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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判(28)――遺棄毒ガス・砲弾訴訟8

T.O.記

2006年3月1日、東京高裁で、遺棄毒ガス・砲弾訴訟第一次訴訟の口頭弁論が開かれました。この日は、裁判官の一部に交代があったため、弁論更新の手続がなされました。また、次回の弁論で、原告本人尋問が予定されているため、それについての簡単な打ち合わせなどがなされました。

続いて、被控訴人側(原告側)から、本件事故をもたらした毒ガスが、旧日本軍の手によって遺棄されたものであるとする準備書面が提出され、代理人弁護士から口頭で要旨の説明がなされました。

まず、大江京子弁護士が、旧日本軍が毒ガス兵器を製造し、中国へ配備して実戦使用したことについて、以下のような弁論を行いました。

旧日本軍の毒ガス製造は1929年に始まりました。広島県の大久野島に製造所を設置して、窒素性ガス・びらん性ガス・クシャミ性ガス・催涙ガスなどの毒ガスを製造し始め、1938年には、福岡県企救郡の曽根兵器製造所において、毒ガスを砲弾に詰める作業を行いました。毒ガスの生産については、日本政府自体も認めています。

占領期にアメリカ軍が入手した日本軍の毒ガス生産量に関する資料によれば、日本軍の毒ガスの生産額は,陸軍が6616トン、海軍が760トンで、合計7376トンになります。そのうち、びらん性ガス(イペリットおよびルイサイト)は4992トンでした。なお、この数字は、日本軍がアメリカに報告した内容を元に算出されていることから,これらの計数は日本軍の生産した毒ガスの最低量と考えられています。また、実際に兵器として製造されたびらん性毒ガス兵器は48万2651発にのぼります。これも、資料から認定できる最低限の数です。

現存する資料によれば、48万発あまりのびらん性毒ガス兵器のうち、12万2800発が中国に配備されました。これも、資料から確定できる最小の数です。こうした毒ガス兵器の多くは、中国の東北地方に配備されました。そして実際にこれらの毒ガス兵器を使用しました。

当時すでに、日本政府は、毒ガス兵器の使用が国際法違反であることを認識していました。例えば、1930年代前半に開かれたジュネーブ一般軍縮会議において、日本政府代表は、毒ガス兵器が、国際法上使用が禁止されていることを前提として、その毒ガスの中には催涙ガスも含まれていると主張しました。また、広島・長崎に原爆が投下された際、日本政府はスイス政府を介してアメリカに抗議をしましたが、その文中に、“原子爆弾は国際的に使用が禁止されている毒ガスより残虐である”という趣旨の文言が記載されていました。アメリカのルーズベルト大統領も、旧日本軍による毒ガス兵器使用の情報を得たため、日本政府に対し、2度にわたって、毒ガス兵器の使用は国際法違反であるという警告を発しています。こうしたことから、日本政府が、毒ガス兵器の使用が国際法上違法であると認識していたことは明らかです。このことは、実戦使用に際して、参謀総長らが、毒ガスの使用に際して、決して証拠を残さないようにせよという命令を下していたことや、秘密裏に毒ガスを遺棄したことからもうかがわれます。

本件で争われている事件を引き起こした毒ガスについて、政府側は、それらの毒ガス兵器が日本のものではない可能性があると主張しています。しかし、1997年7月30日に、日中間で交わされた覚書において、日本政府は、旧日本軍が中国に毒ガスを遺棄したことを認めています。その後、日中両国による調査によっても、その存在が確認されています。

しかし、本件訴訟において、日本政府は、毒ガス兵器がソ連軍のものである可能性を主張しています。しかし、ソ連軍が中国に毒ガス兵器を持ち込んだという証拠は何も示されていません。また、ソ連製の毒ガス兵器が見つかったとする文書についても、邦訳に誤りがあり、原文は、ソ連製の毒ガスが見つかったと述べているわけではありません。さらに、ソ連が対日戦争に際して毒ガス兵器を使用するメリットはなく、むしろ急速な機動戦のためには、毒ガス兵器は適していないこと、毒ガス使用には米英中などの許可を必要としたことなどから、ソ連軍が毒ガス兵器を持ち込んだとは考えにくいのです。

政府側は、毒ガス兵器が中国国民党軍のものである可能性も指摘しています。しかし、国民党軍が毒ガス兵器を持っていたとする証拠がありません。さらに、国民党軍は、本件事故が起きた牡丹江や桂木斯に侵攻してはいません。それゆえ、毒ガス兵器が国民党軍のものである可能性は、根拠がないのです。

また大江弁護士は、旧日本軍が、こうした毒ガス兵器を組織的に遺棄・隠匿したものであると指摘しました。その証拠として、毒ガス兵器の使用が国際法違反であるという認識を日本が有していたこと、遺棄に際して秘密裏に行なうよう指示していたことなどを挙げました。

政府側が、毒ガス兵器は武装解除に際してソ連に引き渡されたと主張している点について、大江弁護士は、そうした事実がないことを指摘しました。実際、ソ連側への武器引渡しリストに、催涙弾の記載はありますが、イペリットやルイサイトの記載はありません。また、アメリカ軍が1945年9月7日に弾薬庫などを調査した際、大量の防毒マスクや防毒衣と、くしゃみ性のガス弾がいくつか見つかったにもかかわらず、ルイサイトなどは見つかりませんでした。そのため、調査に当たったゲイ大尉は、ルイサイトなどの毒ガス兵器は国軍の到着前に処分されたと推定される、と報告しています。

続いて、南典男弁護士が、本件事故が旧日本軍の遺棄した毒ガス兵器によるものであることについて、弁論を行いました。

南弁護士は、まず牡丹江の事件について、事件を引き起こした毒ガス弾のサイズが日本軍のびらん性毒ガス容器と一致すること、形状の特徴も旧日本軍のびらん性毒ガス容器と一致していること、政府の調査によっても牡丹江で旧日本軍の毒ガス兵器が発見されていること、牡丹江にはびらん性毒ガス兵器を備蓄した野戦兵器廠があったこと、旧日本軍が組織的に毒ガスを遺棄・隠匿したことなどを指摘しました。そして結論として、牡丹江の事件における毒ガス兵器は、旧日本軍のものであると主張しました。

紅旗09号事件についても、この事故の直後に、事故を起こした毒ガス兵器は川へ捨てられましたが、同じ場所から再び発見された毒ガス兵器が、その形状や毒ガスの成分などから、旧日本軍のものであると推定されることを主張しました。

この日の法廷が終了した後、弁護士会館で、報告集会が開かれました。この日、かつて張るピンで毒ガスを遺棄したという経験を持つ元兵士の方(Yさん)が名古屋から裁判の傍聴に訪れており、当時の思い出などを語りました。別の元兵士の証言が法廷で行われたこともあり、Yさんの証人申請は採用されなかったそうですが、Yさんの証言を書証として提出することが、弁護団から報告されました。法廷で証言を行った元兵士は、本件事故を起こした場所で遺棄行為を行ったわけではないのですが、Yさんはハルピンで毒ガスを遺棄したと語っており、本件訴訟において、Yさんの証言は重要なものと考えられます。

次回は4月24日午前10時半より、101号法廷で、原告本人尋問が行なわれる予定です。毒ガス被害者の証言を直接聴く貴重な機会ですので、興味のある方は、法廷まで足を運んではいかがでしょうか。

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