要さんが意見陳述しました。平井さんは、この日の陳述において、初めて実名を公表しました。また、東京では初めての実名公表です。

平井さんは1982年、32歳の時、小脳出血により緊急入院しました。手術は成功しましたが、止血剤としてクリスマシンを投与され、C型肝炎に感染しました。手術から2週間ほどした頃から身体がだるくなり、食欲もなくなりました。長男が生まれた年でもあり、妻が子どもの写真をベッドに持ってきてくれました。友人、家族の激励を受けましたが、身体は動きませんでした。そしてその後、慢性肝炎という診断を受けました。

当時の体調の苦しさを思えば、今は多少の疲労感は我慢できますが、それでも、「なぜ」という疑問が消えません。感染させられた肝炎で、なぜ自分が我慢しなければならないのか。なぜ週3回の強ミノ注射、毎月の採血、検診、毎年のCTスキャン、3年ごとの胃カメラを耐えなければならないのか…怒りを覚える、家族への負担の重さも、相当なものである、と平井さんは語りました。さらに、平井さんは、現在、肝硬変になっているそうです。

最後に平井さんは、「将来への展望、不安感の除去などは、製薬会社・国がやらなければならない当然の義務ではないでしょうか。フィブリノゲン、クリスマシンによる肝炎患者への救済は急務です。肝炎の方で原告になれない方も数多くおられます。そのためにも私たちは負けるわけにはいきません。国と製薬会社には、罪を認め、きっちりと謝罪してほしいと願っています」と述べ、意見陳述を終えました。

次回も、C型肝炎東京訴訟の結審の様子を引き続きレポートします。


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