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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

『学校に言論の自由を』裁判(11)

2011年5月16日

以下、「土肥元校長の裁判を支援する会」のご了解を得て、そのブログに掲載された情報を転載します。(法学館憲法研究所事務局)

第11回口頭弁論(4/7) 本人尋問を終わって

「嘘」が「嘘」を証明した。

 3月17日、東京地方裁判所527法廷で第9回目の裁判(口頭弁論)が行われました。
 被告(東京都教育委員会)側の証人として加藤学務部課長(当時)が「米長氏を原告(土肥)が批判したという情報は、1回目の指導と2回目の指導の間に入手した」と発言した時、私は「ふざけるな。1回目から米長氏の件で指導を受けたぞ。そんな嘘をつくな」と心の中で叫びました。

 私は現職中に様々な言論弾圧を都教委(東京都教育委員会)から受け、最終的には非常勤教員不合格という報復措置を受けました。現職中に何度も都教委に対して「言論の自由」の問題で公開討論を申し込みましたが、全て断られたため、裁判という公の場で公開討論を行いたいと思い、都教委を提訴したのです。

 (現職中の私に対する言論弾圧と裁判の内容につきましては、「それは、密告からはじまった」(七つ森書館)に詳しく書いてありますので是非お読み下さい)

 裁判の中で最も許せなかったのが、当時教育委員であった米長氏を私が批判したことを都教委に密告され、指導された内容が、私の主張と都教委の主張が全く違っていたことでした。

 密告により、指導されたのは3回(2006年10月6日、23日、25日)で、25日には米長氏が三鷹高校に視察に来ることを告げられたのです。
 一方、都教委は、指導したのは2回(10月6日、24日)で、米長氏が三鷹高校に視察に行くという指導はしていないと主張したのです。しかも都教委は24日(本来23日)の日付を書いた指導内容を記録したメモを、都教委側の証拠として提出していたのです。恐らく米長氏の三鷹高校視察の件は、全くなかったことにしたかったのだと思います。
 私にとって米長氏の三鷹高校視察の件は、私の言論を封じるための脅迫そのものであると感じましたし、このことが都教委の横暴を社会に訴えようと私が決意した原因だったのです。(理由はわかりませんが、米長氏は結局三鷹高校へは来ませんでした)
 米長氏を批判したのは理由がありました。皆さんもご存じだと思いますが、2004年10月、天皇の園遊会に呼ばれた米長氏は、天皇にお褒めの言葉をもらおうと思い、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と話しかけたところ、逆に天皇に「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と諌められました。自分の尊敬する人から諌められたら、「申し訳ありません。今後は強制しないようにしていきます」と答えるのが当たり前です。しかし都教委の国旗・国歌の指導は、それ以後も天皇の意思に反して、ますます強制の度合いを強めていったのです。だからこそ私は米長氏を批判したのであり、それが密告されたのです。
 
 そして1回目(10月6日)の時から、米長さんを批判したことを都教委から強く指導(私への言論弾圧)されたのです。そのことは私の手帳にも明記されています。だからこそ加藤氏が発言した時、嘘をつくなと心の中で叫んだのです。
 この加藤氏の嘘は絶対に許せませんでした。この思いが、ジャーナリストの池添徳明氏を思い出させたのです。池添氏は、私が三鷹高校に赴任した2005年4月から私を取材していたのです。もしかすると池添氏に密告の件を話しているかもしれないと思い、すぐに連絡をしました。すると、池添氏の取材ノートに、私の主張とまったく一致する記録が残っていました。
「10月23日(2回目)、土肥氏が都教委に指導を受けた帰りに横浜の喫茶店で待ち合わせ、10月6日と23日の指導の内容について取材した。1回目も2回目も米長氏の件は指導された。25日(3回目)には午後8時頃土肥氏から電話があり、米長氏が近々三鷹高校に視察に来ることを告げられた」。
都教委の主張がすべて捏造されたことが明らかになったのです。

 第11回口頭弁論(4月7日)での私への主尋問で、池添氏の取材ノートに記録されていた事実を述べ、都教委の事実の捏造を明らかにしました。また、24日の日付の書いてある指導メモは、都教委が日付を捏造した文書であり、まさに公文書偽造の罪に問われるのではないかと思いました。加藤氏の「嘘」がなければ池添氏を思い出すことはなく、まさしく加藤氏の「嘘」が、都教委の「嘘」を証明してくれたのです。

 今回の裁判は、事実に基づいてお互いの主張をぶつけ合い、どちらが正しいかを判断してもらおうと思っていました。しかし都教委はその事実さえ捏造したのです。
都教委の行為は絶対に許されるものではないと思うとともに、これが私の提訴し、裁判の場で正々堂々と論争しようと思っていた都教委かと思うと情けなくなりました。

土肥 信雄

***************************************

4月7日 土肥先生本人尋問報告   13時30分から、東京地裁527法廷にて

1. 高橋弁護士の質問に答えての、土肥先生の主尋問での主張の内容

・平成18年10月の密告をきっかけとした指導について

—密告の内容について
土肥先生: 校長会のあとの校長との飲み会の席で米長氏を批判したこと、難波判決を評価したこと、定時制の副校長に対して、退勤時間を大目に見てやるように指示したということ、組合とつながっていること、の4点だった。米長氏批判は、勤務時間外の飲み会の席のことであり、難波判決を評価したのは、判決が出た日の午後であった。そこにいたのは、教員3名位と、定時制の副校長1名であった。また、定時制の教員の退勤時間を大目に見てやるように、副校長に言ったことはない。組合とつながっている、ということについては、小川高校に勤務時代の同僚の教員が、組合執行部の人であったが、情報を流すといったことはしていない。
—密告した人に、心あたりは。
土肥先生:あります。小田副校長だと思う。校長試験に受かりたい、という動機から情報を都教委に売ったのだとおもう。
—投書、密告について、指導の際、どこに伝わっていると聞いたのか。
土肥先生:都議会、教育委員会のほうにまわっているといわれた。
—都教委が2回目の指導をしたと主張している10月24日について
土肥先生:その日は、三鷹高校のPTAの三大行事(総会、研修会、文化事業)のひとつである、文化事業にあたるコンサートと茶話会が開催された日であり、日程が決まった段階で、スケジュールをあけておいた。PTAの三大行事には、在任中すべて参加しており、それは、保護者との良好な関係を築くことで、私の教育理念を理解してもらうことができ、私の学校経営がやりやすくなると考えたためであった。
—土肥先生が、2回目の指導を受けたとしている10月23日について。
土肥先生:当時都庁にあった中部学校経営センターに書類を提出する所用があり、それを提出したあと、高野指導部長に電話で呼ばれていたため、指導部に行き、指導を受けた。
—それについて、誰かに話をしたことは。
土肥先生:その日、ジャーナリストで関東学院大学非常勤講師の池添徳明氏と会った。彼の取材ノートにも、指導を受けた日は10月6日、10月23日と書いてあるとのことであった。取材ノートによれば、平成18年10月23日午後7時半より横浜ルミネ1階の喫茶店で会っている。
—平成18年10月の指導について都教委が作成した書類の内容について、抜けていることはあるか。
土肥先生:あります。米長氏を批判したことについての指導、またそれについて私が説明した内容も、いっさい書かれていない。
—この書類をはじめて見たのは。
土肥先生:裁判が始まって、証拠として出されたとき。
—ジャーナリストの池添氏の取材ノートの内容は。
土肥先生:密告で指導されたのは、米長氏批判、難波判決のこと、組合とのつながり、定時制の退勤の件の4つと記録されており、自分の記憶とまったく一致している。
—2回目の指導の内容について都側の書類に欠落はあるか。
土肥先生:米長さんが学校に行くかもしれない、と言われたが、そのことが抜けている。私は三鷹高校に来て下さいと答えた。教育実践については自信があったので、それならば私の教育実践を見ていただきたいと思った。
—米長さんの件は、指導の中で出た話なのか、指導が終わってから出た話なのか。
土肥先生:指導の最中。
—平成18年10月25日の指導について
土肥先生:その日は、全日制の職員会議があったので、これに出席し、そのあとで出発した。
—この日の出張について旅行命令簿に記入していないのはなぜか。
土肥先生:これまでの例から、時間外に出発する出張命令の場合は、旅行命令簿には記入しないものと認識していた。
—3回目の指導は、10月25日に決まっていたのか。
土肥先生:突然のもの。高野指導課長から呼び出された。時間は、6時15分からだった。
—ジャーナリストのノートではどうなっているのか。
土肥先生:ジャーナリストの池添氏の記録にも、10月25日午後8時ごろ、私から電話があり、その日に米長さんが三鷹高校へ行くと伝えられたことが記されているとのこと。

・業績評価について
—CD評価が20パーセント以下だと受取らない、という強い指導があったというが、「受取らない」と本当に言われていたのか。
土肥先生:都教委は、校長会では必ず「CD評価が20パーセント以下では受取らない」といっていた。
—2回目の提出は受け取るといったことは、言っていたのか。
土肥先生:そうしたことは、言っていない。
—校長会以外の他の場所でそのように言われたことは。
土肥先生:評価者訓練でも言われた。また、神楽坂で行われた管理職ヒアリング(校長ヒアリング)で金田管理主事からも、人事部長からの伝言ということで、CDを20パーセント以上つけてくださいと言われた。こうした指導は、校長全員に対してあったと思われる。
—平成19年度の業績評価の提出について
土肥先生:中部学校経営センターの小山氏から、A、C評価についてその評価の理由を質問され、それに対して個別に説明した。再質問はなかった。
—小山証人の陳述書のなかで言われている、土肥先生の「私は順番で昇給推薦をすることにしている」といった発言については。
土肥先生:そのような発言はしていない。
—順番に昇給推薦を行っていたという事実はあったのか。
土肥先生:ありません。
—同一の教員を昇給推薦した例を挙げてください。
土肥先生:前年度、前任の校長が昇給推薦していた英語教師について、連続して昇給推薦を行った。
—教員の順位はつけていたのか。
土肥先生:平成18年度の改正のあと、つけていた。業績評価一覧表の中に、順位を記入するところがあったからである。
—平成18年度の改正について
土肥先生:それまでは、SABCDの5段階評価であったのが、ABCDの4段階評価となり、新しいCは実施要領によれば、「あと一歩」という評価。
—副校長の意見を聞かなかったと書かれているが。
土肥先生:副校長の意見は聞いていた。
—職員団体の意見を聞いたことは?
土肥先生:ない。
—まちがいないか。
土肥先生:ない。
・ 卒業式における個別的職務命令について
土肥先生:全日制では個別的職務命令を出していたが、ある教員に渡したところ、翌日に私       のメールボックスへ返してきたということもあった。守屋氏とのやりとりについて、その守屋氏の陳述書(乙第67号証)3ページ3の1段落目は間違いない。三鷹高校では、校長の権限と責任において発出するものだから校長が判断した。守屋証人から三鷹高校の中で、定時制は信頼関係があるので包括的職務命令でいいということでは、個別的職務命令を出された全日制の教員は信頼されていないと思われるのではないか、という問いかけはあった。これに対しては、そんなことはない、と答えた。不起立に対しては、包括的職務命令だけで有効であると認識していた。
—平成19年度の三鷹定時制の個別的職務命令書の決裁について
土肥先生:定時制の小田副校長が、何回も執拗に決裁してくれというので、決裁したもの。実際には、名前のない職務命令書を手に持って読み上げた。命令書に個人名はまったく書かれていなかった。それを、口頭による包括的職務命令を出したということだと認識している。
—平成18年以前は、どのようにしていたのか。
土肥先生:「個別的職務命令書をお渡しします。」と言って、文書を一人ひとりに渡していた。
—守屋証人の証言の中で「教員名を校長が呼んで」職務命令を発出したというが、事実か
土肥先生:事実ではない。都側の主張にある、定時制の小田副校長との「名前を呼びましたよね」「そうかな」「呼びましたよ」。といったやりとりも、捏造。
—口頭による個別的職務命令もあるという説明は、あったのか。
土肥先生:なかった。個別=文書。包括的=口頭という認識だった。
—土肥先生から都教委担当者への「個別的職務命令を発出するのと、卒業式を適正に行うのとはどちらが重要なのですか」という質問は、1回だったか、複数回だったのか。
土肥先生:2回。1回目は2回目の指導をされた学校に来たとき、2回目は3回目の指導をされた中部学校支援センターで。
—卒業式のテレビ取材の件での指導については。
土肥先生:3回目の中部学校支援センターでの1回だけの指導。肖像権の問題があるので生徒全員と全保護者の了解が必要だとされた。全日制では不可能だったが、定時制については、全員の了解を取ってくれたのでカメラが入った。
・ 平成20年11月27日の非常勤教員採用面接について
—増田証人と面識はあったのか。
土肥先生:増田氏は、神津高校のときの、担当主事だったので、面識があった。
—応募の動機は。
土肥先生:子どものため、都立のため、あと5年間働きたいという気持ちで臨んだ。
—面接で「定時制での経験を生かし」て「教育相談をやりたい」、と言ったのは、管理職(小山台高校定時制教頭)としての経験を生かして、ということか。
土肥先生:定時制の教頭としての経験を生かして、ということ。小山台高校定時制の教頭時代、定時制に来る生徒が、教育相談を経て来ることが多いのを実感しており、教育相談に携わりたいと考えた。
—初任者研修に関して、増田氏の証言の通りの質問を受けたのか。
土肥先生:受けていない。
—(初任者が反論してきた場合にとうするかと聞かれて)初任者を「論破する」と言ったのか。
土肥先生:言っていない。捏造だと思う。
—桧山課長から、「教科指導をして下さい、といわれたらどうするか」、という質問はあったのか。
土肥先生:この質問はなかった。
—これに類する質問はあったか。
土肥先生:初任者の指導ができるか、という質問はあった。それに対して、中学高校の社会のみならず、数学、小学校全科、また、どのような教科にも共通の導入についての指導ができると答えた。
—チャレンジスクール等の話はしていないのか。
土肥先生:していない。
—中高一貫校についての質問に関して
土肥先生:中高一貫についての質問は、なかった。自分が発言したとされる内容は、事実と異なっている。事実を言うならば、三鷹高校に着任したときには、すでに中高一貫校となることは決定していた。前任者から併設型でといわれており、自分も最初は併設型でと考えていたが、すでに中高一貫を実施している岡山での状況を勘案して、途中から中等型へと考えを変えた。また、4月に着任した際に、中高一貫検討委員会の代表者が来て、情報を共有してほしいと強く要望されたということはあった。
・ 定時制通信制教育研究会の件
—発表者の年齢は、どうやって調べたのか。
土肥先生:指導体験発表会を一緒にやった一般教員の先生が、過去の冊子を調べて、その発表者の年齢も調べて送ってくれた。
・ 挙手採決の禁止について
—目新しい内容の通知だという認識だったのか。
土肥先生:そう認識していた。
—教職員には、話したのか。
土肥先生:話した。言論の自由がなくなるのではないか、という話しが出た。
・ 守秘義務について
—守秘義務をどのように認識していたか。
土肥先生:伝達される事項のうち、これはマル秘事項であると言われる事項にのみ、守秘義務が課せられると認識していた。業績評価についても、マル秘の部分については、これまで絶対に言わないようにしていた。
・ 文化祭の展示の問題 
—文化祭の展示の件で「検閲にあたるのではないか」と言われたときの小山氏の様子は。
土肥先生:びっくりした様子だった。とにかく注意してほしいということを繰り返していた。
・卒業式での都教育長からの祝辞について
—以前はどうだったのか
土肥先生:以前は職員が2名ずつ各校に派遣されてくるといったことはなかった。
・ 土肥先生の教育実践について
—みずからの教育実践について、最後にひとこと
土肥先生:存在感のある校長になりたいと思っていた。そして、生徒との信頼関係を、築きたかった。教員にも、それによって、信頼感を持ってもらえると考えていた。
事実は、一つだと思います。

2.土肥元校長に対する都側の反対尋問
・文化祭における展示物の問題
石津弁護士:あなたの陳述書によれば「平成17年11月、生徒の調べた文化祭の展示物について修正や撤去をさせるとすれば、それは検閲にあたるおそれがある」とあるが、それはどういうことか?
土肥元校長:生徒の作った展示物を事前に調べ、修正や撤去をさせることは憲法で禁ずる検閲行為にあたる。また憲法で保障された生徒の表現の自由に抵触するおそれがあるということ。 
石津弁護士:学校における表現の自由に関連して、生徒会誌への教員の寄稿を校長が削除させた事件の最高裁判決を知っているか?
土肥元校長:知らない。
石津弁護士:教員の検閲の事例等をあとで調べたか?
土肥元校長:調べていない。
石津弁護士:"学校に自由の風を"という市民団体のホームページに「通知が教員の言論の自由を奪っている」という趣旨のあなたの文章が載っていることは知っているか?
土肥元校長:知っている。
石津弁護士:知ったのは掲載前か、それとも掲載されたあとからか?
土肥元校長:掲載後に知った。
石津弁護士:それ以降も過去の判例にてらして、自分の発言が正しいかどうかということを調べたか?
土肥元校長:調べていない。
・密告問題
石津弁護士:今年あなたが出した「それは密告からはじまった」(七ツ森書店刊)の25頁に「正直なところ私自身も少し言い過ぎたかなと、反省の気持ちもありました。」とあるが、どういう点を反省するのか。
土肥元校長:自分は饒舌なので言い過ぎることがあると思っている。
石津弁護士:「日の丸・君が代裁判」の難波判決の評価について言い過ぎたと思うか?
土肥元校長:それはない。
石津弁護士:では上記の本で「言いすぎ」と書いたのはどういう点か?
土肥元校長:「私は米長氏の敵だから米長氏に好かれている。」と言ったのが、米長氏を揶揄していて、少し図に乗りすぎたかなと思った。
石津弁護士:「そんな都教委の非常識な指導は許されない。」とも言っているが、これも言いすぎでは?
土肥元校長:言い過ぎではない。

石津弁護士:平成18年10月24日(土肥は23日と主張)の都教委の指導の内容は?
土肥元校長:@教育委員の米長氏を批判した A予防訴訟の難波判決を評価した B米長氏が三鷹高校に行くかもしれない、の3つだった。
石津弁護士: それだけ?「行くよ」というだけで呼び出したのか?
土肥元校長:そうです。
石津弁護士: 「行くかもしれない」なのか「行く予定」なのか
土肥元校長:同じことだ。
・個別的職務命令発出問題
石津弁護士:平成16年3月神津高校で文書による職務命令を発出しているか?
土肥元校長:はい。
石津弁護士: それは他校へ与える影響を考えて出したのか?
土肥元校長:当時神津高校では教員との信頼関係ができていたため、発出する必要はなかったが、私が島嶼の高校のまとめ役で、他の島(大島と八丈島)では不起立者が出るかもしれない状況だったので、まとめ役として個別的職務命令を出した。
石津弁護士: 校長協会の方針では「出す」ということだったのでは?
土肥元校長:そうだ。
石津弁護士:校長協会でも他校への影響を考えて出すことにしたのではないか?
土肥元校長:校長協会のことは知らない。
石津弁護士: 平成18年度にも個別的職務命令を出したか?その理由は?
土肥元校長:出した。不起立が1名いたので不安だったから。
石津弁護士: 平成20年1月から3月までの都教委からの6回の呼び出しは全部呼び出されたわけではないのではないか?
土肥元校長:必ずしも都庁まで行ったわけではない。三鷹高校に来ての指導もあった。
石津弁護士: 指導のなかで個別的職務命令を出す理由は@万全を期すため A他校への影響だと言ったのか?
土肥元校長:そうだ。
石津弁護士: 三鷹高校で不起立はあったか?何人か?
土肥元校長:あった。二人。2年連続であったが、それぞれ違う人だ。
石津弁護士:あなたはそのとき知っていたか?
土肥元校長:校長の位置からは見えなかった。
石津弁護士: 不起立者は信頼できる教員か?
土肥元校長:もちろん。二人とも。
石津弁護士: 平成20年3月全日制の卒業式では個別的職務命令を出しているね。
土肥元校長:全日制は不起立の例があったし、教員の人数が多いので信頼関係を確認できなかったため、個別的職務命令を出した。
石津弁護士: いつ頃出す決心をしたか?
土肥元校長: 卒業式の3週間前頃。
石津弁護士: 全日制の中にも信頼できる先生はいたのでは?
土肥元校長:はい。
石津弁護士: その先生には出したのに、定時制の先生には出さないのでは人によって差別したことになるのではないか?
土肥元校長:国旗国歌問題は特別だ。全日制と定時制は職員集団が違うので両者が重なることはない。
石津弁護士:包括的職務命令書の読み上げにはどれを使ったのか?
土肥元校長:一番多い式場内の教員の、名前の入っていない職務命令書を読み上げた。
石津弁護士:これはあなたが決裁した職務命令書か?
土肥元校長:そのとおりだ。決裁しないと都教委から指導されている副校長が困るだろうと考えた。この個別的職務命令書は、副校長が添付した。
・業績評価問題 
石津弁護士:業績評価の分布率について、どこが問題なのか?
土肥元校長:丸秘資料として A−20%, B ? 60%, C−20% の割合を示していた。
石津弁護士:分布率を示すこと自体が問題だと言っていたようだが。
土肥元校長:問題だ。
石津弁護士:分布率を適用することは法令規則に書かれている。
土肥元校長:だから私は規則の通り実施した。意見はあっても法令遵守が私のモットーだから。
石津弁護士:平成20年9月27日の集会について聞きたい。主催者はどういう集団か?
土肥元校長:私が5月にTVに出たことをきっかけに署名を集め、井の頭公園で手渡してくれた。それから長い名前(注:土肥校長とともに学校に言論の自由をもとめる保護者&市民の会)の団体ができて、私を支援してくれるようになった。
石津弁護士:その集会で「都教委が業績評価の際、どの学校に対してもCD評価を20%以上つけろと指導した」という話をしたか?              
土肥元校長:した。
石津弁護士:平成18年の代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターでの説明会では、それほど強い指導ではなかったのではないか?
土肥元校長:そうだ。
石津弁護士:その際、旧評価制度と新評価制度との対応の説明はどのようにされたか?
土肥元校長:旧評価制度ではS,A,B,C,Dと5段階あったが、新評価制度ではA,B,C,Dの4段階となり、「普通」にあたる旧のBがなくなったので、旧のBが新のB,Cに相当するかなという説明だった。
石津弁護士:平成19年度はC,Dを20%以上つけろという指導だったか?
土肥元校長:20%以上でなければ突き返すという強い指導だった。
石津弁護士:「C,Dが20%以上でないと受け取らない」という指導はあったのか。
土肥元校長:そう言われた。
石津弁護士:それは中部学校経営支援センターだけの指導で、他のセンター管内でも同様の指導があったのか。
土肥元校長:直接には自分のセンターの指導だけしかわからないが、しかし他のセンター管内の校長から同様の話を聞いた。
石津弁護士:校長連絡会で聞いたのか?
土肥元校長:それだけでなく評価者訓練研修でも聞いた。
石津弁護士:校長連絡会では評価を低くしろと指導されたのか?
土肥元校長:評価を低くというのではなく「20%以下なら受け取らない」と言われた。
石津弁護士:平成18年度は20%以下でも受け取ったのか?
土肥元校長:受け取った。
石津弁護士:18年度に業績評価を提出した時、どのような質問があったか?
土肥元校長:私がAとCの評価をつけた教員について質問されたので、評価の理由を説明した。特にC評価についてはあとで苦情がくるといけないのできちんと説明した。再質問はなかった。
石津弁護士:その際20%以下では受け取らないという話はあったか?
土肥元校長:なかった。
石津弁護士:校長連絡会で、全校一律に絶対評価の割合を示すものではないという説明があったのは知っているか?
土肥元校長:知らない。
・「職員会議での挙手・採決禁止」通知問題
石津弁護士:これは平成20年8月13日の事情聴取記録だが、事実に食い違いはあるか?
土肥元校長:よく読んでいない。
石津弁護士:かいつまんで言うと、三鷹高校では企画調整会議で教員の意見が吸い上げられていて、組織の形態が現場教員の声をシャットアウトしているというような状態ではないということだ。
土肥元校長:それは三鷹高校では教員に自由に発言させているからだ。
石津弁護士:他校では違うという根拠は?
土肥元校長:他校から異動してきた教員が、「全然違う」と言っていた。
石津弁護士:何人の教員がそう言っていたのか?
土肥元校長:4人。
石津弁護士:その裏づけ調査はしたのか?
土肥元校長:していない。
石津弁護士:平成20年8月13日の文書で都教委は「職員会議で一般教員の建設的意見を引き出すのはいいことだ」と言っているのに、挙手・採決禁止でなぜ言論の自由がなくなるのか?
土肥元校長:挙手によってサイレントマジョリティの意見が反映される。校長の意見に対し、教員がどう考えているかがわかるからだ。
石津弁護士:校長の意見に反対の場合、反対理由を全部聞くのか?
土肥元校長:ひとりひとり聞く必要はない。代表的な意見を聞けば、おおむねわかる。
・非常勤教員採用選考問題
石津弁護士:非常勤教員採用試験の面接について。面接したのは誰か。何を質問されたか?
土肥元校長:最初は檜山氏でどのような職種を望むかと質問された。二人目は増田氏で初任者指導について質問された。

(尋問者の交代後)
土田氏:平成18年の事情聴取(注:密告の指導)の際の雰囲気はどうだったか?
土肥元校長:非常に威圧的だった。内部告発文書はすでに教育委員会と都議会に回っていると言われた。
土田氏:評価者訓練研修では業績評価は絶対評価で行うよう指導していたはずでは?
土肥元校長:絶対評価は校長の専権事項だ。評価の標準を定めるのは当然だが。

(原告代理人弁護士より再主尋問)
高橋弁護士:校長協会(東京都公立高等学校長協会)を脱退した理由は何か?
土肥元校長:校長協会は一丸となって個別的職務命令を出そうという方針だった。それに対し、私は個別的職務命令を出さないつもりだったので脱退した。
高橋弁護士:土肥先生は、自分は弱い人間だと書いているが、そういう人がなぜ最終的に反対したのか?
土肥元校長:憲法が保障する言論の自由は組織を崩壊させる。言論の自由だけは教育の現場から失わせてはいけない。この通知だけでなく、私、生徒、教員に対する言論統制が来たので、どうしても言論の自由、生徒の言論を守りたいので反対しました。

 なお結審は7月7日(木)午前10時から10時15分まで。東京地裁第527号法廷。

*傍聴人のメモによるもので、必ずしも正確な内容ではない可能性もあります。

 

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