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戦後補償裁判(27)――遺棄毒ガス・砲弾訴訟7

T.O.記

2005年10月31日、遺棄毒ガス・砲弾訴訟の口頭弁論が開かれ、前回の証人尋問で、敗戦時に毒ガス兵器を遺棄したと証言した元軍属のKさんに対して、控訴人(被告・国)側の反対尋問が行われました。この日も、ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』の監督である海南友子さんや、海南さんの講演を聞いたという若い学生たちが傍聴に訪れていました。

国側の代理人からは、防毒マスクを見たことがあるか、あるいは使用したことがあるか、という質問がなされました。しかし、Kさんは軍属であって、兵士ではありませんから、毒ガス兵器を実際に使用することはないので、防毒マスクを見たことがなかったり、使用したことがなくて当然ですし、実際、Kさんは、そう証言しました。

軍隊の規律が非常に厳格であったという前回の証言を踏まえ、隊長が「穴を掘って砲弾を埋めろ」と命じたにもかかわらず、Kさんたちの班は井戸に捨てており、命令違反ではないか、と質問しました。しかし、砲弾の遺棄に際して、「班長の命令に従って」とされており、班長が井戸への遺棄を命じたこと、また「穴を掘って埋めろ」という命令の趣旨は、砲弾を遺棄することであって、井戸の中へ捨てることと趣旨をことにするものではないと、Kさんは答えました。

なぜKさんらの遺棄していた砲弾が毒ガス弾とわかったのか、という点について、Kさんは、休憩中の兵士らの会話から、それと知った、と答えました。被告側代理人から、兵士の階級を問われ、2等兵、上等兵などの、一番下のクラスだったと答えました。それに対して、被告側代理人から、下級兵士が本当にそういった軍の情報を知っていたのか、Kさんの作り話ではないのか、と問うたのに対し、Kさんは、興隆鎮の基地では、二等兵から兵長くらいまでが同じ部屋に宿営しており、そうした情報が下の兵士まで流れていても不思議はない、と答えました。

そのほか、捨てた砲弾の数や、砲弾の色、暴発の心配はなかったのか、といった反対尋問が続きました。しかし、いずれの質問についても、軍の命令によって毒ガス弾が組織的に遺棄されたという事実を覆すにはいたらず、むしろ、前回のKさんの証言を強化したように見えました。

続いて、吉見義明証人に対する主尋問が行われました。吉見教授は中央大学の教授で、旧日本軍による毒ガス遺棄問題を20年近くにわたって研究してきた人物です。以下、吉見教授の証言をまとめたものをレポートします。

1899年のハーグ宣言、1907年の「陸戦の法規慣例に関する条約」の附属規則、1919年のベルサイユ条約、1925年のジュネーブ協定などで毒ガス兵器の使用が禁じられ、日本はいずれについても批准していたことから、第二次世界大戦の時点で、毒ガス兵器の使用が国際法に違反するという国際慣習法が成立していました。

日本軍の毒ガス兵器の使用について、日本政府は、毒ガス兵器の使用が国際法違反であることを認識していました。実際、1930年代前半のジュネーブ軍縮会議で、日本代表は、毒ガスの使用は禁止されているとして、その毒ガスの中には催涙ガスも含まれると主張しています。また、日中戦争では、嘔吐性ガスや糜爛性ガスの使用許可の指示を参謀総長が出していますが、その際、使用の事実を秘匿するよう厳重に注意しています。加えて、広島と長崎に原子爆弾が投下された際、国際法で禁止されている毒ガス兵器よりも残虐だという抗議もしています。以上のことから、日本政府は、毒ガス兵器の使用が国際法違反であることを認識していたといえます。

毒ガス兵器の製造は、陸軍については1929年から始まり、1934年以降本格化しました。海軍については1942年以降です。日本軍の毒ガスの生産量は、陸軍が6616トン、海軍が760トン、計7376トン程度です。これらの数字は、判明している資料に基づくもので、今後、資料がさらに明らかになれば、増える可能性があります。

毒ガス(イペリット)の害ですが、呼吸器・肺の損傷、失明、皮膚のびらん・え死、場合によっては死亡し、生存しても重い後遺症が残ります。そのため、イペリットは、「毒ガスの王」と呼ばれています。日本軍は、ハルピンにいた731部隊などで人体実験を通してこうした毒ガスの威力を確認していました。

中国大陸に大量の化学兵器が配備されていたことも実証されています。

イペリット・ルイサイトは、野戦兵器廠・野戦砲兵廠・野戦航空廠・野戦瓦斯廠や、その支廠に配備されました。しかし1941年10月の宜昌攻防戦では国民党軍に完全に包囲された第13師団がイペリット・ルイサイト弾を使用している実例があるので、ほかにも各師団レベル(各部隊)に配備されていた可能性もあります。「部隊(終戦時)索引簿」によれば、中国東北地方では、野戦兵器廠が長春に、その支廠が奉天・ハルビンにあったほか、各軍に野戦兵器廠がありました。1942年頃には、第2軍(琿春)に第20野戦兵器廠、第3軍(掖河)に第16野戦兵器廠、第5軍(東安)に第17野戦兵器廠、第20軍(鶏寧)に第16野戦兵器廠、第4軍(孫呉)に第18野戦兵器廠、第6軍(ハイラル)に第19野戦兵器廠がありましたが、これらの野戦兵器廠には毒ガスが配備されていたと思います。

また、敗戦時には、第1方面軍(敦化)の第16野戦兵器廠、第5軍(鶏寧)の第17野戦兵器廠、第4軍(ハルビン)の第18野戦兵器廠、第44軍(奉天)の第19野戦兵器廠、第3軍(牡丹江)の第15野戦兵器廠・第20野戦兵器廠がありましたが、ここには毒ガスが配備されていたと思われます。また、佳木斯には野戦兵器廠の支廠がありましたし、関東軍化学部があったチチハルや関東軍化学部練習隊があったフラルキには配備されていました。こうした場所で毒ガス兵器を配備・遺棄したという元兵士の証言もあります。

日本政府も、1999年の遺棄化学兵器の処理に関する覚書において、遺棄化学兵器の存在を認め、35回にわたる調査を行っています。その結果として、外国軍(ソ連軍・国民党軍)の毒ガス兵器と認定されたもの、あるいはその可能性があると指摘されているものはありません。そして、形状や発見場所などから考えて、本件の事故を起こした佳木斯・牡丹江の毒ガス兵器は旧日本軍のものだと言えます。また、国民党軍は南満州にとどまっており、佳木斯・牡丹江には至っていないことや、国民党軍・ソ連軍が毒ガス兵器を配備した証拠がないことなどから、本件の毒ガスが、ソ連軍・国民党軍の毒ガス兵器であるとは考えらません。

組織的な遺棄行為であることについても、数々の証言があること、日本国内でも各地で遺棄された毒ガス兵器が発見されていること、国際法違反であることを認識しており、毒ガス兵器使用の事実の発覚を恐れて文書等の焼却がなされていることなどから、否定のしようがありません。

政府は、旧満州地区に配備された全ての兵器等については、基本的には大本営の命令に従った武装解除により、ソ連軍に引き渡されたから、遺棄していないと主張していますが、引き渡されたのは、催涙弾のみであり、イペリット弾・ルイサイト弾を引き渡したという証拠はありません。また、アメリカ陸軍化学戦統轄部隊の広東派遣班の1945年9月7日の調査で、調査班は四つの弾薬庫と一つの航空弾薬庫を訪れています。そこでは、ガスマスク25万個・防毒衣3000着・発煙筒1000個・あか筒6個などが発見されていますが、マスタード・ルイサイト・ホスゲンなどの毒ガスは見つからなかったと書かれています。実際にその報告書の一部を引用すれば、以下のとおりです。

「一つの倉庫には青酸手投弾を詰めるための空のケースが250個あった。我々は日本軍側から、これらは船積みの時壊れたので廃棄したと聞いた。換気装置のついたこの倉庫の10%のスペースはからっぽだった。それについて聞いたら、日本軍側はここには以前から何もなかったのだと語った。しかしながら、床を調べてみると、重量のある資材を急いで動かしたことを示す箱の跡と新しい跡があることがわかった。この移動はごく最近に行われたので、床には埃がなかった。ゲイ大尉の意見は、化学剤がおそらくこの場所に貯蔵されていたのだが、連合国軍関係者が到着する前に移動され廃棄されたというものだった」。

最後に、吉見教授は、次のように述べて、証言を終えました。

「日本と中国の間に信頼関係が築かれることが重要です。しかし、現在はそのような信頼関係がありません。その原因のひとつは、戦後責任の処理が不十分だからです。毒ガス兵器について、日本政府は、遺棄されたものに対する処理は真摯にやっています。あわせて、被害者への賠償と、加害事実を認定することで、問題を解決することができます。裁判所においても、賢明な判断をされるよう、求めます」。

この遺棄毒ガス・砲弾訴訟において、国側は、第一審では事実認否を一切せず、法律論に終始してきましたが、一次訴訟に対する2003年9月29日判決で敗訴したため、控訴審では、本件毒ガス弾は、日本軍のものではなかった可能性がある、と主張してきました。しかし、遺棄毒ガス問題について、20年にわたり研究を続けてきて、この問題に関して、国内の第一人者である吉見教授が、本件の事故は旧日本軍が遺棄した毒ガスによるものだ、と証言したのです。もはや、日本政府は、本件毒ガス兵器が、旧日本軍のものであったことは明らかでしょう。日本政府はこの事実を認め、早急に被害者たちに謝罪と救済を行い、また、中国の大地に眠っている毒ガス兵器の処理を行うべきだと思います。

なお、次回期日は、11月30日午後3時半から、101号法廷で、吉見教授に対する国側の反対尋問が行われる予定です。

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