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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

在日コリアンをめぐる訴訟(1)枝川ウリハッキョ訴訟1

T.O.記

 枝川訴訟とは、東京都江東区枝川にある東京朝鮮第二初級学校(日本の小学校に相当)に対し、その校舎の一部を取り壊して、都有地である校地の一部約4000平方メートルを返還することと、1990年4月1日以降の使用相当損害金として約4億円の支払いを求めて、東京都が提訴した裁判です。今回は、この裁判について解説したいと思います。

 そもそも、なぜ枝川に朝鮮学校があるのでしょうか。これには歴史的な理由があります。第二次世界大戦中、日本の植民地とされた朝鮮半島からは、土地を奪われた人たちが生きる糧を求めて日本へやってきました。そしてその一部の人たちは、深川区(現在の江東区の一部)の塩崎・浜園に朝鮮人集落を形成し、そこに居住していました。

 1936年、IOC総会において、東京オリンピックを1940年に開催することが決定され、その会場の一部として塩崎などが指定されました。これを機に、当時の東京市は、埋め立てを終えたばかりの、陸の孤島ともいうべき枝川地区に朝鮮人を移すことを計画しました。東京オリンピックは、日中戦争の激化により中止になりましたが、移住計画は継続されました。そして1941年7月、ゴミ焼却場と消毒場しかない荒れ地に230戸の簡易住宅を建て、1000人以上の朝鮮人を強制移住させたのです。
 
 戦後、日本の各地に居住していた朝鮮人たちは、戦時中に奪われた民族の言葉や文化を取り戻すべく、「国語講習所」という名称の学校を設立し、民族教育を開始しました。枝川に居住することになった朝鮮人たちも、1946年1月に、同様の学校を設立しました。当時は、戦前に朝鮮人に対する同化教育の場として用いられた「隣保館」を無償で借り受けていました。1960年以降、学校側は、その校地を有償で借り受けてきました。
 
 1971年、学校側は、当時の都知事・美濃部亮吉氏に対し、歴史的経緯や学校財政の困難さを訴えて、校地使用料について無期限無償とするよう要望書を提出しました。都はこれを受け、1972年に、1970年に遡って、そこから20年間、校地を無償で貸し付けるという契約を締結しました。そして、1990年3月で契約が切れたため、学校と都は、土地の使用について、何度も協議を繰り返してきました。
 
 1995年の阪神大震災を受け、都は、住宅密集地の問題を解決すべく、枝川地区の住宅地の整備・払下げの交渉を開始します。そのなかで、校地についても、協議が継続されてきました。2000年には、住宅地の払下げ交渉がほぼ終了し、2001年から校地の契約交渉が再開され、2003年7月まで交渉が行われてきました。その過程において、学校側は、他の住宅地と同じか、もしくは、より安い価格で払い下げられるだろうという期待を抱くに至っていました。
 
 ところが、2003年8月に、住民監査請求がなされ、朝鮮学校が校地を無権原に占有しているという結論を監査委員が示して以降、都の態度は一変しました。そして都は、2003年12月15日、校地の返還と、1990年以降の使用料の支払を求めて、裁判所に提訴しました。
 
 都は、契約期間が終了したことをもって、土地の返還と、使用料の支払いを請求しています。これに対して、学校側は、@1972年に結ばれた契約は、朝鮮学校を支援する目的の特別な朝鮮学校用地無償貸付契約であって、20年という期間は例示にすぎず、現在も学校が存続していることから契約は継続している、A仮に@のような非典型契約でなく使用貸借契約であるとしても、目的は朝鮮学校の校地だから、やはり、20年という期間は例示にすぎず、現在も学校が存続していることから契約は継続している、B都の請求は、両者の間でこれまでに形成された信頼関係を一方的に破壊するものであり、信義則違反、権利の濫用にあたると主張して、校地の使用の正当性を主張しています。
 
 次回は、裁判の具体的な様子について、報告したいと思います。

 
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