法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判(38)――遺棄毒ガス・砲弾訴訟9

T.O.記

2006年11月22日、遺棄毒ガス・砲弾第一次訴訟の口頭弁論が開かれました。この訴訟は中国での注目度が高く、この日も、中国からテレビ局が取材に訪れており、開廷前に法廷内の撮影も行われました。

この口頭弁論にあわせて原告2名が来日しており、それぞれ意見陳述を行いました。

まず、仲江さんが意見陳述を行いました。仲江さんは、1982年7月に遺棄毒ガスの事故に遭って以来、24年にわたって、高血圧、下痢、口の中の潰瘍、頭痛、前身神経痛、全身の経常性潰瘍などに苦しんでいます。精神的・肉体的な苦痛から、情緒不安定になることもしばしばあるといいます。ここ数年は、死にたいと何度も思ったそうです。10年前には3ヶ月にわたり寝たきりになってしまい、しかも激痛が全身を覆っていたそうです。そのため、排泄や寝返りのたびに刑を受けているような気持ちになったといいます。さらに、健康被害のために夫婦生活や日常の家事ができなくなったことから夫婦仲が悪くなり、妻と離婚してしまったそうです。仲江さんは最後に、日本政府に謝罪と賠償を求めると述べ、陳述を終えました。

続いて李臣さんが意見陳述をしました。李臣さんは1974年10月に、川で浚渫作業をしていて毒ガス被害に遭いました。事故後、手にできた水泡が破裂して腐ったため、はさみで腐った肉を切り落とし、はさみが届かないところはガーゼで肉を擦り取るという治療を受けました。激痛のため、何度も気絶し、死んだ方がましだとさえ思ったそうです。また、指と指がアヒルの足のようにつながってしまい、分離手術も受けたそうです。


入廷行進

被害にあって以来、32年にわたり、口の渇き、喉のかゆみ、歯の炎症などの諸症状に悩み、毎日4種類の薬を飲み続けています。薬代は月に1200元にもなり、これまでの借金は17万元にものぼるそうです。さらに不眠症、情緒不安定、呼吸困難などの症状に加え、冠動脈性心臓病と狭心症になり、2004年には心臓の手術も受けました。収入も半減し、妻がくず拾いなどをして家計を支えたといいます。

二人の娘さんも、毒ガスが感染するという誤解から、差別を受けたといいます。長女が小学校に通っていた時は、友だちもできず、家にいると泣いてばかりいたそうです。また、高校卒業後は仕事につくこともできず、結婚にも苦労したそうです。次女については、学費を払えず、中学校2年生の時に退学せざるを得ませんでした。

さらに1985年のお正月は忘れられない日となりました。李臣さんの住む中国東北地方では、大晦日と1月5日に餃子を食べる習慣があるそうですが、このとき李臣さんは2元足らずのお金しかなく、何も買えませんでした。近所の人が餃子を食べているのを見て、次女が「みんな餃子を食べてるよ」と言いました。それを聞いた李臣さんは、「買ってあげるから待っていてね」と言いつつ、手元のお金で農薬を買ってそれを飲み、自殺を図りました。すぐに家族に見つかり治療を受けたため、死には至りませんでした。

李臣さんは最後に、裁判官に対して、「我々は、国籍も民族も違うが、人間としての心は同じだと思います。公理と正義は一つしかありません。裁判官が我々の切実な要求を理解し、多大な苦痛を受けてきた毒ガスの被害者に謝罪と人道的賠償を行うよう、公正な判決を希望します」と述べて、意見陳述を終えました。

続いて弁護士が意見陳述を行いました。

まず山田勝彦弁護士が、被害事実について意見陳述し、毒ガスのイペリットが人体に与える甚大な被害を指摘しました。イペリットは、目のかすみ、角膜炎、結膜炎などの症状のほか、免疫力の低下をもたらします。また皮膚のびらんなども起こり、これは事故から何年も経過したあとに再発することもあります。加えてイペリットには発がん性があるそうで、山田弁護士は、「原告らは幸いがんを発症していないが、仮に訴訟で負けた場合、その後にがんを発症したら、原告らは再び訴訟を提起できるのか、それとも一事不再理ということで訴訟できないのか、そういった点も踏まえて判断してほしい」と述べました。また、イペリットによる後遺症については根本的な治療ができず、一生苦しまなければならない点について、「“幸いにして一命をとりとめた”という記述を、“不幸にして一命をとりとめた”と書き換えた方がいいかもしれない」と述べました。以上のように、国側が「重い被害ではない」と主張していることに対して反論するとともに、こうした事実についての争いを、一審では行わず、控訴してから行い始めたという点についても「司法に対する侮辱である」と強く批判しました。

続いて大江京子弁護士が、旧日本軍による毒ガスの遺棄行為について意見陳述を行いました。大江弁護士は、日本が毒ガス兵器を製造し中国に配備したという事実、化学兵器禁止条約に基づいて中国と交わした覚書において日本政府が毒ガスの遺棄事実を認めていること、中国における現地調査において外国製の毒ガス兵器が発見されていないこと、毒ガス兵器を遺棄したという元兵士たちの多くの証言、それらを示す文書の存在、また毒ガス兵器の使用が国際法違反であるという認識を有していたことから、毒ガスを遺棄するという動機もあったこと、組織的に証拠を隠滅したこと、武装解除にあたって毒ガス兵器を引き渡したという記録がないこと、訴訟になっている事件での毒ガス弾の特徴が旧日本軍の毒ガス弾と共通する特徴を有していること、事故現場に旧日本軍の兵器廠があったことなどから、毒ガス・砲弾が旧日本軍のものであることは明白だと主張しました。

また、政府が、旧日本軍の毒ガス弾ではない可能性がある、旧日本軍のものだとしても、旧日本軍が遺棄したものではない可能性があると主張している点について、それぞれ証拠がないと指摘しました。また、旧日本軍が捨てた証拠がないという点についても、証拠を隠滅したのは国であり、その場合に国が救済されるのは不当であって、むしろ旧日本軍が捨てたものではないという証明責任を政府に負わせてもいいのではないかと主張しました。

次に、泉澤章弁護士が、大江弁護士に続いて、事実についての政府の主張に対する反論を行いました。まず毒ガス弾が旧日本軍のものではなくソ連もしくは中国の国民党軍のものである可能性があるとする点について、そうした証拠がまったく提出されていないこと、戦略的に見てソ連が毒ガス兵器を満州に持ち込む動機がないこと、国民党軍にはそもそも毒ガス弾を製造する能力がなかったことなどの事実を指摘しました。また、政府がソ連製の毒ガス弾の図を提出していることについて、事故を起こした毒ガス弾と特徴が一致せず、むしろ日本製のものと一致することを指摘しました。

また、旧日本軍はソ連侵攻により遺棄する時間がなく、武装解除後に武器を引き取ったソ連ないし国民党軍が遺棄した可能性があるとする点について、泉澤弁護士は、満州の大きな地図を取り出して裁判官らに示した上で、満州は非常に広く、ソ連が侵攻してきても、旧日本軍が駐屯していた場所にソ連軍が到着するまでの時間を考えると、遺棄する時間はあったことを示しました。また、実際に、ハルピンに駐屯していた731部隊(人体実験を行っていた部隊)は、ソ連侵攻後、その建物を破壊し、書類を焼却するなどの証拠隠滅を図った上で退却した事実を指摘しました。


集会で証言する被害者

また、雑誌『正論』に、旧日本軍の武器引渡しリストが見つかり、毒ガス兵器も引き渡していたとする「スクープ記事」が掲載されていたことについて、この記事により、旧日本軍が詳細なリストを作成していたことが判明し、むしろ毒ガス兵器を引き渡していないことが立証されたと主張しました。実際、政府側は、この記事を証拠として裁判所に提出していないそうです。

最後に、南典男弁護士が、作為義務違反と賠償について意見を述べました。南弁護士は、日本政府に、毒ガス被害を避けるための措置をとるべき義務があったことの根拠として、(1)被害の重さ、(2)毒ガス兵器隠蔽のための遺棄という事実、(3)戦後も遺棄毒ガスの情報を隠し続けたこと、という3つの事実を指摘しました。そして、本件一審判決の「最初の事故が起こったのは、戦争の終結から既に29年が経過した後である。そして、37年後、50年後に第2、第3の事故が起こった。戦後これだけの年月が過ぎ、国交も回復されて、平和な市民生活を送る中で、突然に災難が降りかかったのが本件である。その被害者である原告らが、被告に対し、なにゆえに賠償を請求することができないのか。裁判所は、以上のとおり、その合理的な理由を見いだすことができなかった」と述べた部分を引用して、控訴審でも原審を維持する判決を言い渡すよう述べて、陳述を終えました。

この訴訟は、この日で結審の予定でしたが、国側が準備書面の提出を求めたことから、結審が2007年1月24日に延期されました。午前11時から810号法廷で開かれる予定です。

この後、飯田橋レインボービルで開かれ、原告や2003年8月のチチハルで起きた事故の被害者が被害を訴えたほか、広島県の大久野島で毒ガス製造に携わった方や、中国で毒ガス兵器を遺棄したという元兵士の方がその経験などを話し、遺棄毒ガス・砲弾の問題解決を訴えました。

当時、毒ガス兵器については、“人を殺さないから人道的な兵器だ”という教育がなされていたと聞きます。しかし、「不幸にして一命をとりとめた」と山田弁護士が言うように、毒ガスの被害は非常に重い上、一生にわたって続きます。このような筆舌に尽くしがたい被害をもたらしたのは、他でもない日本政府の戦後の情報隠蔽行為や調査の怠慢です。このような悲劇を繰り返さないためにも、日本政府は、被害者に対して謝罪と賠償を行い、また早急に中国の大地に捨てられたままになっている毒ガス兵器を回収し、処理すべきだと思います。

なお、遺棄毒ガス・砲弾第二次訴訟の口頭弁論が、11月30日午後3時より、東京高裁101号法廷で開かれ、原告の張岩さんが意見陳述する予定です。興味のある方は傍聴に行かれてはいかがでしょうか。

<<(37)へ

 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]