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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判――(16)遺棄毒ガス・砲弾訴訟 その4

T.O.記

 法学館憲法研究所のWEBサイトでは、この間、戦後補償裁判の裁判傍聴記(3)・(4)・(14)において、遺棄毒ガス・砲弾訴訟を紹介してきました。今回は、その続編です。

 2004年11月2日、二次訴訟の口頭弁論があり、毒ガス弾を遺棄したという元兵士Aさんの証人尋問が行われました。

 Aさんは、1939年12月に陸軍工科学校へ入学しました。学校では、弾薬、兵器などについて専門教育を受けました。そして、毒ガス弾について、催涙性のガスを「あか」、びらん性のガス(イペリット、ルイサイト)を「きい」と呼ぶことなどを学びました。卒業後は関東軍野戦兵器廠に配属されました。部隊の再編や移動を経験した後、1945年7月に吉林省敦化市の沙河沿の補給部隊に配属されました。その部隊は、大量の毒ガス弾を所有していましたが、その事実をほとんどの兵士は知りませんでした。しかしAさんの見た砲弾の格納箱には「赤」「黄」などの標識があり、陸軍学校で毒ガス弾について学んでいたAさんは、すぐにそれが毒ガス弾であることに気がつきました。そしてあまりの多さに驚いたといいます。

 Aさんは、8月20日頃に終戦を知りました。そのときAさんは、すぐさま毒ガス弾の処理をしなければならないと考えました。というのも、毒ガス弾が当時すでに国際法違反であり、国がその責任を問われ、また、このまま放置すれば、付近の住民に被害が出るということを認識していたからです。そして8月末頃、隊長から呼び出しを受け、部隊本部から毒ガス弾の処理をせよという命令を受け取った、と伝えられました。そこで隊員たちを集め、みなで穴を掘り、毒ガス弾を箱のまま埋めました。

 その後Aさんはシベリアに抑留され、1959年8月に帰国します。帰国後もAさんの頭からは遺棄した毒ガス弾のことが離れませんでした。帰国時に厚生省からの聞き取りがあったのですが、毒ガス弾についてはまったく尋ねられませんでした。

 以上の証言から、@本件各被害を発生させた毒ガスや砲弾は旧日本軍のものではない、A旧日本軍が組織的な遺棄行為をしたことはない、という国の主張は、完全に崩れたことになります。また、毒ガス弾について、帰国した元兵士に対する聞き取り調査を行っていれば、中国に持ち込まれた毒ガス弾の量や、それらが遺棄された場所を、相当な程度まで把握できただろうことも、この証言から明らかです。

 Aさんは、83歳という高齢にもかかわらず、記憶も鮮明で、その証言はとても生々しいものでした。Aさんに対しては、12月9日午後2時半から、東京高裁808号法廷で、国側による反対尋問が行われる予定です。関心のある方は、ぜひ法廷に足を運んでみてください。

 なお、裁判の支援者らが、常設の「旧軍毒ガス情報ホットライン」(Tel: 03-3260-9529、Fax: 03-5396-6068)を開設し、毒ガスの埋設場所などの情報提供を呼びかけています。

[参考URL]
http://www.suopei.org/index-j.html (裁判日程などが紹介されてます)

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