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戦後補償裁判(36)――強制連行新潟訴訟控訴審3

T.O.記

2006年10月30日、東京高等裁判所において、強制連行新潟訴訟の口頭弁論が開かれました。新潟からも大勢の支援者が傍聴に訪れ、法廷は満席でした。

1時半の開廷前に、2分間のTV撮影が入りました。そして、所掌の提出等の手続を行なった後、原告側から意見陳述が行われました。この日は結審する予定であったため、原告も来日して出廷し、意見を述べました。以下、陳述された意見の概要を、2回に分けてレポートします。

最初に意見陳述を行ったのは、張連信さんです。張さんは1944年の秋、17歳の時に日本兵に拉致され、日本へ強制連行されました。日本への連行中、大勢の仲間が死亡していくのを目の当たりにし、怒りと悔しさで頭がおかしくなりそうになったそうです。新潟では、雪が降る中、裸同然の格好で労働させられ、日本人の監督から暴行を受けたこともあったそうです。そんな状況の中で、大勢の仲間が死んでいきました。張さんが一番辛かったのは、人間として扱われなかったことだといいます。こうした非人道的扱いに対して、企業と政府に謝罪と賠償を求めると述べて、張さんは陳述を終えました。

続いて、張一憲さんが陳述に立ちました。彼は、原告・張文彬さんの次男です。父・張文彬さんが2004年12月にこの世を去ったため、訴訟を引き継ぎ、出廷しました。張さんの父・文彬さんは、強制連行され労働を強制されていた新潟で、スパイの容疑をかけられ、拷問を受けたのち、広島の刑務所に収容され、被爆しました。帰国後も、強制連行、強制労働に加え、被爆のために、様々な病気に冒され、何度も手術をしたそうです。一審判決を知って、非常に喜んだそうですが、控訴され、結果を知ることなくこの世を去りました。一憲さんは、裁判官に対し、父をはじめ、多くの犠牲者を救うためにも、正しい判決を希望すると述べて、意見陳述を終えました。

次に、劉立さんが意見陳述を行いました。彼は、強制連行の被害者である劉鳳格さんの息子さんです。劉鳳格さんは、提訴の直前に亡くなったため、当初から息子である劉立さんが原告となっていました。劉鳳格さんは、1944年6月に身柄を拘束され、11月ごろに日本へ連行されました。そして雪の降る新潟で雪かきや荷物の上げ下ろしなどの作業を強いられたそうです。食事は、1日3回、とうもろこしの饅頭2個与えられただけだったといいます。過酷な労働条件の中で、連行された300人のうち、100名が死亡したそうです。劉鳳格さんは、帰国後も、強制労働による精神的・肉体的打撃のため、病気がちだったそうです。そして、亡くなる寸前に、家族に対して、「裁判を最後まで闘ってほしい」と言い遺しました。劉立さんは、中国人労工がうけた精神的・経済的損害への賠償を求めて、陳述を終えました。

ここで裁判長から、時間が押しているから、陳述を時間通りに終えられるよう、工夫してほしい旨の発言がありました。

続いて、中国人弁護士の康健さんが意見陳述を行いました。康健弁護士は、過ちを犯したら、その責任を取るということは、世界共通の道理であると述べました。そして、本件事案について言えば、日本政府と企業が、中国人を強制連行、強制労働させ、かつ非人道的な虐待を行なったのであり、これに対して、政府・企業は責任を取るべきであると強く訴えました。そして、強制労働への補償を行ったドイツを引き合いに出し、そうした行為によってドイツの国際的地位を高めたことを指摘し、日本も見習うべきことを主張しました。

ここでいったん休憩が入りました。裁判長から、原告弁護団側に対して、時間通り終えられるよう、意見陳述の時間の調整を休憩中に行なうよう、指示がなされました。

10分ほどの休憩ののち、弁護団による意見陳述が行われました。

まず本件の弁護団長でもある中村洋二郎弁護士が、本件訴訟の意義について意見を述べました。中村弁護士は、中国人労働者の強制連行・強制労働により、実に被害者の17%以上が死亡したこと、生存者のほとんどが後遺症に悩まされたことを指摘しました。そして、戦犯裁判では、米国人捕虜らへの虐待(死亡率約11%)の罪で、BC級戦犯として重労働25年の刑が言い渡されている例を挙げ、それ以上に死亡率の高かった中国人強制労働の実態がいかにすさまじいものだったのか、容易に推認できると主張しました。こうした事実は、各地の裁判所でも、極めて厳しい口調で指弾されています。

中村弁護士は、判決の帰趨は、結局、事実に対する裁判官の向き合い方によると指摘しました。それゆえ、法理論的には、国家無答責や時効・除斥によって、請求を棄却することもできるとしつつ、他方で、民法・法社会学の権威、来栖三郎教授が、法の解釈・運用の結果に対して、法律家は責任を負わねばならないと主張していたことを指摘し、裁判官に対して、法律家としての責任を問いました。そして、過去の過ちを認めて反省し、それを清算した上で、そこから教訓を得ることが、同じ過ちを二度と繰り返さない道であると述べ、陳述を終えました。

続いて、大澤理尋弁護士が、国家無答責(日本国憲法制定以前、国の違法行為による損害に対して、国は責任を負わないとする法理)について、意見陳述を行いました。大澤弁護士は、本件強制連行・強制労働が、国策として行われ、労務供給契約に基づき、任意に募集に応じた労働者を訓練して移送するかのような制度設計をしていたこと、企業に対して監督体制をとっていたことを指摘しました。しかし、こうした制度設計にもかかわらず、国自らがこれを守らず、企業の違法行為も阻止しなかったことを指摘しました。そして、こうした状況にもかかわらず、国家無答責を主張することは、正義公平の観念に反するものだとして、原告らの救済を訴えました。

次に、土屋俊幸弁護士が、安全配慮義務について意見陳述を行いました。国は、本件が強制労働という不法行為であれば、そもそも安全配慮義務が成立しないと主張しています。これに対し、土屋弁護士は、この強制連行・強制労働が国策として行われ、強制労働条約に反しないよう、中国人労働者の生命健康の安全に配慮することが予定されており、政府がこれを守らなかった、つまり、安全配慮義務が予定されていたにもかかわらず、政府がそれを怠ったものであると主張しました。そして、強制労働であれば、非人道的な取扱いをしてもよいということにはならないと、政府の姿勢を厳しく批判しました。

続いて、金子修弁護士が、損害賠償請求権の消滅時効について意見陳述しました。金子弁護士は、準備書面を作成しながら、そもそも「時効」という制度が、誰のためにあるのかを考えたといいます。そして、民法学の泰斗、星野英一博士が、時効について「不道徳な制度ではないか」と疑問を抱き、「時効は、真の権利者・弁済者を保護する制度」であり、「非権利者・非弁済者が利得を得るようなことはできるだけ避けるのが望まし(い)」と述べていたことを指摘しました。そして、最高裁も、消滅時効の援用を制限する法理を比較的早い時期から採用しており、これは、星野博士の主張と同様に、真の権利者・債権者の正当な権利を保護するためであると指摘しました。その上で、本件において、一審被告ら(国と企業)に、守られるべき利益がどこにあるのかを考えてほしいと裁判所に訴えました。

また、金子弁護士は、原告らが権利行使をすることが実際には極めて困難だった事情も考慮すべきだと主張しました。原告らは、強制労働の加害者が国なのか企業なのか、また企業が新潟港運なのかどうか、その法的地位を引き継いだリンコーコーポレーションなのか、といったことを知る術はありませんでした。加えて、原告らは、日本の敗戦により解放され、帰国したのですが、強制労働や被爆の影響で、日々の生活にも苦労する状況にありました。そんな中で、損害賠償請求権の行使は、不可能だったといわざるを得ない、と金子弁護士は主張しました。

被害者本人や遺族の陳述は、被害から60年が経過してもいやされない心と体の傷跡について、生々しく証言するものでした。聞いていて胸が痛くなるものでした。また、弁護団の意見陳述は、本件が一審で勝訴していることもあり、何としても原審判決を維持するという決意に満ちた力強いものでした。

次回は、弁護団の意見陳述の続きについて、レポートします。

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