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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

大江健三郎・岩波書店沖縄戦「集団自決」訴訟
〜大江健三郎・岩波書店沖縄戦「集団自決」訴訟第1審判決を前に〜

Y.M.記

 2007年3月30日、文部科学省は、高校用歴史教科書の中の「沖縄戦における住民集団自決」をめぐる記述から、それが「軍の強制」によって行われたとする部分を削除するという検定結果を発表しました。これに対しては、同年9月29日に、沖縄で11万人反対集会が開かれるなど、歴史の歪曲を許さないという市民の怒りが巻き起こり、検定結果の撤回を求める取り組みが現在もなお粘り強く続いているところです。
 ところで、この検定結果とそれに対する反対運動の昂揚の中でにわかに注目を集めるようになったのが、沖縄戦当時に集団自決があった座間味島で守備隊長(最高指揮官)を務めていた梅澤裕氏と、同じく集団自決があった渡嘉敷島で守備隊長を務めていた故・赤松嘉次氏の遺族が、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などの内容をめぐり、著者の大江氏と発行元である岩波書店を相手取って起こしていた裁判でした。原告らは、その著書の中で、自分らは集団自決の命令を出していないのにそれを行ったかのように書かれ、名誉を傷つけられたと主張しています。
 この裁判は2005年8月5日に大阪地裁に提訴された後、同年10月28日から2007年11月9日にかけて11回の口頭弁論が行われてきましたが、12月21日には結審し、あとは今年3月に予定されている判決を待つだけとなっています。
 一体この裁判の真の狙いとはなにか。またその背景にあるものとはなにか。そして先の教科書検定との間になんらかのつながりはあるのか。この裁判の一当事者でもある岩波書店の編集局副部長で『世界』編集長・岡本厚さんにお話を伺いました。


―――2005年8月5日に、梅澤氏と故・赤松氏の弟・秀一氏が、前触れもなく突然、『沖縄ノート』を著した大江氏と発行元の岩波書店を提訴したということですが、そのときの感想、それからその後分かってきたことなどをお聞かせ下さい。

岡本さん:実は、必ずしも突然ということではなかったのです。2005年7月下旬に、産経新聞紙上に〈大江氏、岩波書店を提訴〉といった見出しの記事が出て、一体なんのことだろう、と思ったのが最初だったんですね。8月には提訴したと報じられたのですが、いつまで経っても肝心の訴状が届かない。そうこうしているうちに原告団を支援するというHPが立ち上がり、そこに訴状の内容も掲載されているという奇妙な裁判の始まり方でした。実際に訴状が届いたのは9月になってからのことでした。
 とにかく、とまどいを覚えたというのが当初の正直な感想です。というのも、このとき原告団が名誉を傷つけられたと名指しした岩波書店の書籍(当初3点)は、出版された時期が1960年代のものであり、大江さんの『沖縄ノート』が出版されたのも1970年のことです。それが2005年の今頃になってなぜ訴えられたのか、という疑問がまずありました。それから、一般に出版物に対する名誉毀損での訴えというものは、抗議があったり訂正の申し入れがあったりして、交渉がまとまらずに起こされるケースが多い。ところが今回は岩波にも大江さんにも、出版後35年間、何の抗議も訂正要請もありませんでした。これらの事実からしても、今回の裁判は何らかの政治的な意図の下に起こされたのではないか、という思いが最初から強くあったわけです。
 そして、これは後から分かってきたことですが、裁判に先立つ2005年5月に、藤岡信勝氏などの自由主義史観研究会のグループが、渡嘉敷島や座間味島などを3日間現地調査し、集団自決への「軍命」はなかったとの確証を得たという。なぜわずか3日ほどの調査でそのような確証が得られたのかは分かりませんが、いずれにせよ、彼らはそれを元に翌6月には東京で「沖縄プロジェクト」なるものを発足させ、あらゆる方面に働きかけて集団自決に「軍命」があったとしているすべての出版物から「軍命」の記述を削除させるという方針を打ち出したそうです。これは沖縄の新聞に報じられていたのを後で見て、なるほどこの動きが、裁判の準備段階だったんだな、ということが分かってきました。
 それからもうひとつ、原告団の弁護人の一人が『正論』という雑誌の2006年9月号で、高齢などを理由に裁判に消極的だった梅澤さんや故・赤松さんの弟さんを説得して訴訟に踏み切らせたという提訴までの経緯を書いています。それで、どうやらある特定の考え方をもつ周囲の人間が原告を動かして起こした裁判だったということも分かってきました。
 これらの事実によっても、この裁判が政治的な背景の下に起こされたものであることは、間違いないように思われます。

―――今回の訴訟では、原告に対する名誉への侵害あるいは故人に対する「敬愛追慕の情」侵害が争われていますが、その理由というのが、いうまでもなく大江氏の『沖縄ノート』における記述だということになっています。つまり、住民に対する集団自決命令を出していないのにもかかわらず、『沖縄ノート』ではそのように描かれている、と。このような原告側の主張に対して、被告側としてはどのようにお考えなのか、改めてお聞かせ下さい。

岡本さん:まずはじめにはっきりさせておかなければならないのは、読んでいただければ一目瞭然ですが、『沖縄ノート』では原告の名前を出している箇所はひとつもないんです。あえていえば、「沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」というような表現は出てきますが、これはもちろん原告の元隊長や故人となった元隊長を特定し、個人としての彼らを糾弾するために書かれたものではありません。
 住民の「集団自決」は、本土が生き延びるために沖縄の住民を犠牲にするという近代以来の構造の中で引き起こされた、というのが『沖縄ノート』が一貫して主張していることです。当時の軍―沖縄守備軍(第32軍)−慶良間列島の守備隊という軍の縦の命令系統の中で、軍官民共生共死方針が貫かれた結果、それは強制されたのであって、隊長個人の性格や資質などと関係はなかった、従って『沖縄ノート』に書かれたのは隊長個人の糾弾ではなく、自己批判を含めた本土(日本)批判なのです。もちろん、隊長は当時の島の最高責任者であり、住民のおびただしい死には責任がある、としてはいるのですが。
 原告はそれぞれ名誉を傷つけられた、あるいは故人への「敬愛追慕の情」が傷つけられたと主張しているわけですが、これに関しては、昨年11月9日の口頭弁論で梅澤元隊長は、「『沖縄ノート』を読んだのは去年(2006年)である」と答えています。つまり、提訴の段階では読んでいなかったのですね。被告側弁護士が『沖縄ノート』のどこがあなたの名誉を傷つけているのか、と質問しても、「よく分からない」と答えた。それから、同じ口頭弁論で赤松さんの弟さんも、「『沖縄ノート』を読んでみたけれど難しくてよく理解できなかった」と述べています。これらのことからしても、果たして名誉毀損が成り立つのか、率直にいって私は疑問であると考えます。
 その上で私たちの立場をいうと、「隊長命令はあった」と考えております。
 これについては、まず第1に、1950年に沖縄タイムスが出した『鉄の暴風』を始めとして、かなり早い段階から隊長命令によって集団自決が行われたことを示す数々の文献が出ています。また、とりわけ2007年3月に集団自決から軍の命令の記述を削除する教科書検定結果が出て以降、軍による命令があったとする生存者の新しい証言が次々と出てくるようになってきています。
 それから第2に、日本軍の方針として、つまり沖縄に展開していた第32軍の方針として、日頃からすでに「軍官民共生共死」という玉砕方針を住民に対して徹底的に教え込んでいた事実があります。つまり、住民も戦闘ができる青壮年男子は防衛隊として動員し軍に組み込み、女性や老人にも陣地構築や食事準備、道案内などを担わせていた。そして、捕虜になることを決して許さず、捕虜になれば酷い目に遭うから自決せよ、と戦場になる前から住民に徹底的にすり込んでいたわけです。しかも、あらかじめ自決のための手榴弾まで渡してあります。ということは、軍としての命令はすでに出されていたと考えられるわけです。そして慶良間列島のそれぞれの島の責任者は隊長です。実際に、弁論の中で梅澤さんも、自分が座間味島での当時の最高指揮官であり、自分の許可なく手榴弾が住民に渡されることはない、と認めています。集団自決に向かう住民に対して、「自決(玉砕)は止めなさい」と止めたのでない限り(実際そういう場はあったはずです)、軍の強制・誘導・指示による集団自決が起きることは当然だったのです。
 従って、以上のことから、私たちとしては住民の集団自決に際し「軍命令、隊長命令はあった」と考えています。

―――2007年3月30日、第8回口頭弁論同日に、文科省は、高校用歴史教科書の集団自決に関する記述から「軍の強制」を削除する検定結果を出しました。その検定理由として、「本件が係争中であること」を挙げ、そして、なによりも参考資料となる「著作物一覧」の中に、「沖縄集団自決冤罪訴訟」という原告側のみが用いている呼称でもって本件を挙げておりました。また最近では、今年の1月13日に、防衛研究所が沖縄戦集団自決に関する所蔵資料について、「戦隊長の命令はなかった」と断定する見解を付していたことが判明して、削除することになったなどと報道されています。このような国やその機関の動きや狙いについて、裁判の一当事者としてはどのようにお考えになりますか。

岡本さん:検定が行われた時点で、係争中の事件を理由として、公的な教科書の記述変更に結びつけるのは、非常に問題であると思いました。また、ここで「沖縄集団自決冤罪訴訟」という原告側だけが使う呼称を使っていることからしても、教科書検定の公正性に疑問を感じさせます。裁判の一方の当事者である岩波書店、大江健三郎、弁護団は、連名で文部科学大臣宛の抗議文を、検定結果が出た直後の4月4日に提出しました。
 このような唐突な記述修正の背後には、当時の安倍政権の意向があったのではないかと私は疑っています。今回の教科書検定の根拠となった「著作物一覧」(文科省が記者クラブに配布)をみると、一番新しい文献は2002年に出版されたものです。つまり、前回の教科書検定でも間に合ったわけです。ところが、前回のときには、今回のような議論はまったく起きていない。この点を考えただけでも、今回の記述修正には、政治的な思惑があるとしか考えられません。いずれにせよ、検定結果が出た瞬間に、原告側はこの裁判を起こした意味があったと喜んだわけです。
 ただ、原告側にとって誤算だったのは、この検定結果によって保守も含む幅広い層の沖縄県民の怒りに火をつけてしまったということです。それまでは悲惨な自らの体験をできれば語りたくないと黙していた人たちも、この検定結果が出てから、「こんなことを許してはいけない」と次々と証言を始めたのです。
 検定結果が明らかになったために、本来であれば、名誉毀損をめぐる単なる一民事訴訟に過ぎなかったこの裁判が、いわば公的な意味合いをもつものとなったと思います。その結果、私は『世界』誌上においてこの問題について特集を組んだり、臨時増刊を出したりすることになりました。この裁判が歴史修正主義者たちが起こしている様々な政治運動や裁判の流れの延長線上にあるという認識も、徐々に理解されてきているのではないかと考えております。

―――最後に、2007年12月26日に文科省が先の検定意見を撤回せず、「軍の関与」という曖昧な表現に置き換えるなど、沖縄戦の歴史を矮小化するような強い動きが依然としてみられる一方、2007年9月29日の11万人集会を始めとして、再三の検定撤回を求める幅広い層の着実な取り組みがなされている実状があります。そうした中で、この裁判の行方というのは極めて大きい意味をもつと思われますが、それを踏まえた上で今後の取り組みなどについてもお聞かせ下さい。

岡本さん:今回の裁判はどちらが勝っても負けても、たぶん最高裁まで続くことになるでしょう。
 この裁判において問われているのは、「隊長命令」があったかどうかという点に尽きるわけではありません。原告側の支援者が主張しているのは、住民は軍と一体となり、殉国の清らかな心で死んでいったということです。つまり、これからも日本人は軍と協力し、いざとなれば軍とともに闘い、足手まといにならぬように死んでいけ、ということです。沖縄の住民の中に、沖縄戦の教訓として60年余語り伝えられている、軍は住民を守らなかった、避難している壕から弾雨の中に住民を追い出し、食料を奪い、子どもを殺し、方言を使う人々をスパイとして処刑したという事実を、殉国美談に代えたいのです。そこでは、戦後社会が否定してきた軍の存在や名誉を認知させ、正当化しようという思想が明らかに働いている。問われているのは、沖縄のある島の過去の出来事ではなく、沖縄を含む日本社会全体の現在と未来です。
 ぜひその点に注目して判決を見ていただきたいと考えています。


 岡本さんにはこの他にも貴重なお話を伺ったのですが、スペースの関係でそのすべてを収録することはできませんでした。いずれにしても、岡本さんが強調されていたように、この裁判は戦後における歴史観を問う裁判であり、また昨今台頭しつつある歴史修正主義的な自由主義史観などに対抗する場という位置づけになるでしょう。お話を伺った日は雪の降る寒い1日でしたが、岡本さんの語り口からは、歴史の歪曲を絶対に許さないという熱い思いが伝わってきました。
 注目の判決は、大阪地裁で3月28日に出される予定です。

 

 
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